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2009/3/31 


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バチカンに考える
第3回 バチカンから見た米国


駐バチカン大使  上野 景文

昨年10月にお話しした「バチカンから見た欧州」(第1回)の続篇ということで、今回は「バチカンから見た米国」につきお話しする。つまみ食い的になるきらいはあるが、3点ほどお付き合いいただきたい。  

○バチカン・カトリック教会とオバマ政権
○バチカン・米国間外交関係樹立は25年前に過ぎず
○信仰心のホットな米国人VS. 冷めた西欧人

1.バチカン・カトリック教会とオバマ政権
第1話は、米国新政権をバチカンがどう受け止めているかについて。周知のように、米国はプロテスタント主導の社会だ。プロテスタント教徒の方がカトリック教徒に比し社会的により良いポジションを占めている場合が多いことや、そもそもの話しとして数の上からプロテスタント教徒はカトリック教徒の倍もいる(人口比で云えば、プロテスタントはほぼ50%に達するのに対し、カトリックは25%にとどまる)こともあり、大雑把に云って米国ではプロテスタントの影響力が強いと言える。

だが、この25%が強力な場合がある。すなわち、かれら(カトリック)が右を向くか、左を向くかが、米国の進路に影響する場合だってある。具体的に云おう。昨年11月の大統領選でオバマ候補はカトリック層(有権者のおよそ1/4)の54%の支持を得た。これに対し、4年前同じ民主党のケリー候補は、カトリック教徒だったにもかかわらず、同層の47%の支持しか得られなかった。もし、今回オバマへの支持が前回並みの47%だったとすると、オバマの全得票率(52%)は2%ポイント近く下がり、50%前後に落ちる計算となる。落選したかも知れない訳だ。そう、大統領候補の当落を左右する「底力」が米国カトリック教会にはある。だから、オバマといえど、カトリック全体を敵に回すようなことはご法度だ。実のところ、オバマ政権とカトリック教会の関係は、決して平坦ではない。既に寒風が吹き始めている様でもある。

写真@オバマ米国大統領

先ず、1月20日の就任演説で大統領は、「・・・我々の多様な伝統は強みであり、弱点ではない。我々は、キリスト教徒やイスラム教徒、ユダヤ教徒、ヒンズー教徒、それに神を信じない人(non-believers)による国家だ。・・・」と述べた。オバマ大統領のリベラルな思想が顕されたこのくだりは、保守派を刺激するに十分だったと目される。
次いで、就任の僅か3日後に大統領は、妊娠中絶を支援する国際機関への連邦予算の拠出制限を解除する大統領令に署名、更に3月になると、ES細胞を使用した研究への連邦予算支出制限を解除する大統領令にも署名した。

これらの新政策は何れも、生命倫理や家族倫理の面で保守的、伝統的な立場を堅持しているバチカンと共鳴していたブッシュ前大統領が敷いた保守的路線からの訣別を意味するものであり、米国カトリック教会からは反発の声が聞かれる。実は、オバマ候補が勝利した昨年11月に、バチカンの幹部や米国カトリック教会の幹部からは、これらの問題につきブッシュの路線から転換がなされることを危惧する声が既にあがっていたのだが、かれらの心配はある意味正鵠を得たものだった訳だ。今後とも、生命倫理、家族倫理面でオバマがリベラルな政策を打出すたびに、教会は反発を続けるであろう。ただ、国民的人気の高いオバマ大統領への過度な批判をすると、カトリック教徒の一部が教会に反発することも考えられ、教会も当面は慎重に振舞うものと目される。










           写真Aブッシュ前米国大統領
このため、バチカンでは、思想面で「うまがあった」ブッシュの時代を懐かしむ声が聞かれる。が、全体像を探ると、そう単純ではないことが分かる。すなわち、他の幾つかの重要問題では、バチカンとブッシュの立場は大きく異っていた。特に、イラク侵攻、国連など国際機関軽視、地球温暖化問題(についての非協調的姿勢)などについては、バチカンはブッシュに批判的であった。うちイラク侵攻について云えば、前法王ヨハネ・パウロ2世は、米国やイラクへの特使派遣、国連事務総長コフィ・アナンやブレア(英)、アスナール(西)等の関係国首脳への働きかけ等を通じ、戦争回避のため多大の努力を払ったことは記憶に新しい。イラク問題にせよ、多国間の枠組み尊重にせよ、温暖化対策にせよ、バチカンから見るとオバマの方が同志的(like-minded)に映っている筈だ。

以上要するに、バチカンから見ると、オバマ大統領は、中絶、結婚など宗教思想面ではリベラルすぎるところが困りもの(保守派のブッシュが懐かしく思われる程に)だが、他方外交面では、ブッシュよりずっと共鳴できる面が多いということで、バチカンはオバマ政権に複雑な気持ちを抱いているものの如くだ。

2.バチカン・米国間外交関係樹立は25年前に過ぎず
外交の話をもう少し続ける。オバマ大統領が7月のイタリアでのG8サミット出席の際、法王をバチカンに訪問するかは不詳であるが、ブッシュは8年間の任期中に何と6回もバチカンにやって来た。そのような米・バチカン間の「親密さ」からは想像しにくいのだが、米国がバチカンと外交関係を正式に樹立したのはほんの25年前にすぎない。67年前関係を樹立したわが国は、キリスト教国ではないが、米国から見て「大先輩(???)」ということになる。そこで、第2話として、米国はなぜ最近まで関係樹立をしなかった(出来なかった)のか、換言すれば、いかなるコンテクストで関係樹立に至ったのかにつき、探ってみたい(注1)。

といっても、米国とバチカン、いや法王庁(注2)との交流は、米国独立(1776年)のしばらく後にはスタートしている。すなわち、1788年にはパリで両サイドの使節が接触(米国側はかのベンジャミン・フランクリン)し、その結果を受け、米国初の司教がその直後に法王により任命されている。更に1797年になると、米国は自国の商業的利益擁護のため領事を法王領(当時イタリア中部はすべて法王領)の「首都」であったローマに駐在せしめた。以来、イタリア国王が法王領を自国領として併合した1870年まで、11代の領事が派遣された。
この間、米国では、欧州中の情報が行き交う法王庁(注2)は、「情報聴取に格好のポスト(listening post)」であるとの評価が定着し、19世紀半ばには、(領事を置くだけでなく、)法王庁ときちっと外交関係を樹立し、外交使節をローマに送るべきとの議論が出て来た。これを受け、米国議会では賛否両論の間で喧々諤々と論争が続いた。

この結果、米国は1848年にローマに臨時代理大使を置くことになった。右行為により米国は法王庁を(国家として)認知した訳だ。とはいえ、プロテスタント教徒の一部における反カトリック的感情には無視しえぬものがあったところ、1867年にNYタイムスが法王領においてプロテスタントが虐げられていると報じると、反カトリック・反バチカン感情に火がつき、反発した米国議会は法王庁への外交使節派遣にかかわる予算を将来に亘って禁ずるとの法律を成立させてしまった。この結果、外交関係は途絶え、以来80年近く(1940年まで:後述)法王庁から「米国の使節」は姿を消すことになる。

20世紀中葉、ルーズベルトが大統領になると、世界的戦乱を背景に、バチカンとの関係再開を目指した動きが模索された。この結果、1940年にルーズベルトは「大統領の個人代表」のバチカン派遣(M.C.テーラー)に漕ぎつけた。法王庁サイドはこの代表を各国大使同様に篤く遇したが、1867年の議会決定に縛られた米国はテーラーに公的ステータスを賦与しなかった。次いで大統領に就任したトルーマンは、バチカンに正式に大使を派遣せんと試みたが、カトリックへの警戒感の強いプロテスタントを中心とする世論がホワイトハウスに激しく反対の声を送り、トルーマンの試みはもろくも挫折した。トルーマンの失敗が後を引き、次のアイゼンハワー大統領は使節派遣の試みを何らしようとしなかった。

その後を襲った、米国大統領としては初のカトリック教徒だったJ.F.ケネディーは、大統領選の最中から、「ケネディーが大統領になると、法王から指示を受けることになる。」といった懸念を浴びせられたこともあり、「米国における政教分離は絶対的なものだ。」と応じるとともに、法王庁への使節派遣問題についても極めて慎重な姿勢をとったため、両国関係に進展はなかった。 因みに、ケネディー政権時代ワシントンからローマの(在伊)米国大使館に送られた電報を読むと、(当時のワシントンは)法王庁を(国家ではなく)あくまで宗教機関とみなしていたことが良くわかるそうだが、ケネディーの慎重な姿勢が色濃く投影されていたということだろう。

その後、ニクソンが大統領になってから、個人代表をバチカンに送るという「ルーズベルト方式」が復活し、フォード、カーター両大統領もこれを踏襲した。ということは、依然「非公式の関係」にとどまったということだ。

ところが、78年にポーランド出身のヨハネ・パウロ2世が法王に、また、81年にレーガンが大統領に就任すると、状況が一変する。二人の「反共の士」は、まずポーランドで共産党政権を倒せれば、欧州全体に波及せしめることが出来るとの見通しのもと、接近を図り、82年にバチカンで行った首脳会談では、ワレサの連帯を支援すること等に合意した。レーガン自身、東のブロックと対峙する上で、バチカンは優れて戦略的価値を有していると判断していたという。その後4〜5年間、バチカンと米国は連帯支援のため多くの資材(FAX,印刷機、宣伝資材等)をポーランドに搬入した趣だ。1984年にレーガンが成し遂げた(1867年以来)117年ぶりの外交関係の復活、すなわち、大使館開設と大使派遣は、このような戦略的コンテクストの中で行われた。

ところで、ハーバード大学の教綬職を1年休職の上当地の米国大使をつとめていたグレンドン女史は、ボストンに帰る少し前、この1月に彼女が主催した外交関係樹立25年記念夕食会で、こう挨拶した。
「欧州の動向を深く知る為には、当地に大使を置いて、毎晩"耳をそばだてながら"社交行事に参加させることが有用ということは、19世紀半ばから分かっていたのだが、諸般の事情からその実現にはなお1世紀余を要した。」
敬虔なカトリック教徒でもある女史は、ハーバードでは「少数派」だそうだが、それだけに、米国国内の事情というか制約を熟知している筈で、その分複雑な思いがこめられた挨拶と感じられた。

実は、この時期にバチカンと関係を設けたのは、米国だけではなかった。スウェーデン等の北欧諸国(いずれもプロテスタントが優勢)とバチカンとの外交関係開設も1980年代に集中している。つまり、傑出した「外交官」でもあったヨハネ・パウロ2世が法王に就任(1978年)したことが、世の中大転換のきっかけとなったという面を見逃さない。

以上整理してみたい。ここでは特に、@バチカン・米国間の交流は、外交関係が無かった18世紀末以来、230年に亘り粛々と進められてきた、Aだが、米国国内の反カトリック感情もあり、正式の外交関係樹立はつい最近まで行われなかった、Bレーガンがバチカンと正式関係樹立に動いたのは、戦略的動機による面が強かった(つまり、バチカンを世界的に重要なプレーヤーと見ていた)、の3点をお伝えしたかった、ということだ。

(注1)本稿は、2001年から2004年まで米国の法王庁大使をつとめたJim Nicholsonが著した"The United States and the Holy See (The Long Road)" (2004年、Trenta Giorni社)に多くを負っていることを断っておきたい。

(注2)公式の国名はHOLY SEE(法王聖坐)。現在でもHOLY SEEが公式名。バチカン市国という別称がある(これも一応公式名)が、使用されたのは法王庁とイタリアの間の領土紛争に終止符を打ったラテラノ条約が結ばれた1929年からで、それ以前(18〜19世紀)には「バチカン市国」という概念はもとより、実態も不存在。

3.信仰心のホットな米国人VS. 冷めた西欧人
外交の話が続いた。ここらで宗教の話に移ろう。第3話としては、宗教心に富む米国人の間では、いわゆる世俗化の進んだ日本や西欧といった社会では想像の及ばないような事象があるという話をする。米国人の信仰心の深さというか、特徴を理解するためには、西欧と比較するのが手っ取り早い。たとえば、教会の礼拝に常時参加する信徒の割合を見ると、西欧、特に英・仏では1割、スペインですら2割まで割り込み、いわゆる「教会離れ」が大幅に進行してしまったのに対し、米国では今なお5〜6割を保っており、大西洋の東と西で、状況は大きく異なる。
西欧と米国のこの違いを象徴的に示す事例として、米国における進化論を巡る論争に目を向けたい。米国では、未だに何と5割の人が創造論など聖書の記述を字句通りに信じていると云われている。そのような背景のもと、過去80年余にわたり、進化論や宇宙進化論は聖書の記述に反するとの理由から、米国のプロテスタント保守派は、公立学校でこれを教えることに抵抗して来ている。米国では、公立学校のカリキュラムは市町村ごとに教育委員会が管理するので、ワシントンで全米を一元的に決定することは出来ない。このため、南部や中西部、すなわち、保守層の多いいわゆる「聖書ベルト」の多くの市町村を舞台に、保守派と科学派の間で鮮烈なバトルが草の根レベルで繰り広げられて来ている。  
写真Bローマ法王と筆者







この80年間のバトルをざっと説明しよう。保守派は、かつては、進化論教育を禁じ、(聖書の)創造論だけを教えよとしていたが、最高裁が、政教分離の原則に照らし、特定の宗教の教えを公教育に持ち込むことは出来ないとしてこれを斥けると、かれらは半歩譲って、進化論と(聖書の)創造論を抱き合わせで教えよとの主張に転じた。最高裁がそれをも斥けると、最近は、「進化は偶然に起きたものではない。(天の)知性により設計されたものだ。」といういわゆる「知的設計論(インテリジェント・デザイン論)」を掲げ、これを進化論と抱き合わせで教えよとの戦術に転じて抵抗を続行。ところが、司法判断は、この知的設計論は創造主に直接言及していないものの、その実質は聖書の創造論に通じるものであり、宗教上の含意を有する、よって、公教育に取り込むことには馴染まないとして、これをも斥けた。だが、それであきらめるほど保守派はやわではない。かれらは、今後とも「手を変え品を変え」抵抗を続けるものと思われる。

これとは対称的に、今日の西欧では、進化論は完全な市民権を獲得、公教育でそれを教えることは当然とされており、米国のような論争は存在しない。バチカンも、前法王ヨハネ・パウロ2世の時代に進化論を受け入れており、その教育についても異論は挟んでいない。むしろ、今日のバチカンは、キリスト教は科学的知見の発展を前向きに取り込んでゆくべきだとの現実主義に立っており、その意味で、米国のプロテスタント保守とは異なる考えに立っている。

蛇足ながら、進化論教育に抑制的という点に限れば、米国の宗教保守は、イスラム社会に通じるものがある。イスラム社会では、穏健派のインドネシアを含め、進化論は学校で今日なお教えられていない。理由は単純、コーランの教えに反するからだ。

話を米・欧間の違いの話に戻そう。上述の事例が示すところは何か。宗教的に依然としてホットで、イデオロギッシュな米国人と、宗教的にかなり冷めた西欧人との間に横たわるこのコントラストは、殆んど文明的差異と言えるのではないか。大げさに聞こえるかもしれないが。この1月にロンドンの市内を、「神は多分存在しない」との広告を掲げたバスが走行して話題になったが、今日の「冷めた西欧」を象徴する光景だったといえよう。この米国と西欧の違いを、或る人は、米国のプレモダ二ティ(確かに、米国には18〜19世紀的な要素が多々ある)と、西欧のポストモダ二ティの差異として説明する。説明の仕方には色々あるだろうけれど、「深い部分で違う」ことだけは確かだ。

注: 写真使用について。
写真@オバマ米国大統領:www.barackobama.comより著作権フリー写真を使用、写真Aブッシュ前米国大統領: http://www.clipartguide.com より著作権フリー写真を使用。写真@Aとも写真使用に関する責任はすべてJIBO編集部にあります。
写真Bローマ法王と筆者(上野大使提供)

◆執筆者プロフィール
上野 景文 (Ueno Kagefumi) 
 駐バチカン特命全権大使
1948年生まれ。1970年東京大学教養学部を卒業し、外務省へ。英ケンブリッジ大学修士課程修了(経済学)。スペイン公使、メルボルン総領事、駐グアテマラ大使、国際研修協力機構理事を経て、2006年より駐バチカン大使。文明思考家、アミニズム論考家としての顔を持つ異色の外交官。
著書に「現代日本文明論ー神を呑み込んだカミガミの物語」(第三企画)ほか。論文、エッセイ多数。

 

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