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ITALY NEWS
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2002/11/01 


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イタリアの学校教育改革


佐藤康夫(さとうやすお)
ジャーナリスト


 



一国の教育システムや教育内容の変革は、その国の市民的自覚、生活の質、生産性、福祉など社会全体にわたって自動的ではないにしろ直接多大な影響を与えることになる。世界市場の統一が進むなかで各国市民は不断の国際的競争を強いられ、一市民社会の国際的地位や「成功」は、これまでのように単に第一次資源や財源の有無に依存するのではなく、まさに市民の頭脳の質・教育水準に大きく左右される。 このような観点からすれば、第二次ベルルスコーニ中道右派政権が手がける教育改革の評価は将来歴史が下すことになろう。しかし今のところ現政権がこの改革のはらむ重要性をどれほど自覚しているのかは甚だ疑問だ。なによりの問題は、政権の基盤となる中道右派連合「自由の家」が地方分離主義的な連邦主義を主張する北部同盟と、伝統的な国家中心主義に立つ国民同盟(ネオファシストの流れを汲む)という国家・政治・社会理念で相対立する二つの政治勢力を取り込むことで成り立っているため、政府が教育改革の指針となる望ましい社会の形を明確にしえないでいることにある。 実際、非議員の女性で「有能な企業マネージャー」であるレティツィア・モラッティ教育相(52歳)が2002年初頭にまとめた学校教育改革案は、閣僚間の厳しい意見対立で一時は棚上げとなり、首相が改めて改革にゴーサインを出して国民にアピールすることになった。しかし改革案が総括委任法案であるところからその非憲法的性格も含め政府与党内外の批判は強く、同時に予算不足から議会審議・承認に手間取っており、改革の実現は更に困難なものとなりそうだ。
以下、小・中・高校の学校体系の変革を中心にイタリアにおける学校教育改革論議の問題点に触れてみた。

                             

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●中道左派政権の教育改革
現政権が意図する教育改革を理解するために、ベルルスコーニ首相が選挙中に廃止を公約した中道左派前政権の「偽りの教育改革」をまず見てみよう。 2000年に中道左派政府のルイージ・ベルリンゲール公教育相が大胆な教育改革案を提起し、ファシズム期以来継続してきた小学校・中学校・高校の5・3・5制の学校教育体系を統合、6歳から18歳までの12年間の学校教育体系を設定した。最初の6年を初等教育、続く6年を中等教育課程とするとともに、1963年に14歳まで引き上げられた義務教育期間を更に延長し15歳までとした。議会では論議の末、高校はこれまで通り5年制とし、小・中学校を統合して7年制とする改革修正案が承認された。
この改革の意義は、16歳以上を義務教育上限目標とする先進国に倣って義務教育年数を僅かではあるが増やしたこと、大学入学年齢を18歳とすると同時に大学短期課程(3年制)の導入により卒業年齢を早め就職年齢を欧州並みにすることを可能にした点にある。労働者の大半が中卒者で占められ、新聞や本の内容を十分理解する市民は人口の半分に満たない(Censis社会投資研究センター調査)イタリアでは、義務教育期間の延長は焦眉の課題であった。また、主要先進国では18歳で高校を卒業、大卒者の就職年齢は二十代始めであるのに対して、イタリアでは19歳で高校を卒業し26-30歳近くまで学業を続ける傾向があり、経済活動における国際競争力を削ぐ要因のひとつとなっていた。
この「ベルリンゲール」改革は、1963年に進学・就職コース分けを解消する統一中学校制度が導入されたように複線型から単線型の学校体系を指向、五種類ある高校の第一期サイクル(2年間)を共通化し、高校教育形態を部分的ではあるが統一的単線型とした。義務教育は、7年の初等教育(旧小・中学校)のあと、5年の中等教育(高校)最初の共通する2年で終了し、生徒は15歳で自己の希望に合わせて進路を選択・変更することになった。この教育改革は、高校の二年間を義務教育に取り込むことで職業高校初年度に多い落第現象を緩和し、小・中学校間のおちこぼれや教育内容の齟齬なども解消する可能性を含む画期的なものであったが、正にその革新性があだとなり頓挫することになる。なかでも、給与・養成・募集形態などにおいて条件の異なる小学校と中学校の教員を一つのカテゴリーに統一することに教員の少なくない部分が抵抗し、ベルリンゲールに継いで公教育相となった言語学者トゥリオ・デ・マウロ氏の下でも改革を実行に移すことは出来ずに終わった。

●中道右派政権の改革案
「ベルリンゲール改革」を阻止し、小・中学校の区分を維持すると選挙公約した中道右派連合だが、中道左派政権の改革の主要な利点のひとつである「高校卒業年齢18歳」(学校教育制度は上限18歳)は維持することになった。中道右派のモラッティ改革案では、「18歳までの教育・学習の権利と義務」が新しい市民の権利として謳われているが、義務教育年限として明記されていないところからベルリンゲール改革以前の14歳(中学終了時)までの8年間に戻されるとの解釈もある(旧改革を放棄するとしながら新改革案が承認されていないところから教育現場での混乱が広がっている)。18歳までの12年間となればドイツやベルギーと並ぶ長期の義務教育期間を持つことになる。
小・中学校5・3制と高校5年制を保持しながら18歳で高校を卒業させるには、小学校入学を5歳半に、幼稚園入園を2歳半に引き下げなければならない。しかし、これは既に確立された人格形成期の幼児教育システムをいたずらに混乱させるものであり、幼稚園の半数を経営するカトリック系宗教法人や地方自治体からも反対が強く実現は困難と思われる。 また、モラッティ改革案では小学校卒業時の試験は廃止されるが、中学校卒業試験は維持され、高校教育に関しては、同年齢の青年層に均質な教育内容を保証する単線型の統一的高校教育制度を指向する潮流に逆行し、「より広範でより個性化された選択肢を提供」することを名目に、文系・理系高校の大学進学コース (5年) と実業高校の職業養成コース(3−5年)との間での二者択一を14歳の少年に迫る教育の選別的体系が一層強化されることになった。

連邦主義的改革 - 州政府への教育行政の委譲 
90年代から国の行政の一部を憲法規定内で州政府へ委譲することが進められており、その中には医療、治安、教育行政などが含まれる。今回の教育改革では、国家主義を信奉する与党国民同盟の理念を尊重し「学校教育計画は国家のアイデンティティーと伝統・文化に照合する全国的に均質な基礎的な中核を持つ」と規定しながら、連邦主義を基礎に地方分権化の促進を主張する与党北部同盟の要請のもと、連邦主義的性格が強く打ち出されることになった。
全国の20州は教育内容(%は未定)について地域的現実に則した特別な関心事項(文化的伝統・言語など)を学習科目として優先させる権利を与えられる。実業高校である職業学校の25%と技術学校の一部を州政府などの管理運営下に移行する。また高校段階での企業における職業養成ステージ(=インターンシップ、ただし企業への就職が保証されるわけではない)などの提携企画に県や地方自治体も参画する。
 もっとも県や自治体の連合会では、この改革により教育活動に期待される「知の伝達期と、人間的文化的形成期が人工的に分離される」との疑問を提起しており、中でも改革で大きな役割を担わせられる州政府との間で財政的措置をはじめとする事前協議が欠如しており改革実現に当たって混乱は避けられない。また企業側には、高校生の企業における職業養成ステージの展開で即戦力となる青年層育成の有効性を認めながらも、深刻化する老齢化と継続する技術革新に対処するため統合欧州が提唱する「long life learning (生涯学習)」を実現するには青年期に基礎的素養を形成することが肝要であり、この改革は教育活動のもつ認識的性格と作業的性格との調和に欠けているとの批判もある。
州への教育行政委譲に合わせるかのように、ラツィオ州、ロンバルディア州、ピエモンテ州、ヴェネト州など中道右派連合が州政府を握る州において、これまで学校教育で使用されてきた教科書、とりわけ歴史書をマルクス主義的「偏向」文献とする批判が湧き上がり州議会に特別委員会が設置され「検証」が試みられている。イタリアには国による教科書検定制度は存在せず、教育内容は国の指導要領に従うものの、授業で使用する教科書は教員の自由な選択に任されている。州に教育内容が託された場合、州が書物の教科書としての採用の可否を左右する可能性も考えられ、共和国憲法第33条が保障する「教育の自由」を侵すことになる。
逆説的ではあるが「思考の複数主義を擁護」することを理由に、与党から「偏向教科書」を規制する委員会を下院にも設置する提案が出されようとしている。

三つの「i」 ベルルスコーニ首相自身、選挙中「左派の偽りの改革で破壊された学校教育を三つのi(inglese, internet, imprese /英語・インターネット・企業)で救う」と公約しているが、教育相の改革案でもこの三つの「i」が機軸となっている。そのうち英語を始めとする外国語とインターネットを中心にした情報技術の学校教育への導入に基本的に反対するものはいない。しかし、教育手段と教育内容・目的を混同することは誤りであり、単なる既製技術の習得・利用だけではなく、その原理・構造の理解にまで及ばなければ最新技術の社会的有用性への自覚も覚束なくなる。
小学校初年からひとつの外国語(中学校初年では二つの外国語)の学習とコンピューター使用が導入されるためには、技術的設備と担当教官の育成が不可欠であり、外国語教育に関しては当該言語を母国語とする教官と適切な語学ラボ教室が必要となる。全国の学校に総計27万台のコンピューターが配置されているもののインターネットに接続されているのは46台に一台。もっともこのコンピューターの台数については調査機関毎に数字が異なるが(教育省の発表では生徒・学生28人に一台、Censis社会投資研究センターの調査では18人に一台、Ocse経済開発協力機構(OECD)によれば高校では68人に一台となっている)、明らかなのは2000年に決められた最低五人に一台という欧州目標を遥かに下回っていることだ。当然、他の関連情報機器(パラボラアンテナ、ヴィデオ・コンフェランス、ヴィデオ・プロジェクターなど)の普及も遅れており、さらに教員用のコンピューターの台数も少なく、同時にインターネット活用の初歩的指導を担当できる教員数も極めて限られているのが実情だ。
台数はともかくコンピューターを配備する学校は九割に達する一方、図書館を備える学校は三割に満たない。教育システムの良し悪しは基礎的教育の充実にかかっているのは明らかで、歴史、思想、数学・科学などの基礎教科の学習を前提条件としてのみ初めて英語や情報技術習得の効果も期待できるのであり、最初のiはますます軽視されがちなitaliano(イタリア語)の「i」であるべきとする意見も根強い。因みにOcseが32ヶ国の15歳の年齢層を対象にした調査(2000年)によると、自国語の文章理解力においてイタリアは20位と劣っている。また、科学知識でも24位、数学では26位(ポルトガル、ギリシャ、ルクセンブルグ、メキシコ、ブラジルが後に続く)に止まっており、イタリアの学校教育は首相提唱のキーワードだけでは解決できない深刻な問題を抱えているようだ。

企業経営原理の適用
Ocseの調査では、英国はイタリアと比較して教育コストは低いのに、より高い教育効果をあげている。イタリアは学生一人当たりの教育予算はOcse調査の平均値よりも高いのに(教育予算の対国内総生産比では下位)、その学習効果は極めて低いレベルの国の一つとなっている。モラッティ教育相はこの差はイタリアの学校に「効果的な評価システム」が欠けているところから生じるとして、学校自体に教員を基にした学習評価システムを構築することを提起、2800校で実験が進められている。英国の例で見るならば、教員の採用権をも含む強力な学内自治を実現することと、教員・学生・父兄に共通した教育・学習への強い動機付けが教育効果向上に欠かせないのは明らか。いやいやながら通学する生徒が35%にも上るイタリアでの改革にはなおさら学内外の協同と創造的雰囲気醸成が求められる。
残念ながら現教育相は、複雑で時間の掛かる教育改革を改革の主役である教職員・学生・父兄らの十全な合意を得ずして、企業原理のひとつである少人数の幹部による決定のトップダウンを先行させ、改革案が承認されるのを待たず「実験」や行政措置の名で「改革」を部分的に強行しようとしているため、関係者に戸惑いと混乱、不信と不安を増長している。
学校教育を公共サービス事業として民間企業と同様の効率性・採算性を当てはめるマネージャー教育相の意向は、教育予算の大半を占める人件費のカットに示され、すでに学校職員2万人削減、向こう三年間での教員3万6千人削減などが計画されている。 
さらに2003年度財政法案では、景気予測を大幅に誤った政府は医療、教育費など社会経費の大幅削減を予定している。上記の人員削減に加えて身障者サポート教員(イタリアでは身障者の為の特殊校は廃止され一般校に通う身障者を補助する担当教員が配置されている)1万5千人削減、小学校の全科目を担当する担任教員制の復活で7万人の教員削減などが目論まれている。この人員削減で学級統合・廃止が進み1万7千の学級、4万5千の講座が閉鎖されることになる。
教育現場での労働環境再編ではなく、削減しか方法を知らない近視眼な政府・教育省の政策能力の欠如が指摘されている。教育活動は全国均一に分散しているわけではなく、大都市と小村での差異を考慮しない一律的措置による公教育への破壊的効果を懸念する教育学者もおり、政府・教育省への批判の声が高まっている。
公的機関であるInvalsi (全国学校システム評価研究所)元所長ヴェルテッキ教授は、ラ・レプブリカ紙のインタヴューに答えて、「(来年度財政法案は)政府・教育省が何ら刷新的なアイデアを提起する努力もせず、学校という複雑な機構の運営に関してまったく認識がないことを示しており、公立学校の生徒・教員のやる気を削ぐのは確かで、このままでは多くの学校が“店じまい”を余儀なくされる」と警告する。

高校卒業国家試験制度の「改革」
何事にも「成果を測定する文化が欠如している」(モラッティ教育相)と言われるイタリアだが、民間企業マネージャー出身の教育相が教育改革として先ず実現したのは高校卒業資格を与える「マトゥリタ」と呼ばれる国家試験の実質的な無効・無用化だった。これまで国家試験の試験官の半数は他校からやって来た教官によって占められていたが、三千億リラに上る試験経費削減(三番目のiである民間企業の採算性を最優先する運営方針の採用?)を理由に断行された新制度では、外部から来る試験委員会委員長ひとりを除き他の試験官すべてを学内の教官が担当する形に変えられた。つまり、高校の最終成績を決め国家試験受験資格を与えた教官自身が、それまで教えてきた同じ生徒を改めて試験することになり、試験の公平さ・厳格さの保証が失われることになった。
確かにこれまで国家試験をめぐる不安や失敗が青年のトラウマとなることも報告されており、この「改革」によって生徒の長期間の学習過程を熟知する教官によるより深い人間教育的評価が可能になるとの意見もある。しかし、評価基準の厳しい学校・学級と「甘い」ものとの間の「不公平な差異」が国家試験にそのまま反映される懸念は大きく、教育内容の質を部外者から検証されることがなくなるこの改革が、一部を除いて高校卒業証書の製造工場と化している私学にとってとりわけ好都合であることは明白だ。
社会学的には、徴兵制廃止により青年期に残された唯一の社会的「通過儀礼」であるマトゥリタの喪失が市民形成に及ぼす影響が論議され始めた。厳正・公平な学業評価なしに過酷な競争社会へ送り出される青年世代の社会的適応能力の不足が危惧される。     

●学校教育積年の問題点
以下にイタリアの学校が抱える問題点を列記してみた。今回は触れることが出来なかった具体的な学校生活や教育内容、教員と生徒と父兄の関係、大学の実情、職業養成訓練の実態、公立学校と宗教教育などについては、機会を改めて取り上げてみたい。

学校施設環境
施設の老朽化が南伊、大都市に行くほど顕著になる。労組の調査によると全国平均で14.31%の教育施設が安全性の観点から問題とされている。

教員の待遇・労働環境
欧州諸国と比較すると初任給はほぼ同額だが、年功による昇給率が低く、退職時には他国の同僚と大きな格差が生ずる。ちなみに以下は2001年の公務員である教員とその他公務員の給与レベルである(初任給および最終キャリア時(35年勤続))。
-小学校:160万リラ/230万2千リラ/週22時間勤務 
-中学校:171万3千リラ/253万8千リラ/週20時間勤務
-高校:171万3千リラ/266万2千リラ/週20時間勤務
-他の国家公務員:185万3千リラ/250万リラ/週36時間勤務
-警察官:220万リラ/243万リラ/週36時間勤務
-病院勤務医師:348万1500リラ/676万5200リラ/週38時間勤務
モラッティ改革では労組の反対をよそに、週24時間への労働時間延長が予定されている。他の欧州諸国では教員の昇給は何らかの教員の勤務評定システムと連動している。中道左派政権下では優秀で熱心な教員を給与面でも適切に優遇するための教員評価テストが検討されたが教員からの反対で潰れている。 
教員一人当たりの小中高の学生数は10人と世界でも一番少ないのが現状である。二〜三十年にわたって安易な政治的判断による大人数の試験なしの募集などが行われてきた結果、教員80万人の人件費に多くの予算を割かれ、教育システムへの投資や教員自身の昇給をも困難にしている。教員数の合理的な調整に対して労組の対応は極めて鈍いと言える。小・中学校の教員の大半は女性教員が占めている。

大学
小中高の学生一人当たりの教育予算はOcse調査の平均値よりも高いのに対して、大学生一人当たりの予算は平均以下である。また国や企業から支出される研究費も少なく欧州先進諸国平均値を下回っている。前政権下、関係者の間では冷ややかに受け入れられた三年制大学制度は、既に一サイクルを終え定着しつつある。ともあれ大学は自治的に運営されており、行政の関与する範囲は限定されている。

私学への公的助成と宗教教育 私学問題は、私学への助成とカトリックなどの宗教教育をめぐる議論に代表される。憲法により学校教育は国が国民全員に等しく保障するものであり、その非宗教的性格は明確で、さらに第33条では民間団体に対して国庫に負担をかけないことを条件に私学創設が認められている。
今日も続く論争テーマとなっている私学への公金助成問題は、宗教者と非宗教者との間の対立を引き起こし、過去に何度も政権を危機に陥れてきたが、私学と国立学校が対等な基盤に立って創造的な競い合いをすることは、両者にとっても有益と思われる。中道左派前政権の下で成立した法律では国立と非国立の学校の参加で「教育の公的システム」を形成することが規定されている。もはや私学への公的助成をタブー視することなく、一定の厳格な要件を満たす私学教員に対して国が給与を支払うフランスなどの例を参考に、憲法改定を含む改革が進められる土壌が生まれてきているとも言える。 非宗教系私学の大半が高校卒業資格の安易な製造工場になっているのは論外として、一般にカトリック系の私学に教育レベルの高い学校が存在し、経済的に余裕のある家庭では思想的立場を問わず子弟を私学に通学させている例も少なくない。中道左派政権の下でも、公・私学校の棲み分けが進められ、左派リーダーの子弟たちも私学と国立学校を年齢や志向に応じて通い分けしているのが現状だ。
また憲法第8条ではすべての宗教の法の前での平等が謳われており、公立学校教育の非宗教的性格は明らかのように思えるが、人口の大半がカトリックの洗礼を受けるイタリアでは国立学校においても宗教教育が行われている。ほとんどの場合その授業ではカトリック司教区から認定された教員によってカトリック教育が行われ、非カトリック者、無宗教者の生徒には代換授業の選択が許されている。
青年層のカトリック離れを憂慮する法王庁は公教育でのカトリック授業を重視している。このようなカトリック側の要請に応えるかのように、モラッティ教育相は教職員大幅削減のなかで、2万人の宗教授業担当教官を本採用した。 非カトリック系の移民子弟の就学が進むなかで、公教育の非宗教的性格の擁護は文化・宗教的な複数主義尊重の観点からも国民的課題となることだろう。そのような新しい環境のなかで、教育相は学校の教室など公的な室内でのキリスト磔刑像掲示義務を再導入することを提案している。このあまりに時代錯誤な試みには各方面から疑問が呈されている。

《参考資料》学校教育基礎データ
学校種別:学校数/生徒数/国立校生徒%/教員数/教員1人に対する生徒数(1999/2000年度)
幼稚園: 25.208 / 1.582.527 / 58.5% / 125.745 / 12.6
小学校: 19.068 / 2.821.085 / 91.2% / 283.152 / 10.0
中学校: 8.496 / 1.774.726 / 94.8% / 205.921 / 8.6
高校: 7.166 / 2.552.148 / 92.5% / 296.664 / 8.6


著者プロフィール:1948年東京生まれ、78年東京芸術大学大学院修了(西洋美術史専攻)、80年よりローマ在住。フリーランスジャーナリスト。著書に「イタリアを知るための55章」(共著)など。





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