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ITALY NEWS
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2004/06/01 



  イタリアの日本人
  GIAPPONESE IN ITALIA  

伊藤節 氏
伊藤志信 氏
Setsu e Shinobu Ito
STUDIO I.T.O. DESIGN




JIBO:STUDIO I.T.O DESIGNの活動、スタジオを開かれるまでの経緯を教えてください。

節:STUDIO I.T.O. DESIGNでは、伊藤節と志信という異なった経験を持つ二人が連名でひとつのキャラクターとなって働いています。

志信:インダストリアルデザイン、スペースデザインなど小さなものから大きなものまで様々なデザインを手掛けています。

節:私は、筑波大学大学院を出てからイタリアに来て、いわゆる大御所と言われる人の事務所で経験を積みました。そもそも大学は建築関連だったのですが、デザインの方へも自由に行き来できたため、大学院ではデザインで企業の製品を計画する製品計画学を学びました。大学が企業からの委託研究をたくさん抱えていたので、それらの研究に従事したり、日本デザイン学会の工業デザイン部門の立ち上げから手伝ったりしました。そのため、88年にイタリアに来た時、すでに日本企業とのコネクションがありました。例えば、TDK欧州の仕事などをすぐに受けることができたわけです。
一方、志信は、多摩美を卒業した後、ソニークリエイティブプロダクツで7年間働き、企画から製作まで携わったキャリアを持っています。それからイタリアに来ました。彼女に知り合った時、イタリアで日本のものづくりやマーケティングのことを知っている人はまだ少なかったので、彼女は貴重な存在でした。
二人で事務所を始めたのは98年からです。彼女は全体の文脈の中でコンセプトはどうか、どういう色を使うのがいいかといったことを考えるのが得意です。一方私は、具体的な製作プロセスを詰めるのが得意。二人でアイデアを出し合いながら喧々囂々しています。マーケットに対して発言力のあるものを作る時は、二人の方がいいですね。

JIBO:イタリアに来られた動機は何だったのでしょう?

節:彫刻家の父がイタリアをよく旅していたため、造形活動をするならイタリアだと思っていました。それから、大学院にイタリア人の先生が来ていて、イタリアのデザイン事情を聞いていたことも影響しました。企業で働くよりも作家になりたいと思っていましたので、イタリアの巨匠のところにコンタクトをとったわけです。
私がやって来た頃の80年代のイタリアは、アルキミアなどのポストモダンデザインが有名でした。そこでまずはアルキミアに就職しましたが、もの足らず、建築家マンジェロッティのもとに行き、6年間一緒に働きました。彼は、素材と形の実験的研究でとても優れたものを残し、建築ではプレハブを最初に出した人です。
その後、フリーランスとして自分の事務所を作りましたが、マンジェロッティのもとでの経験は貴重でした。現在私はドムス・アカデミーなどで教えていて、学生や若いデザイナーとの交流がありますが、デザイナーというスキルで一つか二つの作品を出すのは簡単なことです。しかし、それを10個、20個、100個・・・と創り続けられるかとなると、自分の柱がきちんとないとできません。私にとってはマンジェロッティでの経験が柱になりました。それに加え、日本企業と一緒に働いた経験も、現代のテーマに挑むというスキルを培う上で役に立ちました。このふたつの経験をミックスし、適切なデザインプロセスを創ることができるようになり、怖いものがなくなりました。
マンジェロテッィやアルキミアのメンディーニは、デザイン史の一角に必ず登場する人たちです。彼らの生の声を聞き、考え方、人間性に触れると、今の若い世代として何ができるか、今の世界事情の中で何ができるかを見つけやすくなります。

JIBO:日本ではなくイタリアで働くのは必然だったわけですね。

志信:日本企業の場合、まず市場リサーチから入ります。情報を集めてからつくる。頭で動き、保証を求めます。一方、イタリアはデザイナー自身が引っ張っていく。飛びこんで行く勇気があります。そして、デザイン史の中心となってきた人物がこの狭いミラノにたくさんいて、直接話ができるのです。これはやはりイタリアの醍醐味だと思います。
それから、日本の場合、役割が分かれていますね。社長は社長の仕事、部長は部長、そして現場は現場。一方、こちらはメーカーの社長がデザインを大事にします。センスを強調します。従って、仕事がやりやすいです。

節:例えばナヴァというメーカーの小物シリーズの70%くらいを私達の事務所が手掛けていますが、社長自らがデザイナーと話をします。私達と話をしながら、社長は将来のビジョンを描くのです。

志信:この間、ケーキ型をつくる会社からデザインの依頼がありました。社長はデザインを全く知らない人なのに、自分の会社のプロダクトならきちんとしたものを作りたいという考えがあるのです。機能的であってもデザイン的側面を忘れない、情熱の強さを感じます。それから、デ・パドヴァのマッダレ−ナ・デ・パドヴァはもう80歳というのに、彼女自ら工場に電話をして指示します。製品の細部までチェックするのです。

節:デ・パドヴァは小さな会社ですが、世界中のインテリア業界が知っています。それだけのブランド力があるのは、商売力ではなく、いいものをつくって文化企業として名をなしているからです。そこではデザイナーの仕事が文化的なものづくりと結びついています。オリヴェッティ、フィアットなどの会社のトップにもデザインが頭にあります。ゴ−ン社長もデザインで日産自動車を建て直しました。日本はまだデザインに対する意識が小さいですが、これからは変わっていくべきでしょう。

志信:リサーチして、消費者がどうで、利益がどうで・・・だけだと本当の意味での"ものづくり"は終わってしまうと思います。ローコストで中国などが出てきてはいますが、ではいったい"ものづくり"とは何なのか。イタリアの巨匠が培ってきた情熱を受け継いでいかないと、「トレンドが終わればおしまい」というような無駄なものが増えてしまう。日本というのはそもそも"ものづくり"のいい国。歴史的に見てもいい物を作ってきました。

節:テロ、戦争がある今の世界情勢のもと、西洋社会の歴史とは何か?ということが問われてきていると思います。ここへ来て必要なのは、東洋の中で唯一経済力のある日本の力でしょう。例えば、日本食というのはブームを超え、健康食品として定着してきています。数字で作って来たアメリカのビジネスカルチャーではなく、クオリティーを追求して良いものを消費しようという日本、そしてヨーロッパの中でも歴史のあるイタリア、このふたつの国が会話をして、カルチャー交換するべきです。
私がここにいるのは、個人的にイタリアが好きだからいうだけではなく、世界に対して情報を発信する使命があると思っているからです。学校などでデザインを教え、世界中の人と交流があります。例えば、私が教えているドムス・アカデミーでは日本人の巨匠に講演してもらいます。こうして日本とヨーロッパそれぞれのものづくりの意見交換ができます。

志信:イタリアで働くことの良さとして、イタリアのメーカーから物を出すと世界中を回るという点も挙げられます。ミラノで発表した私達の作品がパリ、ニューヨークへと回っていきます。ここで発信すると世界的な影響力があります。

節:デザインに関しては、ミラノは世界で一番交流している"サロン"です。例えば毎春開かれるサローネ・デル・モービレには世界中から人が集まる。東京にいるのとは違う、世界的渦の中で仕事ができます。


JIBO:お二人がデザインする上で一番大事になさっていることというのは何でしょうか?

志信:「関係性」でしょうか。

節:エドラ社から昨年発表した"AU."(あう)というソファーは、二つのソファーが対になっていて、親しくなればそれぞれを近づけ、喧嘩をすれば離したり、二人の距離感=関係性を表わすことができます。ソファーによって人間の関係性をどう表現するかがテーマです。デザイナーにとってのポエジーですね。

志信:それから今春のサローネでデ・パドヴァから出した新作のパーティション"SHIKI"(四季)は、アルミ製で、光がとてもきれいです。角度によって色が微妙に変わります。光は朝から夕方まで全く同じではなく、変わっていきます。そういった環境と自分との関係性も表現しています。これはイギリスの雑誌Wall Paperで今年のサローネの6プロダクトのひとつに選ばれました。

節:ソニーCPラボラトリーズのためにアンチエイジングの化粧品ボトルを作りましたが、"きちんとしているけれどやわらかい"、つまりどういう肌になりたいかを表現しています。化粧コンパクトも、単に手にもって冷たくて気持ちがいいというだけではなく、自分が求める大地の美しさを表しています。人間の心の中に持っている自然回帰・宇宙観というのは、顕微鏡が発達した現在だって見ることはできない。でも、それをデザインを通してなら表現することができるわけです。この化粧品ボトルは、実は金型成型が非常に難しく、"どうやって作ったのか"とよく聞かれます。しかし、マテリアルをどうするか、どうやって作るかは、何を表現したいかということの次に来るものです。

JIBO:作品名に日本語をしばしば使われています。やはり日本人であるということは意識されますか?

節:それは意識しますね。日本人としての役割、責任感があると思っています。ただ、作品名に関して言うと、日本の言葉はヨーロッパ的な美しい響きの名前にはならないので、日本語名を作品につける時は苦労しますが・・。

志信:日本的なデザインはよく「オーガニック」とか「センプリチタ(単純性)」とか言われますが、私としては日本人の持っている節度、これを取り入れたいです。際限無くぐちゃぐちゃしているのではなく、例えば四季のような周期があるところ、これも日本の美しさだろうと思います。

節:「禅」スタイルといって、ただまっすぐな机のような、いわゆるミニマリズムと言われるものがありますが、日本人の心の動きはもっと細やかだろうと思います。桂離宮など非対称の美しさがあります。日本の流し文字にしてもそうですね。中国の建物や文字のようにかちっとしていない。こちらで考えられている禅スタイル、ただのミニマリズムとは違う。リズムとバランスを大事にし、そしてそれは日々変化していくもの、という感覚が日本人の美意識にあるだろうと思います。例えば、先ほどの化粧品ボトルですが、置く角度で見え方が変わってきます。ソファーもスパイラルに上昇していて、ちょっとした変化によって異なって見える、活き活きしてくる。こういったことを新しい日本的な感覚として表現していきたいと考えています。

JIBO:デザイン発信地としてのミラノに対する高い評価はこれからも変わらないでしょうか?

節:長いスパンで見れば変わっていくものだろうと思います。過去を振りかえると、フィレンツェが良かった時期もありました。しかし、現状としては、ミラノを中心に働いているメーカーが多いこと、そして発表する展示会があり、ジャーナリスト、出版社があり、デザイン学校がある。これだけのものが多くそろっている都市は他にはないです。

志信:ロンドンやその他の海外のメーカーでもミラノに事務所をもっているところは多いですね。そういった意味でバラエティに富んでいます。それから、写真家も多いです。家具の生産力という点でもミラノは優位にあります。


JIBO:イタリアで働くデメリットというのはありますか?

志信:社長がすべてを把握している場合が多いので、社長と話をしなければならないのですが、ひとりですべてを把握してるだけに大変忙しく、話をするのが大変です。そして、社長が病気をしてしまうと、そこで駄目になってしまいます。日本的な組織力というのは無いかもしれないですね。トップの人が大変優秀であるという点はメリットだろうと思いますが、反面、その周辺の人の能力が足りないです。実は、この春に出す予定だったソファーが一つ駄目になったのも、相手先のベテランマネージャーが腰を痛めて入院してしまい、仕事がそこでストップしてしまったからなんです。出版社などに行っても、イタリアの会社は人数が少ないですね。ただ、日本に戻ると、逆に社員数が多すぎるように感じますが。

JIBO:現在取り組まれているプロジェクト、今後について教えていただけますか?

志信:今年の9月にヴェローナで「アビタ−レ・イン・テンポAbitare in Tempo」という見本市があります。ミラノサローネに似ていますが、もう少しアート性の高いものです。ここのパビリオーネ8に、世界の6デザイナーがそれぞれが200平米の部屋を作ります。私達もこの6デザイナーの中に選ばれました。他にフランスのマタリー・クラッセらがいます。

節:日本、イタリア両国の企業から依頼されました。責任のある展示会で、今までは日本の大御所がなさっていたのですが、今回は私達が引き受けることになりました。日伊それぞれのものづくりをうまく見せながら、現代から未来にかけての家を製作します。事務局からはエレクトロニクス以外で日本のものを見せてほしいとのリクエストをもらっています。カッシ−ナ・イクスシーと開発しているソファーベッド、そしてトーヨーキッチン&リビングの全面ステンレスのキッチン、バスタブなどを使います。このトーヨーキッチン&リビングの製品は世界的に見て非常に高い技術のものです。これを是非イタリアで発表して、日本の職人技術を見せる場にしたいですね。
この仕事以外にも、グッツィ−ニやナヴァなどそれぞれの新しいコレクションに携わっています。デザインは、ものづくりから展示までプロセスが多く、面倒です。一つの作品をつくるのに10個くらいモデルをつくらないといけないので、これにも膨大な時間とエネルギーがかかります。現在事務所には6人のスタッフがいます。イタリアの事務所としては小さくはないですが、必ずしも多い数ではありません。夜な夜な仕事をしています。うまくオーガナイズしないとなかなかできないですね。でも、その中で日本人の心を大事にしたデザインをしていきたいと思っています。

JIBO:イタリアでのプライヴェートの生活はいかがでしょう。

節:プライヴェートでは旅行によく行きます。色々なカルチャーに触れることは財産になりますから。

志信:旅行先では最近トスカーナが気に入っています。クリスタルやソファーの工場がトスカーナにあるので、行く機会があります。試作チェックのために地方に行くのも楽しみです。
日本には仕事がある時に帰るという感じです。夏はイタリアを離れたくないですね。シチリアや周辺の島へ行ったりします。それから、同業者の友達、アルキミアのメンディーニさんとかデザイン界の先輩たちともホームパーティを開いたりして、時間をとるようにしています。


写真
タイトル脇:伊藤節さん、伊藤志信さん
本文上:"AU." - EDRA社
本文中段:"SHIKI" - De Padova社新作 パーティション
本文下:"TOKI" - FIAM社新作 ガラスサイドテーブル

プロフィール
伊藤節:デザイナー/建築家。筑波大学大学院終了。日本デザイン学会にて製品意味論とデザイン評価に関する研究発表を行う。1989年ミラノのスタジオ・アルキミア所属。同年よりA・マンジャロッティに師事。1995年にミラノで建築デザイン・スタジオを開設し、イタリアをはじめとする欧州、日本の企業との工業デザイン開発建築プロジェクト・コンサルタントを行う。YOUNG&DESIGN 1999受賞(伊)、GOOD DESIGN 2001受賞(日)、Toyama Design Award 2001受賞(日)、Premio Compasso d'oro 2001(伊)に選出される。その作品は、ドイツの現代美術館にパーマネントコレクションとして納められている。ミラノのイスティトゥート・エウロペオ・デザイン、ドムスアカデミーで客員教授を勤める。多摩美術大学非常勤講師。
伊藤志信:デザイナー/建築家。多摩美術大学、ドムス・アカデミーマスター修了。在学中より多数の企業にパッケージデザイン、インダストリアルデザイン、グラフィックデザインを手掛ける。1988‐1995年ソニー・クリエイティブプロダクツ勤務。マーケティングに基づいたデザイン、プランニングを手掛ける。現在はイタリアにて、欧州、日本の企業とのインダストリアルデザイン開発、デザインコンサルタントを行っている。GOOD DESIGN 2001受賞(日)、Toyama Design Award 2001受賞(日)、Premio Compasso d'oro 2001(伊)に選出される。

STUDIO I.T.O. DESIGN http://www.studioito.com


(終わり)

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