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2000/1/1

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イタリアの繊維・アパレル見本市
「ファッション・インフラ」としての
歴史的沿革と特色



ジャパン・プラス・イタリア
代表取締役


大島 悦子


はじめに

現在、日本の繊維アパレル産業は、長びく消費不振、海外からの輸入品の増加などにより、生き残るためにはいかに世界市場へ進出していくかという課題に直面しており、そのための発信の場として国際見本市の役割に大きな関心がむけられている。本稿は、99年8月に、ミラノ・ジェトロ・センターの委託により筆者が実施した「イタリア繊維アパレル産業 見本市・展示会の構造と動向」調査研究から調査結果の一部をとりまとめたものである。第一部では、イタリアにおける糸から布地、アパレル製品に至る繊維アパレル産業関連の見本市・展示会の歴史的経緯を整理し、第二部で、見本市の特色をまとめた。そして、末尾には、現在、イタリアで開催されている見本市・展示会一覧をつけた。


第一部 イタリアの繊維・アパレル産業 見本市・展示会の歴史的沿革

1)50年代 フィレンツエで最初のファッションショー

イタリアの繊維アパレル産業の見本市・展示会の歴史を語る時、その出発点として大きく位置づけられているのが、1952年にイタリアで始めて開催されたオートクチュールのファッションショーである。場所は、フィレンツエのピッティ宮殿、サーラ・ビアンカ(白の間)。イタリア・ファッションの父と呼ばれているジョヴァンニ・バッティスタ・ジョルジーニ氏の発案によるもので、その後、「PITTI DONNAピッティ・ドンナ」という名称で50年代、60年代は、イタリアのファッション情報発信の中心地となった。

68年には、それまでのオートクチュール主流とは別の流れとして、プレタポルテのファッションデザイナー、ウオルター・アルビルリ氏のファッションショーも開催された。

72年にはフィレンツエでメンズ用プレタポルテの見本市「PITTI UOMOピッティ・ウオーモ」が発足。同見本市は以来今日に至るまでメンズ用洋服・服飾雑貨の最大見本市として発展してきている。

2)70年代後半 糸・テキスタイル関連見本市 始まる

70年代に入ると、イタリア各地の繊維産地が力をつけてきており、75年の「IDEA COMOイデアコモ」を筆頭に、78年「IDEABIELLAイデアビエッラ」、79年の「PRATOEXPOプラートエクスポ」と、産地企業が参加し競い合うテキスタイル見本市が各地で発足してくる。

イデアコモは、シルク製品で有名なコモ繊維産地の繊維企業40社の経営者が結束して協会をつくり、はじめた婦人服地用見本市である。イデアビエッラも、毛織物産地ビエラの20社の経営者有志が結束して協会を始め、毛織物を主体とした紳士用服地の見本市としてスタートしたものだ。一方、プラートエクスポは、プラート繊維産地の中核となっているプラート工業連合のリーダシップのもと見本市開催組織が結成され、地元の婦人用・紳士用服地メーカー140社が参加して発足したものである。

77年には、ニット用糸の専門見本市、「PITTI FILATIピッティフィラーティ」も始まる。イタリアは、ベネトン、ミッソーニの例をひくまでもなく、60年8代から70年代において、ニット製品分野において世界のリーダシップをとるようになっており、こうした状況のもと、毛、木綿、絹など自然素材のニット用糸、あるいは合化繊の糸のメーカーのコレクションを発表する場としてスタートしたものだ。初回の出展社は34社。

こうしてイタリアの誇る糸やテキスタイルの見本市が出揃うことになる。

  3)70年代末 レディスプレタポルテ見本市とミラノコレクション発足

  50年代、60年代はイタリアのファッション発信の中心は上述したフィレンツエのピッティ宮殿が中心であったが、70年代に入ると、ミラノ系ファッションデザイナーの動きが顕著になってきた。70年代中頃には、ミラノ市内で様々なデザイナーが個別の会場やショールームでファッションショーを行うようになった。

この気運をうけて、1977年には、ニット製品の見本市「ESMAエズマ」がスタートしている。

さらに、78年、イタリアのアパレル工業協会が、レディス・プレタポルテ見本市を発足させる。その際、イメージ向上、広報PR強化のために、ファッションデザイナーの合同ファッションショーを併設したところ、好評を博し、翌79年には、ミラノ見本市会場でファッションショーを独立させた形で、第一回「MILANO COLLEZIONIミラノコレクション」誕生の運びとなる。このように、ファッション都市ミラノの情報発信インフラの基礎が70年代末に整い、80年代をむかえることとなる。

一方、50年代から続いていたフィレンツエのレディスファッションショー「PITTI DONNAピッティ・ドンナ」は82年をもって歴史を閉じることとなる。

  4)80年代 ファッション産業発展とともに 各見本市も大きく成長

80年代は、まさにメイドインイタリア製品の大成長期であり、70年代末までに発足した繊維、アパレル関連の見本市・展示会がファッション・インフラとして定着、産業界と二人三脚の形で発展した時期と位置づけられよう。

84年には、テキスタイル見本市「MODA INモーダ・イン」がミラノで発足。これは、ミラノに本部を持つ、イタリアの木綿・麻等協会並びに、イタリア各種繊維工業連盟の企画で誕生したもので、各種生地及び、付属品関連の見本市である。年々出展企業及びビジターが拡大し、現在では、最大規模のテキスタイル見本市と発展してきている。

  5)90年代 新ニーズに対応し 見本市の衣更え、特化専門見本市の創設

90年代の半ばになると、70年代末にスタートしたレディスアパレル関連の見本市「ESMA」と、「MODIT」が、それぞれ、主催団体の組織変更などを理由に、名称を「MODA PRIMAモーダ・プリマ」,「MOMI A MILANOモミ・ア・ミラノ」と変更。さらに、1983年以来、レディスプレタポルテ見本市に併設されて年1回開催されてきた、ウエディング関連見本市「SPOSA ITALIAスポーザ・イタリア」は、機が熟したとして、98年より独立した見本市として別途開催されることとなった。

一方、繊維関連では、94年に織物用糸の見本市「FILOフィーロ」、97年にプレコレクションを発表する「PRETEXプレテックス」が設けられる。「FILO」は、繊維アパレル産業は「糸」から始まるというコンセプトで、その出発点となる「服地用の糸」の専門見本市としてスタートした。一方、 「PRETEXプレテックス」は、毎シーズン、テキスタイル関連の見本市の始まる3-4週間前に、スタディ中の「プレコレクション」の段階の製品を、限定された顧客だけを対象に展示する見本市として新設されたものだ。いずれも小規模な見本市ながら、目的、ターゲットを極めて明確に特化した専門見本市として重要性を増している。

6)90年代後半 主催団体間で二つの協定調印

産業界の意志で自然発生的に発足し、個別の企画運営を進めてきた各見本市・展示会であるが、90年代後半になって、主催団体の間で、取り扱い領域やタイムスケジュール等について、話し合いや調整をはかる動きが生まれ、二つの協定が結ばれている。

一つ目は、ミラノとフィレンツエの見本市を主催している団体間の話し合いである。すなわち、現在、ミラノでは、レディスプレタポルテの見本市、「MOMI,MODA A MILANO」が開催され、フィレンツエでは、メンズプレタポルテの「PITTI UOMOピッティ・ウオーモ」が開催されている。この現状の役割分担を、正式に確認しあうことが協定の目的であった。その背景としては、フィレンツエ側のミラノに対する対抗意識があげられよう。すなわち、上述したように、かってフィレンツエは、「PITTI DONNAピッテ・ドンナ」に代表されるようにレディスファッションの中心発信地であったが、70年代末に、プレタポルテ見本市、ミラノコレクションがミラノでスタートして以来、株をとられた苦い経験がある。そのため、メンズプレタポルテを、ミラノに持っていかれないかという緊張感がフィレンツエ側にあったのである。

双方の主催団体の協議により、1996年、現状の役割分担の公式確認を主たる内容とする協定書が期間4年間について調印された。4年後の2000年における「更新」もすでに、内定されている。

二つ目は、テキスタイル見本市について数が多いため、時期の調整をはかる動きだ。これまで、各見本市が独自に開催時期を設定したため、同時期への重複も起こり、出展者、ビジターに大きな不便や問題をおこしていた。

98年7月、「MODA INモーダイン」、「IDEACOMOイデアコモ」、「IDEABIELLAイデアビエッラ」、「PRATOEXPOプラートエクスポ」のイタリア4見本市と、パリの「プルミエルヴィジョン」のあわせて5つのテキスタイル見本市の主催団体代表者が集まり、2000年、2001年についての開催カレンダーの設定と調印が行われた。春夏、秋冬シーズンとも、毎回、8週間以内に5つの見本市の開催時期を設定するというものである。

各見本市・展示会の運営は、従来通り、各自が自主的に行っていくことに変化はないが、相互間のフレームと位置づけが始めて、公式に策定されたことで、次世紀にむけての基盤が改めて固められたといえよう。


第二部 イタリアの繊維アパレル産業 見本市・展示会の特色

以上、ファッション関連の見本市・展示会の歴史的経過の概要をみてきたが、次に、これらの見本市・展示会で共通する特色を列挙してみたい。

特色1  民間産業人の強い意志で発足

第一の特色は、いずれの見本市も繊維アパレル業界のぞれぞれの分野における民間産業人の強い意志と願望で、発足していることであろう。

運営組織としては、業種別経営者団体下の組織が行っている場合と、独立した見本市運営組織が携わっている場合とあるが、いずれも糸、テキスタイル、アパレル、それぞれの業界の経営者が自らの製品コレクション発表の場として、見本市の開催を求めたことでスタートしている。中小企業主体のメーカーにとっては、独自の展示会や商談では、プレゼン・営業活動に限定があるため、同時期、同じ場所での同業者による共同の見本市こそが、販路開拓にとって最も効率のよい手段と判断したためだ。当初は、予算も少ない中、手作りに近い形でスタートさせている。

会場についても、現在は、ミラノ、フィレンツエ、及びコモの国際見本市会場で大半が開かれているが、発足当時は、市内の一般ホテル、商工会議所ホール、あるいは高校講堂など、既存の施設をつかって開催されている。始めに強いニーズありき、ハードウエアや建物は、その後時間をかけて適切なものを整備していくというプロセスがみられる。

特色2   糸、テキスタイル、アパレル 各段階で真剣勝負・厳しい選択

ところで、イタリアの繊維アパレル産業の大きな特色は、一部の例外をのぞいて、素材からアパレルまでの一貫型の企業は存在せず、糸メーカ、布地メーカ、アパレルメーカーがそれぞれの段階で、それぞれのリスクをかけて新作コレクションを発表していることといえよう。

すなわち、トップバッターは、糸メーカーであり、糸の新作コレクションを見本市で発表。次の段階のランナーがその中から最も適切であると思われるものをセレクトして購入して、自らの新作コレクションを用意。各段階で発表される新作コレクションの数は、莫大なものがあり、毎回、厳しいセレクトと顧客からの評価が待ち受けるシステムである。出展企業にとっては、毎回のコレクションに真剣勝負で取り組まなくては生き残れないという厳しさを課している。

と同時に、このような「発表・評価システム」があるからこそ、中小企業主体の繊維アパレルメーカーが、企画力を磨くことで顧客をつかみ、市場への進出の道を大きく開いたともいえよう。

特色3  出展者及びビジターにとって最大の情報発信・情報収集拠点に

同業者による見本市とはいっても、実際には、各出展者ともそれぞれ個別の分野を得意とした専門企業である場合が多い。各企業ともグローバル市場で「独自の市場」を狙っているが、多数の企業が一堂に揃うことで、該当分野の新しいトレンドの総体を把握することが可能となっている。バイヤーはもちろん、出展社にとっても、大変貴重な情報発信・収集の機会となっている。

また、糸やテキスタイルなど繊維関連の見本市の多くでは、内部に専門機関を設け、カラーや素材のトレンドリサーチを行っている。リサーチ結果は、出展企業に事前に提供し、各社の新コレクション企画に役立ててもらうと同時に、見本市全体としても総体として一貫性のあるトレンドの発信を可能としている。

特色4  地域見本市から国際見本市へ

多くの見本市は、当初は、地域の企業のみが参加する形でスタートしている。しかし、年を追うごとに、イタリア国内の他地方の企業の参加を受入れ、さらに、近年は、国外の企業の出展を積極的に受け入れるようになってきている。よりオープンに出展者を迎え入れることで、名実ともに「国際見本市」とし、見本市自体のキャパシティと奥行きを深め、訪れるバイヤーに対し、選択の幅を広げることが、結果として見本市の付加価値を増すという判断のためだ。

見本市発足当初は、自社の製品を業界の競争相手にみられることを恐れた出展者も、オープンな共通の舞台の上で、各自が自社の個性を発揮し、互いに切磋琢磨することにより始めて、国際競争の激化の中で本当の競争力をつけることができると考えるようになったためといえよう。


終わりに

イタリアの繊維アパレル産業の企画・生産・販売システムは、年2回のコレクション発表方式にもとづいて展開されていく。その新しいコレクションの発表・顧客営業の場として、ミラノやフィレンツエを中心に開催される各種見本市及び、ファッションショー等が存在している。

特に、中小企業が多く、個々の企業独自で営業・市場開拓活動を行うことが難しいイタリアにおいては、同業の業者が一つの会場に集い、世界各地からの顧客と直接出会う見本市の存在は、参加各社の営業活動の成否を決定する最も重要な機会ととらえられてきた。同時に、業界としての共同で情報発信を行う大切な場を構築し、MADE IN ITALY製品のイメージを高め、イタリア繊維アパレル産業の輸出振興・国際市場の開拓に大きく貢献してきたことは言うまでもない。イタリアのファッション産業を支える「ファッション・インフラ」の重要な柱として見本市・展示会のシステムが構築されてきたといえよう。国際化の道を模索している日本のファッション業界にとってイタリアの事例が参考となれば幸いである。


資料 イタリアの繊維アパレル見本市・展示会一覧

最後に、イタリアの繊維アパレル見本市・展示会の概要を、糸・テキスタイル、アパレル関連に分けて、創立順に下記に一覧表とした。なお、各項、見本市名称の次は、創立年、開催地、製品分野、出展数、ビジター数の順である。出展数、ビジターの数は、99年の上半期開催の際のデータ。

A.糸・生地見本市  

IDEA COMO (イデア・コモ) 1975 コモ 婦人服地 70社 400名

PITI IMMAGINE FILATI (ピッティ・イマージネ・フィラーティ) 1977 フィレンツエ ニット用糸 106社 6600名

IDEA BIELLA(イデア・ビエッラ) 1978 コモ 紳士用服地 61社 2000名

PRATO EXPO(プラート・エクスポ) 1979 フィレンツエ プラート生地メーカ、婦人服地 140社 8000名

MODA IN(モーダ・イン) 1984 ミラノ 服地・付属品 584社 22000名

FILO(フィーロ) 1994 ミラノ 織物用糸 60社 2200名

PRETEX (プレテックス) 1997 フィレンツエ テキスタイルのプレコレクション 60社 400名

B.アパレル見本市・展示会 


PITTI IMMAGINE UOMO (ピッティ・イマージネ・ウオーモ) 1972 フィレンツエ メンズ用プレタポルテ・服飾雑貨 609社 21200名

MODA PRIMA(モーダ・プリマ) 1977 ミラノ大型流通むけアパレル161社 4000名

(MOMI)MODO A MILANO (モーダ・ア・ミラノ) 1978 ミラノレディス・プレタポルテ350社 20500名

MILANO COLLEZIONIミラノ・コレツイオーニ 1979 ミラノ DONNA(ドンナ)レディスプレタポルテ 発表193件  UOMO(ウオモ)メンズプレタポルテ 発表108件

SPOSA ITALIA(スポーザ・イタリア) 1983 ミラノ ウェディング関連 140社 8000名

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