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ITALY NEWS
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2004/04/01 



  イタリアの日本人
  GIAPPONESE IN ITALIA  


佐野孝夫 (Takao SANO)

日本航空ミラノ支店長 




JIBO: これまでのお仕事のプロフィールを教えてください。

生まれも育ちも大阪です。1973年にJALに入社しました。最初の配属は伊丹空港で国際線。3年して、パリの実習生となりました。当時は優雅な時代で、フランス、ドイツ、イタリアなどに多くの実習生が短期派遣されており、英語圏以外は3ケ月から6ケ月間、学校に入って語学研修をしました。

私は、フランス語研修生ということでスイスに近いブザンソン大学に派遣されました。1976年の9月のことです。まったく業務を離れての生活でした。フランス人家庭に下宿したのですが、英語をしゃべってはいけない。最初は何も話すことができず、食事をしていても何も話せない。何か質問されても意味がわからないのですが、OUIというべきか、NONというべきか。ノンというと失礼かもしれないし、理由を聞かれてもこまるしで、最初は何でもOUI。(笑)
するとお代わりがどんどん出てきた。美味しいか?お代わりするか?と聞かれていたんですね。残すと失礼かと思い、一生懸命食べてお腹もパンクしそう。色々な意味で苦しい出だしでした。3ヶ月後、パリに戻り77年一杯勤務しました。ちょうど、JALがオルリー空港からシャルルドゴール空港に移転して間もないころでした。パリ在勤中は英語を忘れてしまう程、フランス語どっぷりの生活でした。

77年の12月に羽田に戻りました。明けて78年春に成田空港が開港し、私も成田へ異動になり、空港でのお客様のお世話や荷物などを担当しました。
その後、業務部門へ行った後、82年夏に本社の旅客運送部門に配属になりました。そこでは、IATA(国際航空輸送協会)のルールを決めるための協議やエアーライン相互の提携や約束事などの業務に携わりました。お客様や手荷物などの合意事項、乗り継ぎの場合の相互規定などです。

ところで、たまたま私一人で残業していた夕刻に、御巣鷹山の事故がおこりました。突然機影が消えたという情報が入り、その後、機体がコントロールを失い墜落しました。とんでもない事故となり、多くの方の人命を失いました。あの時の辛さ、苦しさは忘れることができませんし、ご遺族の方々のお気持ちを思うと申し訳ない思いで一杯です。会社もあの事故を境に大きくかわったと思います。

86年末に成田の総務部に異動となり、その後89年1月、フィリピンのマニラ支店に総務マネージャーとして赴任しました。当時はアキノ夫人が大統領でしたが、赴任中に軍事クーデターが起こりました。その頃、JALは、マニラ・ガーデンホテルというホテルを運営しており、弊社の市内支店はそのホテル内にありました。そのホテルがクーデター軍に占拠されてしまったため、我々はホテル内に閉じ込められたままとなってしまいました。
数日間ホテルに缶詰になり、現地女性支配人が軍隊と交渉してくれた結果、4−5日後には、解放してもらえました。その間、ホテルの宿泊客も我々も、備蓄品を食べてしのいでいました。派遣員家族も危険があるので空港のホテルに集めていました。解放は、まずはお客様が最初で、それからJALとホテル関係者は最後。マニラガーデンホテルを出て、派遣員家族の居る空港ホテルに向かう途中、周りは一般生活を普通におくっている様子で、拍子抜けした感がありました。

その後、ビナツボ休火山が噴火するという事件もおきて、火山灰に悩まされました。すでに夕食時分に、外がどこもかも靄がかかった感じになっていましたが、早朝、空港所長から電話でたたき起こされて外をみると、あたりは真っ白(とは言え、汚れた白ですが)。火山灰はエンジンをまわすと付着しとても危険なため飛行機は飛ばせません。そのため、丸一週間飛行機を運航できないという事態になりました。復活の見込みもたちません。方策としては、手作業で滑走路の灰をホウキで掃いて掃除するという原始的な手段を採っていたようです。いつ、復活させるかという判断には、国や航空会社ごとに基準があって、タイミングもかなりずれました。キャセイ航空やノースウエストが一番先に復航しました。
いったん復活すると、今度は、出発できなくたまっていたお客様の誰からお乗せするのかという難問もあり後始末は大変でした。

その後、成田に戻って待っていたのは、「日本出発の国際線の機内食」担当という業務でした。客室本部に属する仕事です。 飛行機に載せる食事は事前に調理し、冷蔵保存し暖めてお客様にお出しするため、とても専門的なノウハウのいる仕事です。専門家集団の中での仕事でした。私自身は、食は素人ですが、素人の目からみた貢献をということで、がんばったところこの仕事の間、太ってしまいました。サプライヤーからの提案や売り込みも多く、それを試食するだけでもかなりの量でした。

95年夏に運送本部に戻り、2002年の夏にミラノに赴任しました。

JIBO:イタリアのJALさんの歴史はかなり古いようですが、いつ頃からでしょうか。

イタリアのJALの歴史としては、1960年8月にローマ支店が開設されていますので、今年で44年目となります。ただ、開設当時はまだ飛行機は飛んでいませんでした。61年4月に、ローマ線の運航を開始。この時はエアーフランスとの共同運航便でした。
そして、翌62年10月に初めて、JALの自社運航便がはじまりました。南周りのローマ便です。東京を発って、香港、カルカッタ、カラチ、クウェート、カイロ、といくつも止まって、ローマまで21時間もかかりました。各空港で燃料や食事を補給するため、1−2時間待たねばなりませんでした。64年4月にミラノ営業所開設。
北回り便は83年からです。そして、93年にイタリアと日本の直行便がスタート。当時は、ミラノを経由してローマに飛んでいました。94年、イタリア支店をローマからミラノに移しました。

JIBO:現在の体制と運航内容を教えてください。

体制としては、市内オフィスには、日本からの派遣が、私と総務マネージャーの二名。現地採用の日本人、イタリア人スタッフが11名で、13名の体制です。
マルペンサ空港所には、空港所長、整備マネージャー、貨物マネージャーの3名が日本からの派遣。現地スタッフは14名。都合、ミラノが総計30名となります。
ローマ事業所は、94年から空港内に市内・空港機能を統合していますが、合計19名の体制です。

現在、ミラノからは、自社運航が週4日。残りの3日はアリタリアと共同運航便ですので毎日、便があることになります。ローマからは、直行便2便、モスクワ便が1便で合計週3回飛んでいます。その他、アリタリア便との共同運航便が3便ありますので、週6回となります。
ミラノには関西方面の方も多く、よくご要望をいただくのですが、関空行きは、現在、ミラノ発では週2便、ローマ発は週1便となっています。いずれもアリタリア運航によるものです。限られた機材と協定枠などの関係で、全社的な見地からは現行が適正配置ということですが、私としてはもっと便数を増やせればと思っています。

JIBO:稼働率はいかがでしょうか。

稼働率は季節により大きく変ります。日本でのイタリアブームは10年来、強いものがありますので需要は大きいです。ただし、アリタリアの共同運航便をいれても年間35万席程度で、需要の3分の1も供給できていません。

自社だけでデイリーに日本からイタリアへ飛ばしても、採算は十分とれると私は見込んでいます。これは運航協定の問題もありますが、本社の考え方がどうしてもビジネス需要で、ヨーロッパはロンドンとパリが中心ということになっています。イタリアにいる我々としては本社に絶えず要望を出しているのですが、全体の機材に限りがあり、なかなか実現しません。
昨年は、SARSや戦争でガタガタでしたので比較になりませんが、その前は非常に好調でした。今はようやく、落ち着いて収まりつつあって、徐々にではありますが以前の水準に戻りつつあります。
いずれにしてもイタリア路線は、弊社としても通年で利用率の高い路線となっています。

一方、イタリアから日本というと数がぐんと少なくて、偏りは極端に大きい。イタリア人の旅行の仕方をみていると、近場リゾートが中心で、遠くまでというのは少ないようですね。イタリアでも日本ブームはあって、ミラノで浮世絵展なども開催されているし、興味はあるのだと思いますが、日本は観光PRをぜんぜんしていなくて残念ですね。ユーロニュースなどをみていても、マレーシア、カタール、インドなどPRしているのに日本のPRはありません。それにいずれにしても、外国人が日本にいっても情報をつかむのがむずかしいでしょうね。成田や関空では英語の表示がありますが、そこをでると、すっかり日本語の世界ですから。

JIBO:イタリアでお仕事をなさって感じることは。

こちらへの赴任前、出張などでイタリアに来たのはローマだけで、明るい印象でした。ただ、ストライキが多い。そして、飛行機に関わることといえば、空港の管制官やアリタリアのストライキのイメージがどうしても強く、また、ラテン系の仕事をあまりしない国民という印象でした。しかし、ミラノに赴任してみてわかったのは、現地スタッフも勤勉ですね。チャランポンといういわゆるラテンのイメージとは違うことがわかりました。

とはいえ、ストライキがあまりにも多いのは事実ですね。スケジュールして、アナウンスしてストライキをやっている。この国では労働者保護の法律が充実していて、それを侵害される部分があると、ストライキとなる。いちがいに悪いことではありませんが。今問題になっている年金制度も日本からみるとかなり充実していますが、少子化が進むとあれ程優遇された制度はもたないのではないかと思います。

ただ、感心するのは、豊かさがあり、なんだかゆとりがあること。市電、バスなどの停留所に時刻表はありますが、始発と終電の時間がわかる程度で、それを気にしているようには思えません。時刻表というのは単なる目安ということでしょうかね。一方、日本はあまりにもきちんとしている。イタリアは出勤でも、アポイントメントでも、ゆとりというかいい加減さというか、生活文化の中に精神的な豊かさがある。大企業が少なく、中小企業がほとんどでそのような文化の中、大量生産でどんどん儲けるというのではなくて、必要量だけつくって、それでなりたっているようにみえます。心のゆとりがうらやましく思えてきます。


JIBO:困られるのはどのようなことでしょうか。

一つの便を運航させるためには、業務を委託しなければいけない委託先が沢山あります。なんといっても風土が違いますので、日本で行うとの同じ感覚で指示しても、間違いやこぼれたところがいろいろ出てきます。困るのは我々のサービスのスタンダード゙ということが理解してもらえないことです。これを理解してもらうのははなかなか難しいことです。それぞれの文化と価値観が一致している訳ではないので、当たり前のことですが。したがってかなりの配慮がいります。「定時制」ということは、我々にとってはサービスの基本です。しかし、上の人はわかるけれど、現場までいくと反応はまちまち。
バブルの時代には、委託先のスタッフを日本に研修にきてもらって、現場を実際にみてもらって効果をあげたこともあります。しかし、今ではそのようなことをする余裕はなかなかありません。弊社としてのサービススタンダードを維持していくのは容易でありません。

ただ、反面、日本では、あまりにもきちんと計画して、決裁してからでないと動けないところがあります。きちんとおさえてしまう。そのため、日本ではいつもあくせくしてしまいます。日本の方が特殊なのかもしれませんね。ところが、こちらの人は余裕があります。問題は多々あるのですが、精神的に豊かにみえます。生死にかかわる部分以外はこれでもよいのかなと思ったりしています。

支店運営については、古くからいるスタッフ、新しいスタッフがいますが、昔からのスタッフの中には、過去の恵まれた労働環境を既得権としてその時代からの高い給料をもらうのが当たり前というところがあり、対応に苦慮しています。このような競争の厳しい時代では硬直した面も変えていかねばなりません。世代交代が必要となっています。

JIBO:今後、力をいれておかれることは

「安全運航」これが会社としての第一目標です。飛行機を飛ばすには、いろんな部門の協力が沢山いります。安全な運航がマストです。そして、9月11日事件以降、セキュリティが大きな要因として加わりました。荷物にも人にも注意。見知らない人を近づけない。セキュリティの徹底です。そしてサービスの品質を維持して向上させる。
たとえば、雪害など遅れる際の対応も、遅れる理由、対応などをお客様にきちんとご説明することが大切だと思います。

JALブランドの更なる確立を目指します。今年、JALは創立50周年をむかえます。4月1日からJASと完全統合し、新生日本航空JALとなりユニフォームも一新します。JALグループの総合力を発揮していきたいと思っています。

空港は毎日がドラマです。個人個人に個性がありますので、驚くほど、いろいろなことがおこります。毎日、飛行機を出していると毎日毎日がドラマでそれは楽しいものです。

JIBO:ご家族とのイタリアでの生活はいかがですか。

家族は家内と子供が二人です。長女が高三でインターナショナルの12年生です。長男が中3です。二人ともフィリピンで英語には触れていましたが、それでも1年目はインターナショナルなので英語に苦労しました。 2年目に入ると落ち着いて来たようです。

息子は日本にいるときからサッカーをしていて、こちらでもローカルな少年サッカークラブに入りました。サンシーロのサッカー場のそばに練習場があります。ちゃんとホームグランドもあって立派なものです。毎週3回夕方6時から8時まで練習をしています。
驚いたというか感心したのは、ローカルなチームでもスポンサーがついていて、ユニフォームなどは無料で支給してくれています。
家内は周囲の奥様方にもお相手いただいて、それなりに楽しんでるようです。苦戦しているようですが、イタリア語も勉強しています。

旅行ということではありませんが、ローマの事業所も管轄していますので、2ケ月に1−2回の割合でローマにも行っています。家族ではローマ、ヴェネツイア、フィレンツエなどは回りましたので、今度は、南イタリアやシチリアにいきたいですね。


(終わり)

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