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ITALY NEWS
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2001/04/01 


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陶磁器タイル産地 サッスオーロの国際化戦略


 





イタリア北部、エミリア・ロマーナ州(人口393万人、州都:ボローニャ市)のモデナ県の南部サッスオーロ市(人口 4万人)を中心とする地域には、世界最大の陶磁器タイル産地が形成されている。 エミリア・ロマーナ州は、中小企業をベースとした金属機械産業(工作機械、自動化機械、包装機械、食品加工 機械等)や、アパレル産業、食品産業などの産地が、州内に多極分散型に発達していることで世界的にしられて いる。同州の多極分散型産業構造の代表例がモデナ県(61万人、モデナ市17万人)であり、同県内には、タイ ル産業をはじめ、フェッラーリ、マゼラッティなど高級車、農業機械、医療機器産業、ニットアパレル産業の他、食 品加工業も発展している。

産地の沿革

イタリアでは、豊富な赤土を使って素焼きのテラコッタやマジョリカ焼きをつくる伝統は、何世紀も前から各地で根 づいていた。同サッスオーロ地域でも、1600年代には、モデナ公国から、陶器焼物の独占生産権を与えられ て、陶器がつくられていた歴史はある。とはいえ戦後直後には、同地域に少数のタイル生産者がいた程度であ り、あくまでも農業が主流の地域で他地域に比べて、特別に焼物の伝統があった地域ではない。

タイル産業が近代的工業としておこったのは、第二次大戦後のことである。比較的豊かな農村地帯であったこの 地域には、自己資金を持った農民が大勢おり、たまたまタイルをつくってみるともうかるので、周りの人も真似して 始めたというのが事実のようで、自然発生的な誕生とされている。したがって、大半のタイル工場主は、自営農場 主や畜産農場主であった。

第二次大戦で国土の多くが破壊されたイタリアでは、戦後の復興のため、建設大ブームがおこった。建設材料に ついても空前の需要がおこったが、タイルもその恩恵を十二分に受けた建材だ。特に、他のヨーロッパ諸国と比較 して、タイルに対するイタリア国内市場のニーズは非常に大きかった。暑い時にも冷たいタイルの特質は、地中海 性気候による風土に適していたこと、さらに、イタリアでは、合成建材やカーペット類を好まず、大理石や花崗岩 などの石材や天然素材を建設物に用いる傾向が強かったことも、タイルの消費拡大の背景として指摘されよう。

復興期、それに続く、国民全体の消費文化の浸透により、60年代、70年代、タイル産業は大きな成長発展期 をむかえた。企業数も爆発的に増え、次第に、「工業」としての形を整えるようになってくる。同地域では、62年の 事業所数は100、64年には、130所、1970年には200事業所と増加している。67年には、サッスオーロ市 に、イタリアのタイルメーカの集まりであるイタリア陶磁器タイル協会が設立された。さらに、1976年が歴史的に みて509社、48000人と頂点に達する勢いをみせた。この年、ボローニャ市に、タイル業界の技術サポートを行 うチェントロ・チェラミコが、行政、大学、産業界の三者間の強力でスタートしている。

なお、イタリアのタイル産業は、99年の売上額9兆4230億リラ、生産量800万トン、従事者およそ31000名。 タイ ル企業の大半はこのサッスオーロ地域に集中している。輸出は約70%で、輸出先はドイツ、フランスが上位であ るが、対米輸出も前年比22%増と特に好調。国内市場の売上高は前年比12%増。

産地システムの特色

生産工程としては、原材料のすりつぶし、混ぜ合わせ、成型(押し出し法、あるいは圧縮法)、乾燥、素焼き、上 薬かけ、2度焼き、完成品とおおまかに区分できる。 当初は、機械の設置や改良などを含めて、それぞれの企業がすべてを社内でやっていた。自分の土地でとれる 粘土を使って、最終製品までつくるところさえあった程である。その後、生産コストの上昇とともに、コスト削減のための分散化が始まった。まず、上薬かけ工程の専門化が始ま り、好調のため、他の工程の外部化も始まった。

現在は、全工程を社内で行う会社とともに、ある特定の工程を専門で行う分業生産体制が並行して存在してい る。さらに、地域内に、原料輸入、顔料や上薬、包装材のサプライヤー、輸送、物流、広告宣伝、税務関連、な ど、タイル産業を支えるサービス業や各種コンサルタントが揃っている。

さらに、同産地では、タイル産業の発展と二人三脚の形で、タイル生産用機械産業も強い相乗効果をあげながら 発達してきた。戦後すぐに、タイルづくりに使用された機械も技術も大半が外国製であった。イタリアには、工業タ イルの生産の歴史はそれまでなかったためだ。当初は、各工場で、外国製の機械を使いやすいように改良を加 えることが始まり、次に、原材料やイタリアの燃料(天然ガス中心)にあう新しい機械を自らつくることにまで発展し ていった。

そして、60年代半ばには機械類については地元での生産すべて可能となり、70年代には、輸出をは じめている。なお、周辺地域は、戦前から、金属機械産業が発達を始めており、イタリアの高級自動車メーカーの マゼラティ(1926年創設)、フェッラーリ(1940年創設)、ランボルギーニ(1949年)などの本社工場が、同地 域の10キロ内にあった。これらの工場に勤めていた技術者や熟練工などの人材が、新しいタイル産業に流れ、 同産業の技術面革新の担い手として大きな役割を果たしたことはいうまでもない。わずかの間に、技術や機械に ついては、すべて外国に依存していた状況から、世界市場に機械を輸出し業界のリーダシップをとるまでに成長 し、現在に至っている。

新製品の開発と製品ジャンルの拡大

元来、陶磁器タイルは、「二度焼き」(英語では、ダブル・ファイヤード)と呼ばれる工法で生産され、2度窯焼きを する必要があった。一度目は、成型し、乾燥させたものを窯入れし、素焼きの陶器(ビスコットと呼ばれる)をつくる 工程であり、2度目は、素焼きの部分に、上薬をかけたものを焼く工程である。

しかし、70年代後半にサッスオーロの代表的メーカーが、「一度焼き」(英語でシングル・ファイヤード)と呼ばれる 新技術を研究開発したことで、成型して、乾燥させたものに上薬かけをかけて一度の窯入れを行えばよいことと なった。要する時間も、「二度焼き」では、1昼夜、24時間かかったものが、「1度焼き」では、1時間以内と、大 幅な時間短縮が可能となり、燃料と労働力の節約面で画期的な開発となった。

製品ジャンルの面で、もう一つの新技術は、やはり、産地の最大手企業の一社が80年代に開発した大理石とほ ぼ同じ性能・外観を持つタイル、「グレス・ポルチェッラナ−ト」(英語でポルチェライン・ストーンウエア)である。 非常に密度が高く堅牢性のあるタイルであり、原材料を混ぜ合わすことで柄が決定され、圧縮成型によりつくら れ、革命的製品と呼ばれている。この製品の開発により、タイルの強度が大幅に増したため、大型商業施設や公 共施設の床材や外壁用として、このタイルを用いるこことが可能となったため、需要の場が大きく広がった。

これま で、大理石をを用いた部分の代替ができるようになったのだ。シンガポール空港にもサッスオーロ製の「グレス」が 使われている。70年代の「一度焼き」80年代の「グレス」の研究開発が、産地の技術レベル、生産性、国際競 争力を大幅に高める原動力となったことはいうまでもない。

産業の再編成

ところで、順調な発展をみせた同産地であるが、82年から85年には深刻な大不況がタイル業界を襲い、過剰 生産となり、106企業が閉鎖し、一万人が解雇された。企業は、この不況を契機にエネルギーと労働力を大きく 倹約することが可能となり、構造的な変革と大幅な設備投資、工場の自動化プロセスの推進を始めることとなっ た。

84年から85年には、当時の売上げ高の10%をこす金額が設備投資にむけられている。この時期には、短 時間で焼くことのできるロール式窯も開発され、技術革新が進んでだ。 80年代後半は、その後のタイル工業の発展傾向を決める上で決定的な時期となったともいえよう。というのは、 大半をしめる中小企業は、リストラの意味を、技術革新の面でのリストラとして理解し設備投資に全力をそそいだも のの、企業組織上には大きな改革をしなかった。一方、リーダ企業は、大幅な設備投資に加えて、他企業を積 極的に買収して、企業組織を組織化するとともに、国際化する時期として、このリストラを解釈した。

90年代後半以降には、企業の統合化(企業買収、グループ化等による)傾向がますます強まった。とはいえ、 買収されても、それまでのブランドや組織はそのまま維持されることが多い。グループ企業内に専門化した各種 の製品をつくる工場を持つことで、市場のいかなる要請にも効率よく対応することが、企業買収の目的だ。

現在、スペイン、トルコ、ブラジル、そして中国などの進出があり、また、需要面でも開発途上国からのニーズがウ エイトを増しており、国際市場での競争においても、価格競争が激しくなってきている。価格競争に打ち勝つため には、これまで以上の生産プロセスの合理化と、大規模な大量生産が必要であり、企業規模が戦略要因となっ てきており、大型工場の建設も進んでいる。

とはいえ、産地内で現在、株式上場されている企業は1社のみ。売り上げ高、1兆リラ規模の企業が2社あるもの の、産地内の大手5社で、産地全体のに占める売り上げは、10―20%。後は、平均100人に満たない中小企 業が大半である。

こうした状況の中、中小企業にとっては、高品質、デザインや付加価値の高い製品など、価格や量で競う必要の ない分野で競争力を磨くことが生き残りの道となっている。あるいは、逆に、doit yourselfなど、多品種少量生 産が必要なエコノミー商品も活躍分野となっている。

国際化戦略

産地内に業界の「頭脳」のすべてが集積している。技術開発、新素材の活用も、すべてこの地域から生まれてい る。生産機械もこの地域で開発・生産されており、タイル製造機械メーカとタイル生産メーカ間の協力関係、情報 交流が継続的に行われている。狭い地域内に、同じ物をつくっている競争相手が集中している。競争と模倣と差 別化の中から、新しいアイデアが生まれてくるのである。

同時に、注目すべきは、例えば、工場の自動化ソフトウエアについては、米国のシリコンバレーと、顔料について は、多国籍企業と、運輸面については、世界有数の海運グループと提携するなど、タイル産業を支えるサービス 部門については、世界中のトップレベルのノウハウと手足をフルに活用するダイナミックな取り組みをしている点で あろう。

70年頃、イタリアの国内市場は成熟期をむかえた。そのため、タイルメーカは、本格的に、海外市場を獲得する ことを義務づけられた。技術革新による生産性向上により、生産能力は過剰に陥っており、海外市場をとることし か生き残りの道はなかった。 イタリアのセールスマンは、タイルサンプルをカバンにつめて、国外の優良顧客のもとに訪れるようになった。建材 問屋が中心である。

また、国外についても、地域別エージェントも多く活用された。また、タイルメーカ側は、イタリ ア国内外の一流建築・デザイン専門誌への積極的な広告掲載も展開した。イタリアの建築・家具デザインなどが すでに国際市場で高い評価をうけていたことに、タイルの国際市場への進出はかなり助けられた。 輸出の割合は、1965年には、全売り上げの13%にすぎなかったものが、71年に21。7%、79年には54%へ と逆転している。そして、上述したように1999年には、70%を占めるまでとなっている。

ところで、80年代に入って、少数ながら、大手企業を中心に、国外への直接投資という形で、グローバル化をは かる動きがでてきた。例えば、最大手のマラッツイ社は、80年に米国工場設立、91年にスペインメーカー買収、 95年にフランスのメーカを買収と、欧米諸国に対しては、企業買収を積極的にしかけてきた。一方、発展途上国 に対しては、90年、トルコの地元メーカとの合弁事業を皮切りに、91年マレーシア及び韓国、93年、メキシコとの 間に同様のジョイントベンチャーによる工場を設立している。未知の国には、地元資本と組んで浸透し、その周辺 各国を制覇していこうという、ダイナミックなグローバル戦略を進めている。

国際化に関して忘れてならないのは、同州の州都で、サッスオーロから70キロほどのボローニャ市で毎秋開催さ れているCERSAIEと呼ばれる建材用タイル国際見本市の存在である。上述したイタリア陶磁器タイル協会(アッ ソピアストレッレ)が主催しているものであり、2000年10月の同見本市の出展社は1072社、地元サッスオーロだけ でなく、海外30ケ国からも多数参加し、ヴィジタ―数は世界136ケ国から約10万8千名に及んでいる。

同見本市 開催時には、同じく、ボローニャに本部をもつボローニャセラミックセンターの主催で、世界のタイル技術者、研究 者を集めて、国際タイル産業シンポジウムも開かれている。サッスオーロを核としたエミリア・ロマーナ州がタイルに ついては産業面、技術面で世界唯一の情報発信拠点となっているのだ。本見本市の存在が、同産地の国際化 にどれほど貢献してきたかは、いうまでもないであろう。

2000年代に入って、同協会の推進で、同産地のEビジネス・ プロジェクトが進めらている。 現在、同地域で生産 されるタイルは、内外の建設業者等にいったん卸され、そこを経て、最終ユーザーや、タイル敷設業者に販売さ れている。したがって、今回のプロジェクトでも、建設業者との取 引、すなわち、サプライ・チェーンの管理などB to Bの部分の電子商取引を当面は目標としている。 そのため、企業内の生産から在庫管理、物流システムなど社 内システムすべての見直し・合理化が必 要とされており、本プロジェクト実現にむけて、産地をあげての取り組み が行われている。 近年、同産地で は、国際化進展、製品の品質向上とハイテク化投資を推進してきたが、今回 のEビジネス・プロジェクトもその枠組みの一環として位置付けられるものだ。2001年秋に、システムの完成が予定 されている。 (JIBO 編集部)




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