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1999/10/1

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イタリア地域経済通信



積極的な国際化推進

ウーディネの「椅子の三角形」地域


photo 1.欧州最大の椅子産地を形成

1200社の製造企業が集中

イタリア北部、旧ユーゴスラビア国境に近いウーディネ県の西部に、「椅子の三角形」と呼ばれる18の市町村からなる地域があり、木製椅子の製造企業1200社が集積している。あわせて、約100キロ平米の「三角形」で年間に生産される椅子は5千万脚(98年)。従事者は14000名、年間売り上げ高は推定で4兆リラ。イタリア全体の8割、ヨーロッパ全体の5割、世界の3割を占め、ヨーロッパ最大の椅子生産産地を形成している。

1200社のうち、自社ブランドで最終製品を市場にだしている企業は約250社。そのうち、世界的にも高いレベルに達したリーダ企業が5社ほどあり、次に中堅が50社前後、その他は、製造メーカーといえども小企業だ。このように小企業が主流の産業構造の中で、工程ごとに専門化した「下請企業」を最大限活用した分散生産体制が構築されている。大半が家族経営企業だ。

椅子のすべてを生産

生産する椅子の種類は、住宅用、オフィス用、業務用(ホテル、レストラン、会議場など特注椅子)と幅広く、高級品でデザイン的にすぐれたものから、各国の大衆家具流通チェーンで扱われる普及品まで、あらゆるジャンルの椅子をつくっているのが同産地の特色だ。対象市場は世界各国。事実、売上高の9割以上が輸出にむけられている。

第二次大戦後に産地として確立

もともとこの地域は貧しい寒村で、椅子づくりも農民たちの副業にすぎなかった。19世紀に当時同地域を支配していたオーストリアの女帝マリア・テレーザが、教会建設用としてユーゴスラビアの森の木をきることを許可したことを契機に、椅子づくりが急速に進み、第一次大戦時には年間120万脚に達した。椅子の工業生産が確立したのは第二次大戦後のことだが、戦後復興の波にのり、イタリア国内市場の需要が高まったことも追い風となった。50年代、60年代には毎日、新しい会社が一つできたほどである。


2. 下請け基地からの脱皮

長い間、生産のみに従事

現在は、生産量の9割を輸出という同産地であるが、この地域の椅子づくりは、農民的・手工業的な社会のリズムの中で発達してきており、生産者がその製品の販売に直接関わることはなかった。第二次大戦直後も、ドイツ人を主とするバイヤーや家具専門メーカーに販売は完全に依存する状況にいた。つくった椅子の大半はドイツから来た業者のトラックで運ばれていったため、椅子を売りにいくという経験はゼロに等しかった。一部の中堅・大手企業は、技術革新やデザイン志向を深めることで自社ブランドの製品化を進めるところもあったが、大半を占める中小企業は、生産だけに従事していた。そのため、70年代までは大半の椅子は、家具流通企業や地域外の大手家具メーカに手足をすべて握られていたといって過言でない。この地域の椅子を買って、台所や居間のテーブルセットを完成させて市場にだしていたのだ。

ドイツ家具市場の危機を契機に

これらの「バイヤー」から開放され、独自に市場を開拓する取り組みが始まるきっかけになるのが、皮肉なことに80年代中頃のドイツ家具市場の大不況という現象であった。ドイツで国内の家具メーカ保護のため、イタリアからの輸入を制限する「保護政策」がとられることとなったため、この地域の歴史上始めて、椅子の「営業・販売」という領域にタッチせざるを得なくなるのである。生き残るために、自ら営業活動を組織することが義務づけられたのだ。


3. プロモセディアの活躍

真の国際化を推進

1983年、地元商工会議所と地域の椅子製造企業百社が出資して、営業活動を組織的に行うためにプロモセディアが設立された。最初の活動は、これまでドイツやオランダ等の業者が営業に行っていた海外市場に直接出向き、顧客を開拓することであった。それにより中間業者をカットし、価格が下がり、結果的には、この地の椅子の販売量は倍増した。こうした動きを経て、この地の椅子メーカ経営者の意識も大きく変り、生産だけでなく、営業販売を見据えた椅子づくりに取り組むように変化してきた。 企業の内部にも大きな変化が80年代以降おこってきた。中規模の企業内部に販売部門が開設されてきたことである。自らカタログや自社のマークをつくったり、地域別のエージェント制を導入したり、駐在員オフィスの海外設置等、営業活動を開始した。

椅子の国際見本市

こうしたプロモセディアの活動の柱となったのが、椅子の国際見本市の存在だ。1977年に地域の見本市としてスタートしていたが、プロモセディアの誕生後、83年には国際見本市へとランクアップし、その後、展示製品の品質と数量が大きく伸びた。 産地は中小・零細企業が大半であるが、地元の見本市であるがゆえに旅費や滞在費の負担なしに、国際レベルでのバイヤと「直接出会う」機会を得られたのである。椅子メーカの海外市場開拓に、椅子の見本市の果たした役割は非常に大きい。

オリジナル・デザインの椅子を開発

椅子のデザインに関しては、一般的には、この地方では、伝統的なモデルをそのまま使うか、一部を社内でマイナーチャエンジして踏襲することが多かった。あるいは、大衆・普及品を扱っているメーカでは、買いつけ家具流通業者からモデルを指定され、それをつくっていた。その後、上述したドイツ市場の危機以降、自社のブランドで製品を売りにいく必要に迫られ、始めて、自社のオリジナル製品を作る必要が生じてきたのだ。椅子の企画デザインは社内の技術スタッフあるいは社外や地域内外の専門デザイナーや建築家を使って、各社ごとに、新しい椅子のデザインを手がけることになったのだ。

とはいえ、一流デザイナーと地元の家具メーカー各社が個別にわたりあうことは当初、難しかったため、ここでも、プロモセディアが中に入り企画を進めることで、家具メーカとデザイナーの間で交流が生まれるようになった。椅子の見本市では、新しい椅子のデザイン審査が行われ、発表した試作品をもとに、さらに発展した作品が製品化されるようになっている。このように各社がオリジナルな椅子デザインに意欲的に取組み、独自性をだすようになったので、積極的な市場進出が可能となったのである。今では、イタリアをはじめ、イギリス、ドイツ、日本、ロシアなど多数の内外デザイナーがここに椅子をつくりにくる他、産地内にも約50名のデザイナーが活躍している。

99年9月の第23回国際椅子見本市

99年9月11日から14日にかけてウーディネ国際見本市会場で、第23回椅子の国際見本市が開催された。77年の初回には出展75社、ビジターもわずか540名であったが、99年の今回では、9600uの床面積に、213社が出展。5000種の製品が展示され、65ケ国から14000名のビジター(すべて業界関係者)があった。

今回は、もはや定例行事となっている出展された椅子から優秀作品を選ぶ「TOP−TEN」や「今年の椅子大賞」などのイベントに加え、新たに、欧州連合内各国の建築科やインダストリアルデザイン科 在籍の大学生を対象とした「椅子デザインコンクール」が新設され、入賞者の椅子のプロトタイプが展示されて注目を集めた。 さらに、本年の特色としては、年1回の椅子国際見本市を業界関係者の商談・イベントの場だけに終わらせず、椅子の世界に市民が直接触れ、親近感を持ってもらうよう、ウーディネ市内各所で、「椅子の百年展」「空想椅子展」などさまざまな催しが同時開催されたことであろう。

プロモセディア設立からわずか15年。積極的な国際化戦略とデザイン力強化の活動の結果、「椅子の三角形」産地の体質は大きな変身をとげたようだ。


(大島悦子)


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