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ITALY NEWS
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2002/12/01 


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建築事務所、丁稚奉公記


西村清佳 (にしむら さやか)
東京芸術大学修士課程建築専攻


 



イタリアは地中海に面した北部の街、ジェノヴァにある建築設計事務所に、留学 生の身分でありながら実地社会経験を兼ねて出入りするようになって1年半。そ の間に見たイタリアの建築界の現状と、それを通して垣間見られる社会構造や民 族性の差異などを内側にいた立場からリポートしたいと思う。

● 仕事 日本でも建築界は不景気のあおりで仕事不足、まさに建築家にとっては氷河期と も言われているが、イタリアの現実はさらに厳しいようである。そもそも大ロー マ帝国時代からの長い歴史を誇る国、そしてその歴史を大変に重んじる国民性で あるからして、日本のようにむやみやたらと建てたり壊したりを繰り返すことは 決してしない。
それを裏付ける例を2件挙げて説明すると、1つ目は日本の建築界の巨匠、磯崎 新氏によるフィレンツェのウフィッツィ美術館増築プロジェクト。かの美術館に は毎年世界中から大勢の観光客が訪れるため、入口前にはいつでも長蛇の列とい う有様である。そこで市が企画して美術館裏に新しいゲート部分を増築する計画 案を、設計競技(コンペティション)という形で一般公募したところ、並み居る イタリア人建築家達をおさえて、磯崎氏が一等当選したのだが、なんでもフィレ ンツェの歴史的中心地区(チェントロ・ストリコ)に、更地の状態から建築物が たてられるのは実に400年ぶりなのだそうだ。この400年という歴史の重み を考えると、築30年程度で立て替えてしまう日本の現状がいかにサイクルの早 いものであるかが分かる。同時に、建築家になかなか仕事がないのも納得いただ けると思う。
この話には続きがあって、磯崎氏の案があまりにも斬新的なデザインで、歴史的 中心地区の街並みにはそぐわないとフィレンツェ市が言い出したことによって、 計画は宙に浮いたままになってしまっている。これはコンペティションを企画し た行政(フィレンツェ市)と、案を審査した人(建築家)が同一の意見を持ち合 わせてない場合によく起こる問題で、国内でも例えば横浜の大桟橋国際客船ター ミナルは、一等案が採択されてから竣工まで7年以上の歳月がたっている。 2例目は、この春に無事竣工したレンゾ・ピアノ氏によるローマのオーディトリ アムである。着工後間もなくこの現場で基礎工事のため地盤を堀り始めたとこ ろ、ローマ時代の住宅の遺跡が出てきたというのである。ここはローマの歴史的 中心街から北にだいぶ離れたところに位置するため、誰しもそのような遺跡が埋 まっていることなどありえないと思っていたらしいのだが、貴重な考古学的証拠 を無視するわけにもいかず、かといって計画をゼロに帰することもできず、ピア ノ氏はオーディトリアムの中に考古学資料館を併設するという画期的な折衷案を 出して、工事を続行しつつ計画を手直ししたという事である。 この例が語っていることは、イタリアの都市においてはどこを掘っても考古学的 史料が出てきてしまうと言うのが現状であるからして、なかなかものが建てられ ないのである。首都ローマが、東京やロンドンやパリと比べて地下鉄網が充実し ていないのもそんな事情による。
以上に2つの例を挙げたが、だからといってどこを探しても全く仕事がないかと いうと、そうでもない。例えばトリノは2006年の冬季オリンピック開催に向 けて、あらゆるプロジェクトが徐々に動き出している上、2008年に開かれる 国際建築会議の開催地としても立候補し、次点だった東京とは最後まで競った挙 げ句に勝利を手中にしたので、今後の動向にますます注目が集まることだろう。 かくいう私のいたジェノヴァも、2004年にはヨーロッパにおける文化首都に 制定され、これは隔4年ごとにヨーロッパ内の都市が持ち回りで交代するもので あるが、それを2年後に控えて国際客船ターミナルや、海洋美術館など、港湾部 を中心に急ピッチで工事は進行中である。
こういった大きなプロジェクトは、クライアントから建築家へ直接依頼が来るこ とはまずない。コンペティションという形で公募するのが一般的で、それも依頼 者側からある程度絞られた建築家だけに声のかかる指名コンペ、まず書類選考に よって過去の実績を評価されて選ばれた建築家が参加できる段階式コンペ、そし て建築家の資格さえ持っていれば誰でも参加できる一般公開コンペの3タイプに 大別される。コネも実績もない若手の設計事務所は、このうちの第3の手段に頼 るというのが一般的なようであるが、それだけに頼って事務所を切り盛りするの は実際、不可能である。かと言っても実績がないから仕事がとれない、仕事がな いから実績が築けないというニワトリとタマゴの関係に、建築家は常に頭を悩ま せているというのは古今東西、変わらないのかも知れない。

● 人間関係
このように、なかなか仕事のない建築界で建築家はどうやって生きているのか? 私の通った事務所は、2人の建築家がパートナーシップを組んで2年半前に立ち 上げた新しい事務所で、2人とも32才の新進気鋭、やる気は十二分なものの立 ち上げた当初は大きな仕事はなかなか来なかったらしい。そんな中で生き残りを かけてよく使われる方法が“協働(コラボレーション)”であった。この哲学は 日本には余り見受けられないので細かく説明したい。
まず第一に事務所内の人間関係が、この一貫したコラボレーション哲学の上に成 り立っている。組織社会の日本と、個人主義社会のイタリアの大いに異なる点が ここにある。事務所の代表者は2人のパートナーであるが、この2人はあくまで 対等で、私にとっての彼らは「雇い主」でも「上司」でも「同僚」でもない。
「同じ畑の人間」が対等な立場でプロジェクトに参与しているという以外には説 明できない。だから彼らの発言はあくまで意見であって、決定ではなく、まして 命令でもない。もちろん私も素直に賛成したり、時には反論もするが、それに対 してまた反論を返されることこそあっても、「君、誰に向かって口を利いている んだ?」 などと怒鳴られたりはしない。
最終的に決定を下すのは2人のボスであるにしろ、基本的には決定権を持つ人間 がいないと言うことで論議が堂々巡りになることもあるが、誰も妥協を許さない 分、自然と一番みんなが納得する方向でプロジェクトは進行していく。建築とい う、社会的な側面を持ちつつも芸術的な部分も多い分野では、この方法は極めて 有効であるように思われる。ただ、このような組織体系は日本にはあまり見受け られない上、まして肩書きや、年齢や、出身大学など上下左右の人間関係がはっ きりしないことには自分の立場をアイデンティファイ出来ないニッポンジンとし ては最初は大いに面食らうことになる。
コラボレーションはまた、別の建築事務所と手を組んで同一のプロジェクトに参 加する場合も行われる。既に大御所となった建築界の大物も、若い頃にこの方法 で世に出た例が少なくない。レンゾ・ピアノ氏は今でこそイタリアのみならず、 世界における建築界きっての巨匠だが、世に出るきっかけとなったのは、ロンド ンの、これまた今では巨匠となった建築家リチャード・ロジャースと手を組んで 参加した、パリのポンピドゥーセンターのプロジェクトであった。
当事務所でも、住宅や店舗など小さな物件を除けば殆どのプロジェクトが、他の 事務所との提携関係によるコラボレーションだった。これは意見する人間が増え て、それを取りまとめる折衷役が必要であるとか、各々の責任感がいまいち薄い ためにどうしても進度が遅れがちになるとか、いろいろと欠点もあるのだが、と にかく大きな仕事を見つけるにはこれ以外には方法がないのである。
そんなわけで、日本の建築事務所は「先生+所員達」という人間ピラミッドが確 立しているのが殆どであるのに引き替え、こちらは「建築家+建築家+建築 家・・・・」という組織体系で活躍する事務所が多い。また他の建築家に対して は敵愾心を抱くというのでなく、むしろ機会さえあれば手を組んで、1+1=2 ではなく、3にでも4にでも相当する結果を出そうというのが彼らのねらいであ り、また野心でもある。

● 事務所の一日
始業はだいたい9時半であるが、ここはお国柄かそれとも職業柄か、その時点で 全員揃っていることは、よっぽど締め切り前でもない限りはあまりない。自分自 身が抱えているプロジェクトの進行状況次第でそれは早くも遅くもなり、従って 常に忙しい2人のボスの出社が一番早いという事になる。これが締め切り間際に なってくると、8時集合の召集がかかったりもするのだが、それに遅れたからと 言って咎められたり、減給されたりと言うこともない。
就業時間も、何時間ときっちり決まっているわけではなく、本人がその日こなす べき仕事さえ終われば帰れるのであって、ボスがいるからまだ席を立ちづらいと いうことはない。要は、本人が任されているプロジェクトが本人の責任において こなされていることが一番肝心なのであって、始業時間を守ることは義務であ り、また社会人としての基本でもある日本に比べると曖昧なようにも、合理的に も見える。
昼休みも各自が自分の進行状況を見ながら、自分の仕事に一区切りついた時点で 各々が自由に出ていくので、忙しい時は30分程度ということもあるが、大抵は 1時間半ぐらい平気で席を空けてしまう。その他、イタリア人には欠かせない コーヒーブレイクも朝夕2度は必ず外に出て行くので、一見悠長にも見えるが、 一杯のカフェによる気分転換が、その後のやる気と集中力に繋がるようである。 日本でも普及の早さにマナーの確立がなかなか追いつけないでいる携帯電話も、 こちらは平気で電源は入れっぱなし、もちろんそれを着信音が鳴らないようにバ イブレーション機能に切り替えるなどと言う配慮もなく、私用の用事で何の躊躇 もなく電話している。これは別に建築事務所に限ったことではなく、イタリア全 体にそれを容認する土壌があるようだ。
一事が万事、時間に関して無計画的なイタリアでもプロジェクトの締め切りだけ は守らねばならない。その直前の殺人的な煩雑さだけはこの業種において世界共 通項目のようである。ある時、締め切り間際の忙しさにぼやいた一人に、計画的 と言われている日本人の目から見て、その原因は何であると思うかと問われ、 「まず人が足りないこと、次に私達が建築家であること、最後にここがイタリア であること」と答えたら、その場にいた全員ぐうの音も出なかったことはよく覚 えている。

● おわりに
国こそ違うけれど同じ建築業界と思いきや、やはりそこに見られるのはイタリア 社会の縮図であって、国民性や民族性、習慣の違いはそのまま投影されているの が現実である。そんな彼らのスタンスは、古いものに敬意を払うかと思えば新し いものに対する受容度も高く、一概に「イタリア人的な?」を語ることは出来な い。あえて言うなら、イタリアの個人主義社会の中で一人一人が、各々の持って いる価値観や美意識に非常に忠実に生きているということである。


筆者プロフィール
1975年横浜生まれ。98年東京芸術大学建築科卒業後、 野村加根夫設計事務所に勤務。99年東京芸術大学修士課程に進学し、00年か ら02年にかけてイタリア政府給費留学生、及びロータリー財団国際親善奨学生 としてジェノヴァ大学に留学。在伊中、建築設計事務所O.B.R.(Open Building Researchの略称)にて国際コンペティション「ミラノ情報文化図書館」、「新富 弘美術館」の他、レッジョ・エミリア、及びサヴォナの実施コンペティションに 参加する一方、建築雑誌「LOTUS」、「CASABELLA」において日本人建築家の通訳 などもこなす。
現在、建築雑誌「PARAMETRO」の来年夏発行予定の日本特集号を企画中。

● 本記事へのご意見、ご感想を是非お寄せ下さい。著者メールアドレス : sayaca@libero.i





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