第14回 イタリアと日本:進むべき道を間違えた二つの国
この数ケ月間におけるビッグニュースといえば、次の二つをあげることができましょう。
まず、中国の経済規模が日本を追い抜いたこと。日本は巨人中国にGDPで追い越され、世界経済ランキング第二位の位置を失ったこと。
もう一つは、イタリアは、深刻な危機に陥っているスペイン経済を抜き、そして(おそらく)英国も抜いて、経済ランキングのポジションをアップさせたこと。新聞・テレビはこのニュースをまるで大事件かのように物々しく取り上げています。
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質問が一つあります:本当に大騒ぎをしたり、議論をたたかわせるようなビッグニュースなのでしょうか? 我々は誠に重要な変化に直面しているのでしょうか。私はそうは思いません。その理由をここで説明したいと思います。
まずは、日本と中国の問題から。いわゆるGDPは、結局のところ、ある国で生産された物とサービスの価値の総計であり、経済学者にとっては重要な統計データですが、実際上は、その国の生活の質の健康状態を物語る数学的な統計データではありません。中国が日本より経済規模が大きくなったことを日本は嫉妬深くみつめる必要はありません。これはごく自然な成り行きなのです。1800年まで、中国はいずれにしても、世界一の経済規模を誇っていたのです。中国は13億の人口があり、一方日本の人口はその10分の1ほどです。そして、中国と日本が同じ規模のGDPを持つとすると、日本人一人当たりの所得は中国人一人当たりに比べ10倍もの所得となることを意味します。すなわち、日本人一人当たりの所得は世界有数のレベルである一方、中国人の一人当たりの所得はごく低いことを意味します。 我々は、相対的な意味しかもたない統計数字について話をしすぎるようですね。
国民のすなわち市民の健康状態はGDPの数字のみで測定できるわけではなく、何よりも、国民を相対的に「幸福」にすることに貢献する「タンジブル」なものと「インタンジブル」な事柄により測定されます。すなわち、治安、雇用、社会保障、将来への見通しなどであり、これらはとても重要な事柄ですが「インタンジブル」な要素が強いので全体像を数字で表すことは容易でありませんが、一人当たりのGDPと同程度に重用な事柄なのです。 皆さん、よく考えてください。私が話しているのは「幸福」についてではなく、「満足感」についてです。なぜなら、大哲学者カントが「幸福とは理性的なものではなく、想像の中にある」と書いていたことを覚えているからです。したがって、日本の方々は中国経済の成長を心配する必要は何もなく、それよりも日本の国が抱えている問題に集中してはいかがでしょうか。下記に述べるように日本には心配しなければならない課題が山ほどるのですから。
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一方、イタリアはというと、スペイン経済を規模で抜いたことが大変な話題になっています。政治家は当然ながら、EUの他国と比べイタリアでは政治的にうまく経済の舵をとることができたおかげだと、このニュースを手柄として「こじつけようと」しています。 とはいえイタリア人は、このような宣伝を「鵜呑みにする」国民ではありません。外で何がおきるかよりも、実際に自分の懐具合に関係があるかどうかに大変注意深いのです。
結局のところ、このニュースは実質的に何の意味もないことを悟り、無意味な政治的な宣伝の紙はゴミバコに捨ててそれでおしまいです。
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では実際のところ本当に大切な問題とは何なのでしょうか。イタリアの友人たち、日本の友人たち、何を真剣に考えなければならないのでしょうか。政治的な宣伝文句に躍らされることなく、著名エコノミストであるJ.M.ケインズが1930年代に投げかけた質問と同じことを自問自答する必要があるでしょう。「事実が変化するとき、私は考え方を変えます。あなた方はいかがですか?」と。今日における本当の悲劇は、将来に向けてどのような社会を構築すべきかというテーマをまだきちんと冷静に議論していないことなのです。したがって残念ながら文化が築かれないのです。私は日伊両国とも日本で「豊かボケ」と呼ばれている現象が検証されているように思えます。この50年間の間に我々が体験し享受することのできた物の氾濫、豊かさ、繁栄。これらは我々の中であたかも「モルフィネ」効果のように作用してしまったようです。我々の五感を麻痺させ、本来備わっていた個性、野心、何かをしたいという強い願望などを衰退させてしまったのです。
日本の選挙における民社党の大勝は、我々が手にしたものを何が何でも護りたいという「麻痺」状態の表れです。鳩山政権の「マニフェスト」をみると、抽象的で大衆迎合主義的なコンセプトが列挙されていて驚かされますが、残念なことに日本の選挙民はこれを好んだのでした。 しかし、日本の主要問題とは、少子化を解決することや国家が学校教科書の費用を負担することなのでしょうか。日本の方々は日本の未来はアメリカ兵を日本列島から追い出すことだと本当に確信しているのでしょうか。官僚に対する対決宣言を考えてみてください。官僚を何と代替させようとしているのでしょうか? 毎日一つは露出するスキャンダルで知られる「泥棒政治家」とでしょうか?
日本の官僚は「見えざる手」を「見える手」とうまくブレンドすることができたことで世界中から賞賛されていることを私はよく知っています。それなのに、今になって官僚に「還俗」せよというのでしょうか。
正直言って、何かもかもがっかりさせられることばかりです。世界経済における日本の役割は何かというような、真面目で広範な討論を展開することは有意義ではないのでしょうか? 移民に対するアレルギーが強いので日本は将来人口1億人以下の国になる運命にあります。したがって人口動態学は日本では有利に働きません。また、グロバリゼーションについては議論の余地はなく、決定事項なので、世界における競合の問題があります。高コストにもかかわらず競争力を維持するためにはどうしたらいいのでしょうか? 日本と中国とのGDPの落差は中国の労働力コストが日本の労働力に比べごくわずかであり、今後もそうであることを明確に物語っています。 したがって、日本ではこれまで以上に創造性の高い優れた学校を構築する必要がありましょう。イノヴェーションへの投資も必要でしょう。結局のところ、変革が必要なのです。しかし、実際には日本ではどこで議論がされているのでしょうか? 何について議論しているのでしょうか?
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イタリアに話をもどすと、これも同様に失望することだらけです。議論しなければならないことを除いた他のことだけを終始議論し続けています。産業政策は立案されず、プログラムも検討されず、「イタリア式システム」も誕生しません。政治討論はベルルスコーニの話題が独占しています。彼の女性問題や刑法訴訟事件などばかり。ベルルスコーニ問題のみが唯一の討論テーマとなりはてています。したがって文化はうまれません。
日伊両国とも退化の段階にあることは驚くにいたりません。真剣で有意義な議論を通してのみ発展していく文化というものが欠如しており、現状は失速段階から逃れられません。若者は「現在を楽しむ」ことだけに集中しており、ほんの一瞬を楽しんでいます。そしてGDPを越したとか越さないといった幻想を与えるだけで意味のない事柄で安心したり、逆に心配したりしています。そして両国ともよりよき時代が戻るのではという希望の中に閉じ込められているのです。
親愛なる皆さん、遅ればせながら新年おめでとうございます。
(翻訳:JIBO 編集部)