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ITALY NEWS
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2008/09/30 


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イタリアの戦争の記憶と後遺症


新著『違和感のイタリア』−人文学的観察記 発行に寄せて

八木宏美


ミラノ在住、トリノ大学大学院で教鞭をとり活躍されている八木宏美さんが、9月1日付けで『違和感のイタリア』−人文学的観察記 を出版されました。(詳細は末尾を参照ください)
著者の八木宏美さんいわく「カトリックコミュニティ、教育問題、フィアットに場を借りての経営者や労働者の価値感、現在のイタリアにいろいろな後遺症が残るムッソリーニや戦争、マフィアなどを扱っています。30年間のイタリア観察記、イタリアに刺激されて考えたことの総括でしょうか」。
ズームアップでは本書のエッセンスの一部を7月号、9月号の2回にわたって著者の八木さんに紹介していただきます。

JIBO編集部 大島悦子

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いつの間にかイタリア滞在も30年である。思えばこの30年は、イタリア到着以来突きつけられてきた違和感の納得のいく説明探しの日々だった。研究活動や教育活動をしながら、日本とイタリアを交互に眺めるうちに、“イタリアの今”を説明する鍵は、明治維新とほぼ同時に起きたイタリア統一の経緯や、第二次大戦の後遺症、冷戦時代に多くがあるように思った。しかもイタリアは、日本と似た歴史的局面で日本とはまったくちがう選択を数多くしてきた国であり、比較には興味の尽きない素材である。そして少子高齢化、格差社会、多くの問題を同様に抱えるイタリアで“こんな解決法って本当にあり?”と言いたくなることの連続を目の当たりにすると、なぜか袋小路を抜けられそうな気がするから不思議である。そこで“隣の芝生”の実態や“他山の石”、“先人の知恵”を取り混ぜてまとめてみたくなった。本書は、“人間の営み”をあらゆる角度から眺める人文学、ミラノ大学で叩き込まれたイタリア式人文学の実践記録でもある。以下では、取り上げたテーマの一つ、現代社会にも陰を落とすイタリアの第二次大戦についてご紹介したいと思う。

イタリアは日本の明治維新とちょうど同時期に国家を統一して、新興勢力として二つの世界大戦に臨んだ国である。第二次世界大戦では三国同盟を結んだ日本、ドイツと共に戦い、共に敗戦国となったわけであるが、イタリアの戦争の状況については、三国の中で最初に降伏してしまった不甲斐なさ以外、実際の展開についてはあまり知られていないのが実情ではないだろうか。けれども、イタリアの政局やイタリア人の対人態度には、戦争のトラウマがいまだに生々しい傷跡をのぞかせている。イタリアの右派と左派の激しい対立の根底にあるもの、現代イタリア社会のあり方を理解するためには、戦争事情の理解は不可欠な要素である。

イタリアの無条件降伏はドイツ軍との戦闘開始を意味した。しかもイタリアの場合には軍の最高統率者であったバドリオ元帥と共に国王が真っ先に逃亡してしまったから、国家権力がまったく空白のまま、国民は占領ドイツ軍の手中に放り出されたのである。イタリア人、多くのイタリア人の戦争の記憶は、このドイツ軍占領下の600日間を、生き延びるために必死でナチスドイツ軍と戦った記憶なのである。この時イタリアが経験したものは、市民戦争でもこれ以上最悪のシナリオはないとさえ言える不幸な状況だった。

すでにソ連との冷戦を考え戦後をにらんでいた連合軍は、万が一の場合シチリア島を西側として独立させるシナリオも想定していたから、シチリア島から上陸する作戦をとったが、イタリア上陸部隊は正に文字通りの“連合軍”だった。イギリス軍もアメリカ軍も多国籍軍の寄せ集めで、イギリス軍指揮下にはアイルランド部隊、スコットランド部隊、ポーランド軍、インド軍、ネパール軍、南アフリカ軍、フランス部隊、ギリシャ部隊、パレスチナ部隊、イタリア志願兵部隊があり、アメリカ軍指揮下にはカナダ軍、ブラジル軍、イタリア志願兵部隊が置かれ、対するドイツ軍には、オーストリア軍、クロアチア軍、スロベニア軍、ルーマニア軍、当時ソ連に敵対していたウクライナ軍、グルジア軍、コサック部隊、イタリアファシスト部隊がいるという状況だった。こうしてイタリアの国土は20カ国もの兵士に踏みにじられ、ドイツ軍からも連合軍からも爆撃を受けたのである。

さらに最悪だったのは、ムッソリーニ軍に所属したイタリア人と連合軍側の志願兵、レジスタンスのイタリア人が戦場で直接殺し合う経験をしたばかりか、市民台帳を握っていたファシスト政権の役人たちが、各市町村で占領ドイツ軍に従順ではない市民をゲシュタポに引き渡し、ゲシュタポが拷問・処刑をするという図式になったから、立場の違いによる同村人、同郷人同士に拭い去ることのできない強烈な遺恨を残す最悪の状況を経験してしまったことである。

イタリア人の戦争体験は、地方により、村により、立場によりあまりに多様であり、戦争認識は国内でも一本化などとてもできるものではない。日本の場合にも確かに多くの不幸な事件は起こったが、イタリアの経験した戦争はある意味日本よりも不幸な、同邦人同士に深い遺恨を残す経験だったのである。
ムッソリーニやファシズムについて学校ではどう教えているのだろうか。イタリアでは、決して歴史認識を一本化しようとはせず、あらゆる立場を並列的に提示して教える選択をしている。イタリア人の多くは、“他人は皆、立場も考え方も違い、危害を加えるものである”という厳然たる事実を社会前提とせざるを得ない経験を、まだ当事者が生きている身近な過去にしたのである。

すぐに連合軍に占領されたため、ほとんどドイツ軍占領も熾烈な耐久戦も経験しなかった南イタリアと、へびの生殺し状態となり、撤退ドイツ軍から、老人女子供に至るまでの皆殺しを経験した北イタリアは、その後の政治選択でも大きくコントラストを描くことになったのである。

一見陽気で軽薄で屈託がないと思われているイタリア人について、興味深い調査データがある。イソップ物語の“蟻とキリギリス”の話だが、これには二つの結末がある。一つは蟻がキリギリスを助けるハッピーエンドの結末。もう一つは蟻がキリギリスを突き放す結末である。どちらに共感するかを問うと、日本でも主要西洋諸国でも過半数が温情的結末を選ぶのだそうだが、イタリアだけが例外で拒絶派が多数派を占めるそうだ。カトリック国でありながらのこの数字は、イタリア人に残るトラウマが一世代や二世代では決して癒えるものではないことを物語っているようである。しかも傷跡をいつまでも完治させなかったのが、全てを無理やりに凍結させることとなった東西の冷戦だった。

本書では、ムッソリーニや戦争の後遺症など、現代イタリア理解には欠かせない、イタリアの知られざる側面を分かりやすく解説している。



新著紹介 9月1日発売
八木宏美著『違和感のイタリア』
              −人文学的観察記 新曜社 2700円

人間みな不平等!
非合理・非効率性にこそ創造性の芽は育つ


イタリア滞在30年。日本人としての"当たり前”をことごとくひっくり返された著者が、社会生活をつぶさに体験し、その近現代史をたどる中で見えてきた、"違和感”のあり方と本音のイタリア。

もくじ
序章 イタリアとの出会い

第1章 教育を受けない自由
第2章 人文学とは何か
第3章 カトリック教と地域コミュニティ

第4章 封建領主をめざしたブルジョワたち
第5章 愛国心とフィアットで育ったイタリア市民
第6章 イタリア最後の王ジャンニ・アニェッリ

第7章 ムッソリーニとファシズム
第8章 戦争とレジスタンスの後遺症
第9章 マフィアと談合


◆執筆者プロフィール
八木宏美

1979年ロータリー財団奨学生として渡イ。ベルディ音楽院、ミラノ大学人文学部に学ぶ。1989年インプット・イタリア・ジャパン社設立。翻訳、日本の官公庁委託調査などに携わる傍ら1991年よりJetro&ボッコーニ大学共催ビジネス日本語講座およびボッコーニ大学にて教鞭を取り、1997年にビジネス日本語テキスト『Comunicare Giapponese』を出版。
1999年よりトリノ大学外国語学部契約教授。2007年より同学部大学院で契約教授として日本語教育全般を預かっている。

 

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