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ITALY NEWS
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2008/11/30 



  イタリアの日本人
  GIAPPONESE IN ITALIA  


サルトリア イプシロン


Sartoria Ypsilon 代表
船橋幸彦 氏 Yukihiko FUNABASHI



1977年に洋服作りの修行のためローマに。その後1994年からミラノに拠点を移し、オーダーメードの紳士服を手がける舟橋幸彦さんの仕事場をおたずねした。ミラノのファッション中心モンテ・ナポレオーネ通りとシックなマンツォーネ通りの交差点に近いアトリエで、ご自分の洋服作りを目指して一筋の船橋さんにこれまでのお仕事や今後への抱負などをうかがった。

●これまでのお仕事の軌跡を教えてください
長崎で生まれました。実家がオーダーメードの洋服屋を営み、婦人物と紳士物の仕立てをしていました。私は家業を継ぐに当たり将来に備え洋服の本場での留学を志しました。当時、全日本洋服組合が実施していた派遣留学システムでロンドンに行っていた方をみつけてその方としばらく文通をしました。1年間実家で基礎を学んだ後、1973年に上京し、その文通相手のお父さんが東京でやっていた洋服屋で3年間修行をしました。その後、76年に私もその派遣留学システムの長崎県代表としてロンドンにわたりました。当時は日本中いろんな県から洋服屋の息子がこのシステムで英国に勉強に行っていました。

私はなぜか元々イタリアに興味があり、特にアンジェロ・リトルコAngelo Litorcoというサルト(仕立て屋)に関心があったのですが、当時は派遣留学システムでイタリアに行く道はなく、イギリスに行った次第です。ロンドンにいってみると、イタリア人のサルトが沢山いました。まだテーラー全盛時代ですので、いろんな国から、いろんな人種の人々がサルトをしているのが印象的でした。アメリカでもテーラーはイタリア系移民の人が多いとききました。1960年代にはミラノも、石をけっとばすとサルトにあたるといわれるほど町中に仕立て屋があったときいています。

ロンドンでの私の研修先は英国皇室ご用達というHawes & Curtisという洋服屋でした。チャールズ皇太子もまだ結婚前で、洋服を沢山注文してきたらいよいよ、ご成婚かなどという噂がたっていた時代です。チャールズ皇太子の弟のアンドリュースのディナー・ジャケットを縫わせてもらう貴重な経験をさせていただき。女王からWhat's a beautiful jacket と言葉を戴いたときいています。

<ローマでの修行時代>
1年間ロンドンで修行をした後、77年にローマに来ました。
紹介を得てカラチェリCaraceniという有名なサルトリア(仕立て屋のアトリエ)で研修をしました。有名人やVIPが沢山くる店で映画スターやシャルル・アズナブールなどの歌手も通ってきていました。以前からあこがれのリトルコのところにも遊びにいったりしました。またローマの「アッカデミア・ナツィオナーレ・デッラ・サルトリアAccademia Nazionale della Sartoria」 という専門学校に通いパターンメーキングやカッティングなどを学び修了しました。卒業の際、ドメニコ・チラチという90歳近い先生が「君が最後の生徒だ」と学校を去って行かれました。
ニコラ・ペルグリーノという有名なサルトがいてそこでも修行をしたのですが、コリエレ・デッラ・セーラで私のことを「白いハエ」と書かれました。イタリアでも70年代半ばからサルトが少なくなっていく時期で、日本からサルトの勉強に来ている私の存在が珍しかったのだと思います。

ローマでは忘れられない思い出の一つがあります。フェデリコ・フェッリーニの洋服をつくったことです。ペンションからアパートの一室が空き移ったとき、そこの台所のテレビでつけた時にフェッリーニの「道」が始まったのです。当時イタリア語のイの字も分かりませんでしたが、それみて素晴しい映画だと感動しこの様な素晴らしい映画を作る監督に是非服を着せたいと願ったのです。当時は食べるためにチネチッタの映画のエキストラもしており、フェッリーニの映画のエキストラのオーディションも受け、フェッリーニの服をつくるとう幸運に出合いました。大きなフェリーニの仮縫いをしている僕の写真とその際に残してくれた自筆の絵とフェッリーニのメッセージは今でも私の宝です。

80年にローマで個人会社「YUKI」をつくり独立しました。Via degli Artisti 34に店を出しました。その脇の店を買い、縫製場所も借りました。とはいえ、まだ実力がともなっていなく大変な現実に直面致しました。兄は大学をでて就職せず新たに婦人服の学校へと通い出しました。日本に戻らない私を案じ両親が私を迎えにローマに兄を送りましたところ兄はオペラが気に入って結局はイタリアに残り、現在は自分のブランド(プレタ)を出しております。

<「フィッティング」へのこだわり・模索の時代>
実は、ローマでカラチェリでもペルグリーノなどローマで修行をして多くの勉強させてもらいましたがだんだんと自分が本当に満足する服ではない、何か違うと思うようになりました。自分の理想の服をみつけなければという必至の思いでした。それはおそらく「フィッティング」の仕方で僕なりの理想が生まれたからだと思います。イタリアのパターンにはイタリアの美意識があります。採寸をして、型紙をつくり、仮縫いをお客様に着ていただき、そしてその方の体型と服とのバランスをとる作業、これが「フィッティング」の作業でありこれが命なのです。これが非常に大事なのです。その方の縦糸と横糸が吊り合った瞬間美に変わるそのことが大切な洋服作りの命なのです。

フィッティンブのあり方を求めてしょうもなく自分で体当たりをしていった時代です。600キロ離れたお客様のもとに車を走らせて再度確認に行ったりとかして多くの時間を費やしました。自分で満足の行くものをつくりたいということで「イバラの道」に飛び込んでしまいました。フィッティングについては独学で自分のものを確立していきました。
体型は太っている人、やせている人といろいろ居られますが、フィッティングできちんとバランスをとると太っておられてもスマートにみえしかも動きやすいのです、痩せている方は立体的に見えストレスを感じないのです。もしこのような理想の服をおめしの方とすれ違うと誰もがあっと思って必ずそこに目がいきます。ですがそのバランスをつきつめるのに大変な時間がかかってしまいました。

●現在のサルトリアについて
1994年ノアの箱舟さながら職人もつれてローマからミラノに移りました。最初は兄と一緒にやっていましたが、その後それぞれ独立し、兄はプレタの方をやっています。
現在のサルトリアではメンズのスーツが中心です。
私の仕事はミシンを一切使わない。手縫いが基本です。表も裏地、芯地もすべて手縫いです。ミシンを使わないでこまかく、ゆっくりゆっくり縫う。ミシンはモーターがあるのでどうしても糸をひっぱってしまうため柔らかさがでません。

私がイギリスからイタリアにきて教わったのは「洋服は手で作って甘く優しく手で縫うのだ」ということです。イギリスや日本でミシンを使ってバンバンと縫って行く方法とは違う世界をイタリアで知りました。イタリアのプレタと日本のプレタとの違い。イタリアの場合は縫い方が「甘い」のです。
イギリスは産業革命をおこし、モーターをつくった国ですのでミシンをバンバンと使います。日本のテーラーは、イギリスから学んでいますので、ミシンでバンバン縫う縫い方を伝承しました。日本は和服でも糊付けなどをビッシとすることに慣れているので、洋服もビシットした硬いつくりをしてしまうのでしょう。

ところが「クラシッコ・イタリア」というのは手縫いの味をプレタでだすというのがコンセプトです。日本の洋服屋は手縫いの味をだせない。服作りを手縫いからはじめると、機械ではできない味をだせるのです。
イギリスはミシン専門ですが、イタリアやフランスの一部、スペインなどにはこの感じが残っています。もちろんイタリアのサルトリアではミシンも使いますが、大部分は手でやります。イタリアのサルトリアは手縫いの部分とミシンとの組み合わせが非常に巧みで、すべてがソフトな仕上がりになるのです。パターンから縫う行程まで一環してやる。この様に同じパターンを用いても仕上がりが違ってきます。

またイタリアと日本では洋服の作り方、縫い方も違います。つくる感性が違います。スーツのポケットのダーツ一つとっても、イタリアの場合はポケットで止めつきぬけない。日本はつきぬけます。肩パットも、ワタを一枚ずつ重ねてパットをつくります。空間の造る型が違います。肩入れ、上襟付けといせ込む量がイタリアはかなり多くより立体的になるところに違いがありますし勿論作りかたも違います。言葉にすると良い悪い別として、日本の服は平面でイタリアの服は立体的と言えるようです。

ところで、90年代半ば以降、日本でも「クラシッコ・イタリア」がメンズファッションの分野で一躍ブームとなり、私の仕事も雑誌などでもとりあげられるようになりました。東京のバニーズニューヨークのトランクショーにも出演させてもらいました。
現在は新宿伊勢丹の4階で「アトリエ・イプシロン」という私のセカンド・ブランドでスタイルゲートのコーナーができて、半オーダーメードの形で展開しています。日本の縫製工場で生産の指導をして、スーツ類とワイシャツ類をつくってもらっています。

●現在力をいれていること
結局は基本に戻ることがビジネスチャンスではないでしょうか。2002年から、自ら縫うことに戻りました。それによっていろんな発見をしました。トータルな視点で見ることで発見がありました。それがないと、今後の私の方向がみえなくなると。神様がアドバイスしてくれたようなものです。現在150年間着続けている背広の原型をこの様に先人が創造したのではないかと直面することもあります。
より高い山にのぼるためには上ったり下がったりが必要です。ここで良しとするとそこで止まってしまいます。より良い服を皆様に着て戴く為に私の頂点は無限である事でしょう。なぜならそれは私の道だから。
現在やっとカッティング、フィッティング、そして縫うことと全てを把握した服作りが出来るようになりました。何と志を抱いて37年も経ってしまいました。遅いと笑われるかもしれませんが、現代人が150年背広を着ている4分1を使ったと思えば……。

●生地についても特別のこだわりをお持ちとうかがっていますが。
明治政府は、世界中からあらゆる蚕の品種を集めて保管しました。日本政府は現在に至るまで、遺伝子工学に使うため毎年その品種を孵化しています。したがってたとえばシチリアの蚕などは素晴しいものなのですが、現地では疫病などでもう絶えているのですが、日本にはそのシチリア産の蚕があるのです。最良の品質のものでこの蚕を使って、人間の手で糸をひき天然染色し手旗機でおったものです。非常にやさしいシルクです。このシルク地でこの7月ミラノ領事館でミシンを一切使わず自ら縫い上げたジャケットを展示させて頂きました。

一方最近の生地は、世界中高速機械で織られているため、大きなねじれがでています。明治時代に日本政府がドイツから織り機を購入してそれを元にトヨタ精機が作ったションヘル低速織り機が現在でも日本で使われておりこれらが、ほとんど捻じれがなく作り手としては仕事し易く質もソフトな生地になるのです。早く織れることを大事にするのか、質を重んじるのか現代社会の問題点をまさに象徴しているようです。
ある日本の歌謡曲に古いやつほど新しい物を欲しがるもので御座います。右をむいても左をむいても
・・・・この歌詞が頭に浮かんできます。

●最近の洋服について感じられることは
80年代以降、既製服が普及するにしたがってイタリアでもいいサルトがつくった背広を着ている男性が少なくなりましたが、最近、テレビで、デ・シーカ監督の息子、クリスチャン・デ・シーカが着ている服をみてすぐ個性がみられサルトの存在感を感じました。昨今イタリのテレビでも見ても皆が同じような服を着ていて寂しい限りです。
メルカートを散歩していると、大量生産の服は呼びかけてきませんが、手作りの古着は見てくれとばかりに私の目を誘います。地下鉄にのっていても服を見ます。いつでも私の理想の服を探してしまいます。

●今後の方向・抱負など
自分の仕事が確立できたかなと思えるようになったのはやっとこの2〜3年前です。
20年前に、試行錯誤しつつもおもうように進まず、日本に戻ろうかと思った時期がありました。しかし、日本の洋服の作り方の川は存在し、もしそこに戻るならばたかが10年余りこちらで経験を積んだからといってもその川に流されることを予感してそれなら出来る限りイタリアでふんばってやろうと思いました。
その後、伊勢丹のお話があって、日本の工場で教えてみて日本人の手先の器用さに改めて感動しました。そして20年前の予感が今度は自分の川を日本で流せると確信致しました。日本にイタリアの服文化を確立させたいのです。
イプシロンの服は文化論、パターン、縫製、フィッテングと語ることがたくさんあります。自分の服作りを客観的に説明できます。ですから後継者も育てたいと思います。人種、国を問わず世界中の人に着て頂きたくサルトリアを展開したいと思います。

●グローバル化の中で手作り文化を残すために
現在世界中の国々がグローバル化を一斉に目指しております、多分にもれずイタリアも通貨までユーロに変えもうこの道を後戻り出来ない状態です。それでよくなったかと言うとどうでしょう。以前より悪くなったと言う方がほとんどではないでしょうか?モノがある事が豊かさだと勘違いさせるのが、グローバル化であるならば、今後簡単に早く物が作れるようになってその余った時間を人類は何をするのでしょうか?ただ消費してくれればいいのでしょうか?それでは養殖の鮭と同じになってしまいます。自然の鮭は大海に旅に出て又生まれた川に戻ります。私も大量生産の恩恵にあやかっている一人ですが、私の近代社会の理想はチャント10%物作りの空間を保つ事です。

トヨタ車が世界戦略しています。グローバル化の中の手本といえましょう。素晴しいことですが同時に近代は5%の手作りを残さないと近代とはいえないのではないでしょうか。グローバルに走ってブロイラー化していくのを歯止めしたい。第三世界の子供にも武器の世界の中でも、手でつくることが平和につながるのではないでしょうか。人間が文化としてつくれるものは微妙なことが多い。いったん失ってしまうとすべてが近代化されてしまうと余った人間がどうなるのでしょうか。手作りの仕事が残る余地はまだまだあると考えています。大量生産もいいがその中に5%は自分たちの手作りのものを残していきたい。大人が認識しないと子供は知るよしもありません。

イタリアのサルトも激減して、残るのは60歳代を超えた人ばかりです。後継者はいませんし、不安を感じます。かって、素晴しいスリッパをつくる叔父さんがいましたが後継者はなく、彼でおしまいです。
その面では、日本の方がまだものづくりに関心があると思います。手作りの世界は、一度捨てるとお金では買えません。

大量生産のものが溢れている時代ですが、一番いいものをお父さんにきてほしい。僕の服は10年間きれる。裏地もかえられます。ストレスがない。そういう服をきていただきたいと思います。

●イタリアの生活での感想は
生活面ではいろいろ不便な面も多いですが、スポーツが手軽にできるのが嬉しいですね。乗馬を前からしていて毎週2回乗馬クラブで汗を流します。精神面でも非常にいい。ゴルフも再開します。指揮者の服もつくってみたいと思っています。着物にも興味を持っているので和服を縫うことにも挑戦してみたいですね。

写真上: 「在イタリアミラノ総領事館で2008年7月に行った個展に出展したジャケット。総手織シルク地を用いてミシンを一切使わず縫い上げたもの」  

(聞き手:JIBO編集部 大島悦子)

Sartoria Ypsilon
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Tel & Fax 02-874474
http://www.sartoriaypsilon.com  Email: info@sartoriaypsilon.com


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