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ITALY NEWS
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2008/03/31 



  イタリアの日本人
  GIAPPONESE IN ITALIA  


イタリアを軸に地中海戦略を強化


日本郵船イタリア
NYK LINE (ITALIA) S.P.A. 社長
人見伸也氏 Shinya HITOMI



ミラノに拠点を設立して今年で45年を迎えるイタリアの日本郵船。2006年1月にはそれまでの駐在員事務所を現地法人に昇格。2007年には南イタリア・カラブリア州のジョイア・タウロ港に2万台以上の車が蔵置できる自動車船ターミナル運営会社を設立した。今後の地中海地域の発展を見据え、イタリアを軸としたダイナミックな戦略を強化しているNYK LINE (ITALIA) S.P.A.社長の人見伸也さんにお話をうかがった。

●人見さんのプロフィールを教えてください。なぜ、海運の仕事を選ばれたのでしょうか。
名古屋市の生まれで高校までは名古屋で暮らしました。大学入学と同時に上京し、1984年に一橋大学経済学部を卒業し日本郵船入社しました。
なぜ、海運の仕事にということですが、実は子供のころ船が好きで漠然と船乗りや船長の仕事を夢見ていたことがありました。そんなこともあり、小学生の時、「世界の客船」という図鑑を買ってもらい、たびたび眺めていました。 その図鑑の前半はカラーでクリーンエリザベス号など現役の海外の客船の写真があり、後半にはモノクロで戦前の華やかだった頃の日本の客船の写真が載っていたので、子供のころから日本郵船という名前を知っていました。
その後中学・高校、大学とすっかり船のことは忘れていたのですが、就職活動でハンドボール部の先輩のところにOB訪問した中で、日本郵船の先輩にも会う機会があり、話を聞くとスケールが大きくておもしろそうに思えました。また、子供のころ船が好きだったことや当時の海への夢なども思い出しました。船といっても客船ではなく貨物船の世界ではありますが。そんなわけで他社の内定ももらっていましたが、迷わず、日本郵船への入社を決めました。

入社後は船の世界を広く経験するため様々な部署の仕事をし、すでに入社後24年間たちました。勤務は東京本社が中心ですが大阪にも3年半勤務しました。外地としては香港に94年から98年まで勤務し、97年7月の香港返還を経験しました。その後日本に戻って営業の仕事に従事しました。 海運の世界の営業の仕事とは、貨物を運ぶ輸送サービスをクライアントに提供する仕事です。自社船だけではなく他社の船を借りることもあり、また、自社船を他社に貸すこともあり、そのようにして輸送サービスをオーガナイズします。
日本郵船の場合、具体的には原材料の輸入あるいは製品輸出に伴うあらゆる貨物の輸送が主な仕事です。たとえば新日鉄など鉄鋼会社の場合は原料としての鉄鉱石の輸入から製品の輸出までトヨタなどの自動車会社、あるいはパナソニックなどの家電メーカーであれば輸出製品の輸送を行ないます。また、タンカー、LNG船の場合は、石油・原油やLNGなどを輸出国から電力・ガス会社に運びます。 船の種類としては、バルカー、タンカー、LNG船、コンテナー船、自動車専用船、重量物船などがあります。日本マーケットでは飛鳥,欧米マーケットではクリスタルクルーズのブランドで、ラグジュアリークラスの豪華客船も運航しております。

私のプロフィールに戻りますと、ミラノに赴任する前は、東京の企画部門で乗組員の人材管理の仕事もやっておりました。今では弊社海上社員、要するに船員は、全世界で2万人以上おりますが、そのうち日本人は600人だけで、実に97%が、フィリピン人、インド人、東欧(クロアチア、ルーマニア、ロシア)人など外国人です。外国人乗組員をどこでリクルートしどのようにトレーニングして船に乗せるか、どう組織構成するかの企画も担当していました。船の上の世界は、非常事態もありますので船長には逮捕権・司法権等、特別の指揮命令権が与えられており一種特殊な世界です。したがい、日本人船員には、10年間程度の乗船経験を積み、船の世界の仕組みを知り、陸(おか)にあがってから管理職として働くことが求められるわけです。船の世界を知らないと仕事の進ませ方、乗組員の管理などができないため、現場体験をすることが必要なのです。 その後、2005年4月にミラノ勤務となりました。

●日本郵船について教えてください
日本郵船は今年で124周年をむかえる大変歴史のある海運会社で、もともとは郵便汽船三菱会社が母体となって発足しました。三菱グループ創立者の岩崎弥太郎が船を所有して商売をはじめたのが会社の始まりなので、三菱グループの源流企業の一つです。現在は活動範囲の幅が広がり、総売上高の中で海運部門は約6割のみで、物流(陸上運送、倉庫管理)20%、ターミナル運営 5%、客船クルージング2%、航空運送4%などとなっています。2007年度の売上高は2兆6000億円(予想)で、売上高ベースでは1位です。

●イタリアでの活動も古くからとうかがっていますが
今からちょうど45年前の1963年にミラノに駐在事務所がオープンしました。弊社の根本二郎現名誉会長(元社長、会長)が初代駐在員事務所所長をつとめました。元々、外航海運の会社ですので、明治時代から、世界各地に駐在員をおいており、ヨーロッパの地域統括本社は、歴史的に海運の拠点であるロンドンにあります。
駐在員事務所設立後、イタリアではジェノバとトリエステ発着のコンテナ定期船の運航をはじめました。高度成長期であり、日本からの大量の輸出貨物に加え、イタリアのメードインイタリア製品を沢山日本に運びました。当時はアジアからの輸送はほとんど日本で生産されたものを運んでいましたが、現在は、アジア発の船でも日本国内生産の製品は1-2割にすぎません。8割は中国を中心とした日本以外のアジアからの貨物です。日本郵船のイタリアでのビジネスは常に堅実に成長を続けており40年以上にわたり一貫してコンテナ定期船サービスを続けています。

さらに昭和40年代に日本からヨーロッパへの輸出車を載せた自動車専門船の運航が始まりましたが、二十数年前からイタリアへの定期寄港を始め、継続しております。また、1991年には、「NYK Logistics Italy」という物流会社をイタリアに設立しました。現在では、ミラノ郊外のアルーノに3万平米、ノバラに3.2万平米、パドヴァに6千平米、計7万平米近くの倉庫を運営し、イタリア国内とEU域内の他のNYKグループ会社と連携して陸上輸送および倉庫業を行う完全に現地化した会社です。日本企業のみならず、イタリアおよびヨーロッパの企業を顧客とした仕事をしています。 また、航空・海上フォワーダーの郵船航空イタリアや、ミラノから成田にジャンボジェット貨物機を飛ばしているNCA(日本貨物航空)もNYKグループの会社です。

●イタリアを地中海戦略の要と位置づけておられるようですが
私は2005年4月にミラノに赴任しましたが、翌2006年1月1日付でそれまでの駐在員事務所から現地法人NKY LINE ITALIAを立ち上げました。当地では40年以上にわたって総代理店がオペレーションをしており、ミラノ拠点は駐在員事務所という形でしたが総代理店から営業権の譲渡を受け、支社としました。
その理由は弊社のヨーロッパの展開の中で、地中海の意味が変貌し重要度が上昇してきたためです。数年前までは、弊社は欧州ではUK,オランダ、ドイツなど北欧州への投資を中心にしてきました。しかし北欧州のビジネスの成長率が成熟化してくる一方で、イタリアだけでなくスペイン、南欧、さらにはトルコや東地中海、北アフリア、黒海をも含む地中海全体のビジネスが大きく成長してきたため、弊社の企業戦略として今後は地中海にも重点を置くこととなり、イタリアを軸とした展開をすることを決定しました。そのためには駐在員事務所ではなく、自営会社として対応していくことが必須と考えてとイタリアに現地法人を設立した次第です。

●具体的にはどのようなお仕事をされているのですか。
現在、体制としてはミラノに25名、ジェノバに10名とイタリア人社員が35名です。日本人は社長の私のみです。 こちらに来る船の欧州水域での運航はロンドンが管理しており、イタリア会社の役割はイタリアにおける本船の入出港手配、内陸輸送手配 輸出入荷主の営業開拓です。

現在、ジェノバ港に、毎週1回コンテナ船が寄港していますので年間寄港数は52回です。扱いコンテナ数は毎船揚げと積みとで1000コンテナ(20フィート換算)あまりです。 コンテナ船はジェノバ港の契約ターミナルに寄港し コンテナはそこで一時保管されます。
イタリアの場合、輸出企業は中小企業が多いため直接荷主さんとの営業のやりとりをするというよりはイタリアのフォワーダーさんがクライアントとなる場合が多いです。 そしてフォワードさんを経由して輸出荷主にコンテナを貸して、そのコンテナを弊社のコンテナ船で輸送するという関係です。
また、自動車専用船が毎月サヴォーナ港, リヴォルノ港, ジョイアタウロ港合計で10隻以上寄港します。年間寄港数は昨年実績で144回です。イタリアへの輸入貨は、皆さんが日頃目にする日本からの輸入車です。イタリアからの輸出では、Fiat, Iveco等の車・トラック等を日本、アジア、豪州、中近東まで運んでいます。一般貨物船・重量物船が、ヴェネツイアのポルト・マルゲーラ港に月1回の割合でやってきます。家電製品等に使う日本製高品質ステンレススティールなどを毎月4000トンイタリアに運んでいます。

●今、特に力をいれておられることは
日本やアジアからの船がヨーロッパにどのような航路でアクセスしてくるかご存知ですか。多くの貨物は、スエズ運河を通って地中海に入り、ジブラルタル海峡を通過してその後北欧州に行きます。そしてロッテルダムやアステルダム、ハンブルグなどの港に着き、内陸に輸送されます。すでに北欧州の鉄道やトラックなど陸上輸送網のインフラが整っているため内陸へのゲートウェーとしての地位が確立しているためです。とはいえ、スエズ運河からジブラルタル海峡を経てロッテルダムに行くのに船だと1週間かかります。したがって地中海側のどこかを欧州内陸へのゲートウェーにできないかというのが赴任依頼考えている課題の一つです。もちろんイタリアにはアルプスがあり、そのアルプスの向こうに陸上輸送するのは容易ではありません。しかし、イタリアから近いスイスやオーストリア、ハンガリーなどに、今以上に陸上輸送で運べれば、距離的には近いので時間も費用の節約もきるわけです。そこで出てきたのがアドリア海戦略で、トリエステ港を拠点港として復活させ中東欧諸国へのGATEWAYとすることを検討しています。トリエステは過去にイタリア船社のロイドトリエスティーノと組んで定期船の寄港地としていましたがその後は取りやめていました。これを、近々復活させたいと思って準備を進めています。

●ジョイア・タウロ港のプロジェクトについて聞かせてください
自動車を運搬する自動車船は、日本の自動車産業の成長とともに発展し、船舶も大型化してきました。ところが大型船では小さな港には寄れませんしチマチマしていては効率が悪い。そこで「Hub and Spoke」 というコンセプトからハブ港をつくる必要が生まれました。
そこでカラブリアのジョイア・タウロ港に2万台以上の車が蔵置できる自動車船ターミナル運営会社を設立しました。新会社はICOBLGという名前でBLGというドイツ企業と日本郵船の子会社ICO(International Car Operators) とのジョイント・ヴェンチャーです。 2008年1月1日から稼動しています。弊社ではすでに世界中に自営ターミナルをつくり運営しています。日本の自動車メーカーの品質管理は世界一厳しいため、そのニーズにあわせるに、自ら品質管理ができるように直接資本参加して新会社をつくった次第です。ICOBLG社の雇員は現在、65名でそのうちの60名が現場作業員で5名がオフィスワーカーです。
ハブ港ですので、ジョイア・タウロから、小さな船で北アフリカや他の地中海地域に車を運んでいます。なお、このターミナルは弊社専用というわけではなく、他の船会社も使っています。
なぜ、イタリアのジョイア・タウロにしたかということですが、何より地中海のど真ん中に位置し、港湾についてはたとえばギリシャと比較するとイタリアのほうがストライキも少ないし港湾インフラもよく、 クオリティ・コントロールがしやすいのです。

●イタリア側の反応はいかがですか
2006年10月のことですが、弊社のハブ港として大きな関心のあることを地元に示していたところ、イタリア政府もジョイア・タウロ、カリアリ、ターラントなどの港への船会社の誘致を強く求めていた時期であたため、全面的な協力サポートを約束してくれました。プローディ首相が直接会いたいということで本社の代表がイタリアに来たさい、呼ばれて首相官邸パラッゾ・キージに行き、私も同行しました。官邸の奥の部屋でフランス占領時代にナポレオンの読書部屋として使われていたといわれる部屋での会談でした。プローディ首相自ら47分間も同席し業界のことをよく把握していて会議をリードし、首相自らサポートをするので何でも言ってくれといってくれました。首相自らここまで熱心にする姿勢には驚きました。イタリア政府は、NYKが、単なる船会社ではなく、Logistics全般を扱う総合物流業者であるため、港から内陸(国内輸送、配送)までビジネスが広がり、ひいては雇用創出につながる可能性を期待しているわけです。 NYKとしては、そのためには鉄道・道路のインフラ整備が必須、と政府には訴えております。まあこのようなサポートもあったためか、新ターミナル会社設立は非常にスムーズにいきました。なお本プロジェクト自体はロンドン・ベルギー本部が管理しています。

●お仕事をしていて感じられることは
海運の世界では地域を「海」単位でみます。私は「地中海」と「黒海」地域の担当としてこちらに赴任しましたのでその当時は、国としてはこれらの海に面する25ケ国をイタリアから見ていました。その後イスタンブールに駐在員事務所が設立され、今ではイタリアの担当地域は西地中海諸国となっています。最初の一年間、すべてとはいきませんが主要国を一通り回り、港の視察、代理店との打ち合わせや管理サポートなどをしてきましたが興味深い経験でした。イスラエル、レバノン、シリアなども担当国で2006年6月にレバノンに出張の後イタリアに戻ってその1週間後にイスラエルのレバノン侵攻が始まり空港は破壊され、港も封鎖されるという事態になり肝を冷やしました。その時レバノンから出張でイタリアに滞在していた代理店社長は空爆が始まり、帰国できなくなり、ロンドンの親戚のところに身を寄せることになりました。
この地中海世界をみて感動したのは、やはり、どこにいっても古代ローマ遺跡があることですね。現代にもまったくそのままの形で残っています。特にリビア、シリアなどの田舎に行くと、古代ローマ以降に過去の遺産の破壊を行なうような文明化、また都市化が行なわれなかったため、まったくそのままの形で残っています。真っ青な地中海を背景に円形劇場がそびえているのは圧巻です。歴史の教科書で昔ローマ帝国領であったと習った地域、その当時はまったくぴんと来なかった地域ですが、実は行ってみると一番古代ローマが偲ばれる地域で、古代ローマ帝国とイタリアとの結びつきなど考えされる光景です。

●何か印象深いエピソードがあれば教えてください
イタリアには2005年の4月に赴任したわけですが、ビザの関係もあって当初はロンドンに仮住まいし、イタリアへ出張ベースで通っていました。ある日の夕方、疲れてカドルナ駅について直近のオフィスにスーツケースを引いてその上にPCケースを載せて歩いていると急に途中で声をかける人がいて、振り向いて見ると背中に白ペンキがべったり。そちらに気をとられている間に、PCケースを盗まれてしまいました。まさにガイドブックに載っているよくある盗難パターンです。このPCには前任者からの引継ぎ内容や重用な情報などが詰まっていたためこれがなくては明日からの仕事もどうにもならない。スーツケースはその場に投げ出して泥棒を追いかけました。正直、スーツケースはなくなってもPCを取り返したい一心で必至に追いかけました。走って走ってもうだめかと思いましたが、大声で日本語でどなりまくったところ、相手もひるんで、PCを投げて逃げていってしまいました。
ようやくのところでPCを取り戻し、元の場所に戻ると、なんと、見ず知らずのイタリア人女性が私の荷物を見守って待っていてくれたのです。それだけではなく、その女性の男友達が一緒にこの泥棒を追いかけてくれたこともわかりました。見ず知らずのイタリア人がこんなに真剣に助けてくれたことを知って感動しました。赴任当時はビザや労働許可証など何もかもうまくいかず、正直イタリアのことが嫌になっていた上に、泥棒に遭遇、と、泣きたくなるような状況でしたが、この素晴らしい若いイタリア人男女に会って、一変にイタリアが好きになりました。180度の大転換の事件でした。同じことが日本で起こった場合、まったくの行きずりの他人がここまでやってくれるでしょうか。

写真上: 「ジョイア・タウロ港の自動車船ターミナル」
写真下: 「プローディ首相らとの記念撮影:首相官邸にて2006年10月」

(聞き手:JIBO編集部 大島悦子)


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