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ITALY NEWS
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2008/6/30 



  イタリアの日本人
  GIAPPONESE IN ITALIA  


この10月に新会社設立7年目を迎える
日本とイタリアの合弁会社


DNPフォトマスク・ヨーロッパ 
DNP Photomask Europe S.p.A. 社長
高木文夫氏 (Fumio TAKAGI)



2003年10月13日創立のDNPフォトマスク・ヨーロッパ社。印刷会社として世界トップの大日本印刷と、半導体メーカー世界ランキング5位のイタリアのSTMicroelectronics社の合弁会社として大きな注目をあびてスタートした。工場建設からイタリアへの技術移転などを陣頭指揮し、技術革新の極みともいうべき半導体用フォトマスク製造会社を軌道にのせた高木文夫社長をミラノ郊外にある同社をたずねお話をうかがった。

●高木さんのこれまでのプロフィールを教えてください
1949年、東京生まれ。1974年に慶応義塾大学工学部大学院応用化学科を卒業後、大日本印刷株式会社に入社し、中央研究所に勤務しました。印刷技術を応用した壁材、壁紙などの建材関連の開発に携わりその後、1984年に本社研究開発部門の担当となり、その関連で1986年から約5年半の間、ドイツ・デュッセルドルフ駐在員として赴任し欧州の印刷技術に関する情報収集情報提供の仕事に従事しました。印刷会社としての活動とヨーロッパ市場で私どもの開発した商品が通用するかどうかを探るエンジニアリング・マーケティングを行いました。たとえば、当時、大日本印刷ではプリンタのリボンを印刷における校正用に使えないか検討していました。そのため、ヨーロッパ各国で新規材料の届け出をどのようにするかの調査もしました。EUでルールはあるものの実際は各国で考え方が違います。ベルギーでは部品として考えれば届ける必要もないと言われました。一方、フランスは環境庁、通産省の2機関があり、意見が違う。しかし大国ドイツは新規物質として届ける必要があると押し切られてしまいました。

その間、イタリアにもよく来ていました。イタリアにはグラビア印刷用機械で世界的に有名なチェルッティ社という会社があります。この会社は幅3メートルもある巨大な印刷機を製造しています。出版用グラビア印刷機では、もともとグーテンベルクからはじまったヨーロッパが主流でイタリアとドイツが強い。その当時、大型グラビア印刷機はこのチェルッティ社とドイツのKBA(Koenig & Bauer AG)アルバート社の2社しか作っていませんでした。それ故、ドイツ駐在中はヨーロッパ・ロトグラビア協会(Eropean Rotogravure Association)の会合にも良く参加していました。

その後、本社に戻り、1995年に生産総合研究所で副所長として工場の設備や生産システム開発のマネージメントを担当しました。大日本印刷では大型印刷機など基本的には海外から購入していますが、生産性をあげるために自分たちでノウハウを蓄積して生産性を向上する研究を筑波の生産総合研究所(現技術開発センター)で行っています。

1998年に研究開発推進本部長に就任し、R&D部門の責任者となり、2001年に半導体製品事業部(現在の電子デバイス事業部)の製造本部長に就任しました。そして2003年イタリアのDNPフォトマスク・ヨーロッパ社長に就任し、今日に至っています。

●「フォトマスク」について少し説明して下さい
フォトマスクというのは、半導体メーカーが、半導体回路をつくる際の「原版」となるものです。
透明な基板の上に光を通さない薄膜でパターンを形成したもので、電子工業における光学的転写方法で用いられる原板です。半導体の回路図のデータをもとにデータを変換してフォトマスクが製造されます。基板の材質は石英ガラスです。価格は1枚1000ドルマスクといわれる安価なものから、1枚で2000万円するものまであります。

フォトマスクは半導体メーカーが、たとえば新しい携帯電話などに使う半導体チップをつくる際、開発段階に多数用いられることが主となります。半導体メーカーが新しい性能を持つチップを開発する際の試験や開発に必要となるものです。したがって、一番重視されるのは技術水準に加えて「納期」です。クライアントである半導体メーカー等の開発部門では思い描く回路図に対応するフォトマスクがすぐに欲しいのです。納品されたそのフォトマスクを原版として使って、実際に半導体チップをつくり、作動スピードなどの実験をする必要があるからです。その結果、修正を加えた回路図がまた届く場合もあります。その場合は改めてフォトマスクをつくり、納品します。各社とも開発にはしのぎをけずっていますので納期が極めて大切なのです。
回路図がデータとして送られてから場合によっては24時間以内に納品してほしいという要請もあります。

●大日本印刷について教えてください
大日本印刷は1876年創業。現在、印刷会社としては世界最大の規模を持ちます。全従業員数 38657名。売上高164億米国ドル(2008年度)。
業務内容は、多岐にわたっており、印刷やCDROM製造などの情報コミュニケーション部門が売上高の41.7%、パッケージングやコーティングなど生活・産業部門が同34.1%、そして、フォトマスクなどエレクトロニクス部門が同20.7%、その他4.5%となっています。

ヨーロッパへの直接投資としてはフランスにインクリポン工場、デンマークにテレビ用大型スクリーン(大型プラスチックレンズ)工場を有しています。

●新会社創立のパートナーとなったST社はどのような会社なのですか
正式名はSTMicroelectronics Srl (以降「ST社」)と言いイタリアとフランスの会社が合弁してできた会社です。半導体メーカーとしては現在世界ランキング5位の規模です。ヨーロッパや米国など世界各地に製造部門を持ちます。 ミラノ市郊外のアグラーテには従業員4千名規模の半導体チップ製造工場を持つ他、フランスのグルノーブルには更に大きな開発部門があります。ST社はノキアや自動車会社などクライアントの裾野が大変広く、技術水準も高いエクセレント・カンパニーです。

●ST社との合弁会社設立の経由は?
もともと、大日本印刷のフォトマスク部門では、従来は、海外のクライアントに対し、日本でフォトマスクを製造し航空便で送っていましたが、時間がかかります。日本から送っていると通関などで3日間かかってします。時間的問題に加えて、開発側と物理的にもそばにいることで直接打ち合わせをしてここを改良しましょうと、フェース・トゥ・フェースで話すことでクライアントとの距離を短くする必要がおこってきました。そんな中、ST社からそばに工場をつくってくれないかという話が持ち上がってきたのです。

大日本印刷のフォトマスク部門ではヨーロッパに数社のクライアントがありましたがST社がそのうち最大のお客様でした。1980年ごろからST社にはフォトマスクをサプライしていました。ST社では内部にフォトマスク部門をもっていましたが、すべては内部でできないのでその部分を大日本印刷にだしてくれていたのでした。

なお、半導体メーカーの中には、フォトマスク製造部門を社内に持っている会社もありますが、フォトマスク開発には莫大な投資費用がかかるため、基幹部門である回路の設計と半導体チップ製造の部門に業務を集中させ、フォトマスク製造を外部の専門会社に委嘱する会社も多いのです。ST社も15年位前から社内にフォトマスク部門を持っていましたが、回路の設計とシリコンチップの製造に集中させることを決め、中間に必要となるインハウス「フォトマスクの製造」をクローズし外部化しようとしたのです。そして大日本印刷に対し、ミラノのST社の敷地内に、フォトマスク専門会社を合弁で創設しないかという打診がありました。弊社からももちかけました。

大日本印刷にとっても、コンスタントに仕事がいただければありがたい、ST社と両者で最先端の技術を磨きあうこともできる、ST社にとってもいいテクノロジーを活用できるし、ここがもうかればプロフィットもあるということで、DNPフォトマスク社の設立が決まりました。資本比率は大日本印刷が81%、ST社が19%です。うまくいえば、WIN WINの関係で両者ともハッピーになれるではないかというのがコンセプトでした。弊社も最先端の技術を提供していくので一緒にやりましょうと。いわば相思相愛の関係でした。

2001年の暮れごろから交渉の話があり2002年5月に成立しました。実際に工場の稼動は2003年10月からはじまりました。

●責任者としてイタリアに赴任されることになりどう思われましたか?
実は、ST社との契約が大筋出来上がった後に、私が責任者として行くことになりました。
私が行くように内示を受けたのは1年ほど前です。当時、私は半導体製品事業部の製造本部長でしたが、プリント基板を製造している部門でフォトマスクはまったく別部門でした。

役員から呼ばれていくと、「お前はあっちへいけ」と。おそらく、5年間のドイツの体験があること、こちらの人間と話ができること、こちらの文化にも多少慣れていることで選ばれたのではないかと思います。私はそれまではST社との関係はまったくありませんでしたし、フォトマスクも自分のそれまでの社内での経歴にはない部門でした。イタリア行きが決まってからフォトマスク部門に移って1年間勉強しました。

この話を聞いた際、片方では責任が非常に重たいと思いましたが、もう片方では、「やった」というすごく嬉しい気持ちでした。私どもの会社で技術関連部署では海外に2度赴任する人はまずありません。営業の人の場合はありますが。

当時は53歳なので、当然会社の中での自分の立場や将来像も描かなければならない時期にありました。そんななかで、工場を建てるところからすべてやらせてもらうようなエキサイトな仕事をさせてもらえるとはと非常に嬉しかった。一つの懸念は、家族のことでした。一人娘が大学2年生でした。工場を建てるところから行うので腰掛け状況ではだめ。こちらに真剣さを見せるためには、夫婦一緒に行かねばならない。その日の夕方まで、家族のこと、娘をどうするかなど考えましたが、夜9時に家に電話して、遅くなるけれど寝ないで起きててくれと頼みました。帰宅すると、察しがいいのか、「どこに行くの?」と家内がきくので、「イタリア」というと、家内は「私、行くわ」と二つ返事。娘も「行ったら。大丈夫、何とかするわ」。本当はこれで一人暮らしを経験できると喜んだようです。ということで家族の面もクリヤーしました。

●実際にイタリアにいらしてみていかがでしたか?
正式赴任は2003年の3月12日です。その前に2002年の春には担当となり、その後ビザの問題や建築申請やら打ち合わせやら何度もこちらへ足を運びました。工場ができたのが2003年9月で、2003年10月13日がオープニング式典をしました。
ST社から、土地を買って地盤の調査から始めました。すごく心配でした。工場建物は弊社京都工場も作ってもらっている関係で竹中工務店さんにお願いしました。苦労はオープニングまで、役所への届出に時間がかかり物事がなかなか進まないことです。私の労働許可書の申請も大変でした。そしてさらに困ったのは、イタリア側の事情を日本の本社側がわかってくれないことでした。「おまえのやり方が悪い」といわれてしまって。

ただラッキーだったのは、契約の際からST社から人員をだしてくれることになっており、工場長にはST社のフォトマスク部門の課長だった人が就任してくれました。 今、彼は当社の役員でもあります。製造畑の人で製造技術に対し感性を持っているので現場をうまくまとめてくれています。工場長とはうまくいっています。 敷地はST社から購入しました。工場の稼動に必要なエネルギー源(純水、冷却水など)やファシシリティ類もST社から供給を受けています。さらに社員食堂などもST社からサービスを提供してもらっています。その上では恵まれた環境にいると思います。

ST社はお得意様でもあり、また経営者でもあります。財務担当の非常勤の役員もだしてくれています。その意味では弊社がどこと商売をしているかもST社に対してはすべてガラス張りです。

●創立されてからのご苦労は?
一番苦労したのは日本の技術の移転です。工場には、日本から技術を持ってきたわけですが、それをどう移殖するのか。日本では技術を技術屋さんが機転をきかせてその場その場で改良していく風土があります。こちらはマニュアル的なものを整備しなければなりません。それをどのように伝えるのか。大日本印刷の本社でつくっている技術とまったく同じものをつくるためにはどうするか。

日本側にもはかって、研修生で雇いはじめたスタッフに対し、私は「ISO9000 を1年間で取得すること」を宣言しました。ISO9000とは要はマニュアル作りなのです。具体的な全員の目標を提示することが大切と考え、そのアプローチにはマニュアル作りがいいと思ったのです。日本と同じ技術、同じ品質のものをつくるためには、イタリア語でのマニュアル作りが必須です。それはただ日本語のマニュアルをイタリア語に訳してもダメです。イタリア人スタッフが中身を理解し自分の言葉で語れる、実施できる内容のマニュアルを一緒に作るという作業が必要なのです。それで、日本語のマニュアルをまずは英語に直して、それをもとにイタリア語のマニュアルをつくりました。言葉を訳していくうちに内容が変わっていってしまうこともあり、非常に難しいプロセスでした。しかし、全員の共通目標となり、宣言通り、ISO9000を取得したことでスタッフも満足感と参加意識を得られたことと思います。最終的にイタリア語のいいマニュアルができました。

●現在の会社概要を教えてください
従業員数は当初は20名からスタートしました。2009年4月1日現在、社員は126名。日本人は私を含めて5名。(技術2名、経理部門1名、営業1名) 工場のワーカーは80名。 工場面積は4900uでそのうち1600uはクラス1000のクリーンルーム。中心エリアはクラス10(1立方フィートの中に0.5ミクロン以上の浮遊ゴミが100個以内)。建物のキャパシティからも将来も最大150名程度でしょう。24時間3交代で土日なしに稼動しています。
技術開発は日本本社。イタリア人技術スタッフを日本で研修をうける場合もあれば、日本人技術者にきてもらう場合もあります。

イタリア人のワーカーはクリーンルームの存在など知らない人ばかりを最初に雇いました。手工業の国なのか教えると自分たちなりに工夫してやっています。制度的には派遣会社から派遣してもらってよければいい人材を正社員として雇用している。そういう意味ではいい人間を選べています。労務上の問題はありません。
定着率は平均よりはいいものの、頭痛の種はここで生産技術や品質管理などキャリアを身につけるとでていってしまう人が少なくないことです。ワーカーとエンジニアの間位のレベル。日本の生産技術や品質管理をできる人はツブシがきくためでもあるでしょう。労働条件は非常にクリーンで清潔な中で働く点は好条件ですが、3交代で夜勤があることが若い人にはいやだといって辞められてしまう原因になっているようです。

生産は、1日、フォトマスク20枚―25枚程度。年間5000枚程度。廉価なフォトマスクであれば24時間内に納品し、高価なものは平均5-6日で納品します。

よく社内で冗談をいうのですが、我々の仕事は「その日暮らし」の仕事です。というのはすべて1つずつ受注しそれを一つずつつくるからです。大量生産品ではありません。1枚当たりの価格は8万から800万円程度。 なぜ時間がかかるかというと、描画して一つの画像をつくるのに数十時間かかり、そのあと行う検査にも時間がかかります。オーダが同時に沢山入った際には日本で受けて調整してもらいます。ここで機械のトラブルがあれば日本におくって日本から納品します。

我々に受注が入るのは金曜日が多い。また夏休みやクリスマス休暇前に沢山受注が入ります。クライアントの開発部門の人々が休暇前にオーダをだして、休暇から戻ってすぐにそのフォトマスクを使って実験をするためです。したがって弊社はイースタとクリスマスを除き年間360日稼動体制をとっています。

現在の弊社の顧客としては、ST社のミラノ・アグラーテ工場が仕事の10%程度、ST社のフランス・グルノーブルにある開発センターが80%程度。その他、イスラエルの半導体メーカーにも納入しています。日本にいたのでは仕事のこないクライアントからも仕事を受注できます。 ST社では様々なテクノロジーを用いるため、弊社も常に最先端の技術で対応する必要があり、それが大変な刺激となっています。

現在、大日本印刷で、フォトマスク部門で海外進出をしているのは世界中でイタリアだけですが、今後台湾工場でも製造していきます。 本当にイタリアで大丈夫?という懸念もありましたが、今はこの工場がフォトマスク部門の工場として深く根を据える事ができました。

●お仕事を進める上で難しいことはどのようなことでしょうか?
この分野は技術開発がキーです。世の中、どんどん進む中でどう追いつくか。次のテクノロジーへの投資が必要となります。投資金額は1回に80億から100億円レベルの投資が必要となります。画像をつくる1台の描画する機械が40億円程度かかります。また、その機械でできる製品を最終的に検査する検査機械が生産機械よりも高価なのです。

ですから、2003年秋に稼動をはじめて、当初は180nm(ナノ・メートル=0.000,000,001メートル)のレベルであったものがその後90、65、45nm、そして32、28と高くなるばかりです。今後も毎年、このレベルの投資ができるのかというのが問題となっています。
3年ほど前に65nmの投資の場合は、市場がまだ立ち上がっていないため、実際に仕事がくるまでに1年かかりました。したがって財務的には大変厳しい投資となりました。

幸い、2008年から65 nmが立ち上がり、2008年秋から不況といっても、弊社は順調に業績をあげています。なぜなら弊社の顧客は開発部門であり、世界が不況にみまわれていても、顧客の開発部門での開発のスピードを緩めていないからです。半導体市場全体が縮小傾向にあるとはいっても、開発の波と製品化の波は違うのです。

ST社からはクライアントとしても株主として、プレッシャをかけてきて、納期を短くするために、最先端技術を日本ではなく、イタリアで投資してほしいといってきます。

10年前には、一つの技術は3-5年もちましたが、今は、1-2年でテクノロジーが変わってきています。投資の規模がここまで大きくなると逆をいうとフォトマスクは新規参入は難しくなっています。フォトマスクをつくっているのは、大日本印刷、凸版印刷、Dupont Photomask 、Photronicsの4社でしたが、凸版とDupontが合併したので、現在は3社となっています。
実質的にはフォトマスク部門は大日本印刷と凸版印刷が持っていて、後は半導体メーカーが内部にもっているというのが業界の構図です。

常に最先端の技術を追いかけて、その技術に見合った製造設備を導入する為に投資して行かねばならず、古い製造技術ではマーケットを失ってしまいます。技術力での競争です。

今後の課題は次のテクノロジーがいつ来て、投資できるかということでしょう。投資の時期の判断をするのが難しい。DNP Photomask Europe S.p.A.社の観点からだけではダメで、大日本印刷のフォトマスク部門としてみていく。ここミラノは調子がよくても半導体の市場全体はシュリンクしているため世界的にはそうとは言えないし、またその逆もあるわけですから。 投資を総合的な観点から見て最終的に決めるのは本社です。

●これまでのお仕事を総括なさると?
6年目に入りました。総括すると、非常に満足しています。技術レベルでも世の中についています。業績的にも満足しています。イタリアでのシェアは確保していますし顧客満足度も高い。

私は、イタリアだからダメだといわれたくなかった。これが失敗して次に足が出ない、そのようなことは避けたいと。印刷業というのは元来ローカルなものです。大日本印刷もしょせんはローカル企業で海外の生産も10%にもいっていない現状では、海外の経験ができる人も少ない。したがって海外の生産拠点まで立ち上げる仕事は極めて稀な仕事です。それを「おまえに任せた」といわれれば失敗できない。気持ちのプレッシャは予感していました。

この仕事をして心がけていることは皆とよく話すことです。社長室はありますが、ほとんど行きません。製造部門の大部屋の中に机をおいています。工場長の席も隣の隣にあり、常に話すことで分かり合えうまくいっています。スタッフたちとはいつも議論をしています。論議になって反対意見もありますが、大切なことは向こうに意見をいわせることです。そして巻き込むこと。話つくした上で 「Facciamo cosi 」(じゃあ、こうしようか)といえばついてきてくれる。高木がそこまでいうならしょうがない、と。

●日本との違いはどのような点でしょうか
日本よりは仕事のメリハリがあると思います。こちらの方が集中して仕事ができます。日本は雑用が多い。日本は会議が沢山ある。そのくせ、会議では意見を言えない。温和で終わることが大切です。ドイツの駐在から戻った頃、会議で、思ったことをいうと上司から「お前がいなければ会議は穏やかに終了したのに」とクギをさされました。

ただ、日本人のスタッフは一つをいえばプラスして考えます。こちらは1いうと1。こちらが思うよりプラスしていうと、やっと1がでてきます。イタリアの場合は職務権限がはっきりしているためかもしれないません、これはオレの仕事ではないという定義が。

とはいえ、ドイツ人と比べると、イタリア人はあるクラスになると、フレキシブルに対応してくれます。ドイツ人は頼んでも残業してくれなかったけれど、イタリア人は理由がわかると気持ちよく理解してくれ残業してくれます。

●プライベートの面ではイタリアの生活はいかがですか
ドイツと比べると、まず、食事は問題ありません。
イタリアは日本にいるような感じがすることがあります。音が母音が多いので日本語のように聞こえて耳障りでありません。それと、古きよき時代の日本のようにお年寄りを大切にする点はいいですね。居酒屋のようなところも多い。思ったより治安もいい。残念なのはゴミが多いこと。車からタバコやゴミを捨てる。その点はドイツはきれいでした。
そして、電化製品の修理はこないし、よくこわれます。これはあまりいっても仕方がありませんが。

毎週、週末には近くのスポーツクラブに通い体を鍛えています。水泳も個人コーチの指導で格段に上達しました。

(聞き手:JIBO編集部 大島悦子)

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