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ITALY NEWS
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2003/12/01 



  イタリアの日本人
  GIAPPONESE IN ITALIA  

恩田 和昌氏 
(ONDA Kazumasa)


サントリー 株式会社 
ミラノ駐在員事務所 所長

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JIBO:プロフィールを教えてください

名古屋出身で1962年生まれです。1985年、大学卒業後、繊維系の会社に就職し、服地のデザイン、国内販売の部門に配属となり、大阪で働き始めました。繊維系ゆえに、ファッションの中心地の語学を習得するようにということで、87年10月から88年8月まで、会社からの海外研修第二期生としてイタリアに派遣され、研修を受けました。まず、ペルージャ大学で語学研修をして、経済専攻コースを修了、その後ミラノに戻って、ブランドのリサーチなどをした後、研修の一環としてドイツのデュッセルドルフ本部にも一時的に勤務し、忘れかけていた英語を学習し、88年9月に帰国しました。帰国後は、同社東京支店の商社部門に配属され、化学製品、医薬品、食品原料などの輸出のヨーロッパ担当となりました。取り扱い品目は幅広く、医薬中間体やダイエット食品に使う原料などがメインでしたが、約2年間従事しました。

その後、1990年6月にサントリー株式会社の東京本社に転職しました。どうしてサントリーに? とたずねられることが多いのですが、かなり偶然の出来事でした。実は、そのころアメリカの大学に留学してMBAを取得したいと思って、それまで勤めていた会社を退職したところでした。当時は、まだバブルの真ん中で、MBAを取得後は金融業界へ転身したいと考えていたのです。そこで、留学してもどってきたらどんな就職口があるのか調べるつもりで、就職雑誌「Be-ing」を眺めていると、大手一流企業が少なからず中途採用募集をしていることを知りました。その中に、サントリーの募集広告もあって、直接の興味はなかったのですが、事業内容として「イタリアの食品を輸入販売している」という文字が目に飛び込んできました。自分を試す気持ちもあって大手商社数社とサントリーに応募してみました。大手商社のほうは残念ながら試験をパスすることはできませんでしたが、サントリーから連絡があり、とんとん拍子で転職が決まってしまいました。きっと90年にミラノ駐在事務所を開設しておりましたので、後任者をさがしておく必要があったのだと思います。もちろん、アメリカ留学の夢はその時点で捨て去りました。

というわけで、90年6月にサントリーの東京本社国際部に配属になりました。担当は、ヨーロッパ向けの輸出です。MIDORIというカクテル用のメロン・リキュールが主な輸出製品です。欧米には、メロンが緑色という感覚がありませんので、緑色のこのリキュールはとても新鮮に写ったようです。
この商品の誕生は、もう30年以上も前にアメリカのお客様が日本にいらして、当時、国内のみでの販売であったサントリーメロンリキュールを絶賛してくださったことがきっかけです。今や、世界に通用する本格リキュールといっても過言ではなく、アメリカが売り上げの約半分を占めておりますが、その他、オーストラリア、ニュージーランド、イギリスなどアングロサクソン系の国が次いで主要市場で、全世界合計30万ケース以上の実績となっております。この商品を是非、欧州大陸でもやってみようということになったのです。

私は、前の会社では貿易部門におりましたので、時間の勝負、スピーディに自分で判断し、行動を起こして商売をしていくことに慣れていました。ところが、サントリーの国際部に配属されると、オフィスワークの仕事です。大規模なプロジェクトへの参加は理解していましたが、そのプロジェクトがどう進んでいるのかさえ、今ひとつよくわからない。自分の裁量部分も非常に少ない。1年、国際部で仕事をした後、より自分の努力が結果に直結する国内営業部門への異動を希望しました。そして、91年9月から池袋支店勤務となり、担当地域の、バー、ナイトクラブ、居酒屋などの飲食店や、卸、一般酒販店、スーパー、ディスカントストアーなどの顧客先への製品プロモーション活動を始めました。当時は、テレビでもよく取り上げられ話題になった、ビール戦争の最盛期で競争も激しく、セールスの現場はとてもきつかったのですが、今までの仕事の中で一番充実した時期でした。特に、電話口で「サントリーです」というと、何の説明もしなくても、誰でもわかってくれる、これは私にとって初めての経験でした。もちろん、知名度があるから即売れる、ということでは決してありませんが。ともかく、この仕事を一生続けようかなと思っていました。

ところが、人事部に履歴書のデータが残っていたのか(笑)、約8年に渡る国内営業の後にミラノ駐在事務所への異動の命を受けました。前任者が、いよいよ日本帰国となったので、私が赴任することになったのです。
当時私は、すでに子供が二人おりましたし、イタリアでの暮らしを実際に体験しておりましたし、家族と共に暮らすには簡単な国ではないと考えていましたので、正直、赴任には躊躇がありました。ところが、妻に相談したところ、二つ返事で是非行ってみたい、と言うではありませんか。とはいっても、妻は、イタリアに来てすぐに後悔したのですが・・・。もう一つの大きな理由は、私の履歴書にイタリア研修経験ありということで、採用していただいたのですから、ここで恩返しをしなければいけないと思ったわけです。そんなわけで、98年10月付けで辞令を受け、ビザ取得に時間はかかりましたが、99年2月にミラノに赴任となりました。

JIBO: サントリー・ミラノ駐在員事務所の沿革を説明してください。

駐在員事務所の開設は1990年ですが、イタリアとサントリーの関係は意外と古く、すでに1973年にミラノのスカラ座脇にレストランをオープンしていました。事務所は、現在駐在員1名とイタリア人秘書1名の体制です。
事務所開設時の目的はイタリアワイン、食材のサプライヤー探索と日本への輸入をサポートすることでした。パスタ、コーヒー、トマト、オリーブオイル、グリッシーニなどの輸入を強化し、これらの仕事が軌道に乗った93年からは、当社製品の伊国内販売をメインにてがけるようになりました。先ほど申し上げたMIDORIやウイスキーの響や山崎をイタリア国内で販売しようということになったのです。イタリアの販売代理店決定後は、販売活動、飲食店訪問など代理店のサポート活動などが業務の中心となりました。
ところが、90年代半ばからの、日本でのイタリアブーム、97年からのワインブームのため、食品、ワインサプライヤーとの折衝業務が増えました。ワインブームは残念ながら、99年以降は急速に収縮しました。代わりに、近年ではリキュール類、特にフルーツ系の人気が強くなりました。弊社もカンパリ社のビター・カンパリや、イルバ社のアマレットなどのイタリアリキュールを日本で販売しております。ちなみに、カンパリ社が2002年に発売をはじめたMIXXというカクテルドリンクは、日本で考案されたスプモーニというカンパリカクテルがベースになっております。

98年には、20年以上にわたってミラノの皆様にご贔屓いただきましたレストラン・サントリーを閉店しました。閉店の最大の理由は、現在も駐在の皆様が直面しているであろうビザ問題です。日本人のコックやスタッフの雇用が非常に難しくなったが故に、ミラノにおけるトップ和食レストランとしてのグレードの維持が困難になりました。閉店は大きな決断だったと思いますが、製品アンテナショップとしての役割もなくしてしまったのは残念な出来事でした。

一方で、99年には、イタリア食材、ワイン輸入販売では国内最大のコンペティターであったモンテ物産を買収しています。最大のコンペティターを傘下におくことで、さらに大きなシナジー効果が出ると踏んで買収したわけです。現在は、ワインやスピリッツはこれまでどおり、それぞれの会社で別々に扱っていますが、食品については、すべてモンテ物産に取り扱いを移行しています。同社もミラノに二人駐在員をおいております。

その他、駐在員事務所としては、当社の国内製品に使用される原料、たとえば、ワイン原料からとれる色素や果汁、ブレンド用に使うバルクワインの輸入なども行っています。イタリアの飲食店で使っているグラスや備品なども、別会社を通して輸入を開始しました。 日本からの飲食店経営者や、バーテンダーを招いての研修旅行、ワイナリー研修旅行なども、こちらでアレンジしております。

JIBO:今、力をいれておられるお仕事はどのようなものですか。

私は99年2月に赴任して、レストランの閉店作業に忙殺された後、2000年になって、提携したモンテ物産に食品ビジネスを移管後は、事務所としての仕事が減少してしまいました。それで、再びイタリア国内市場のサントリー製品販売の強化に専念することになりました。製品は、響、山崎、そしてBOWMOREというスコッチウイスキーとMIDORIです。こちらでは、ウイスキーはスコットランドのものと理解されていますので、JAPANESE  WHISKYを製品として理解していただくには時間がかかります。ただ、街中にあるバール(コーヒーショップ)のバーマンは別ですが、高級ホテルのバーマンやプロフェッショナルなバーマンの間では極めて高い評価をいただいております。また、MIDORIは、ミドリサワーといって、ミドリをウォッカとレモンジュースで割ったものがイタリア人の間では好評です。なお、ビールは、鮮度管理がむつかしいため、当社では輸出はしない方針をとっています。

2002年9月に、カンパリ社がMIDORIのイタリア代理店となる契約に調印しました。カンパリ社はイタリアの食前酒のトップメーカーですので、同社の知名度、営業網、マーケティング力を使って、本格的にMIDORIがイタリア市場に浸透することを願ってのことです。現在は、運良くイタリアにもカクテルブームの波が訪れていますので、カンパリ社やイタリアバーテンダーズ協会(AIBES)と協力して、各地でセミナーやカクテルコンテストなどを開催したりと、MIDORIを使ったカクテルの普及に力をいれています。ちょうどこの11月に、AIBES主催のロングカクテル部門で、MIDORIを使ったカクテルが全国優勝しました。

私はもともと営業マンで、この仕事が性に合っているのでしょうか、イタリアでもレストランやホテル、バールなど飲食店への製品プロモーションの仕事は好きですね。今後も現場での営業を続けたいですね。

JIBO:イタリアでお仕事をなさって感じられることはどのようなことでしょうか。

日本の物差しで考えるといやなこと、不便なことが多いですね。やはり、こちらは個人主義で、日本のようないわゆる「大人」ではない。子供のようなところが目につきます。各自が「僕は何がほしい」とストレートに要求をだしてきます。そして皆がそれをわかって受け入れています。日本人も子供の頃は、たとえば5人で遊ぼうとしていて、4人がサッカーをしたいといっても、一人でも「僕はテニスがしたい」と言う子供がいると、サッカーだけではなく、遊び時間の一部でその子のために一緒にテニスをしてあげるというところがありましたよね。
ここでは、大人の世界にそれを感じます。つまり、日本人は民主主義ということで多数決で物事を決めていって、少数意見の人は多数意見に従っている。一方、こちらは少数でも何でも自分の言いたいことを主張し、まわりもその欲求を受け入れてあげるところがあります。このあたりの特色がわかると対応もうまくできるようになると思います。

製品販売は、売り手市場ですね。ブランドオーナーがとても尊敬される社会です。逆に、日本のような消費者よりのマーケティングなどしません。日本では、消費者の嗜好を詳細に調べて、できるだけ多くの人に売れるものをつくろうとします。こちらは、消費者の嗜好を多少参考にはしますが、ほとんど自分独自で自分がいいと思うものをつくりあげます。それが気に入ったら、買えばいいということで。ですから、面白いものもでてきますが、誰にでも売れるというわけにはいきませんね。

製品プロモーションで、飲食店をまわっていて、おもしろいのは、相手が正直に評価を言ってくれることです。特に、嫌な部分、気に入らない部分もズバリ指摘してくれる。「価格が気に入らない」「味が好きでない」など。率直ですね。こちらも「ああ、そうか、彼はこれが嫌なんだ」ということで、終わりです。言うほうも、受けるほうも、ストレートです。
初めは、不思議な感じがしましたが、だんだんとこうした率直な発言を受け入れる土壌があることに気づきました。だから、要求もするし、いやだともいうのですね。
日本では、少数意見や個別の意見というのは、表明されない。表にでてこない。こちらでは、ぞれぞれが少数意見であっても好きなように言える土壌があって、それがそれぞれリスペクトされるのですね。そこがわかってきてはじめて、私も営業のポイントというのがつかめたような気がします。いい意味でも悪い意味でも、日本人の尺度でいうとイタリア人は「BIG CHILDREN」なんだなと思っています。

こういうイタリア人の特色は、ものさしを変えれば、もちろんポジティブな長所となってくると思います。そして、全般的に楽観主義でいて、あまりマイナス面を考えない。 彼らの返事は、一応NOと言っているけれど、本当はYESなのでは、という論理はまったくこちらでは通用しません。NOはNOで、それを無理じいしてYESにもっていこうという発想はありません。でも、NOと言われた際に、対案を持っていくと、それはそれでとてもフレキシブルに対応してくれます。

JIBO: 本を出版なさったこともあるとうかがっていますが。

はい、かなり前ですが、英語のビジネス文書の本を出しました。当時はよく売れたと思います。サントリーの国内営業部にいるころ、どこでききつけたのかわかりませんが、ある出版社から、大手企業に勤務していて輸出入や海外との取引の経験者に、ファックスやE-mail等ビジネス文書のマニュアル的な本を書いてほしいということで依頼がありました。前の会社では、日常茶飯時に英語のコレポンはしていましたので、記憶は薄れていましたがそれらをもとに執筆しました。

JIBO:ご家族の生活はいかがですか。

妻は、最初のうちはイタリアに来たことを悔やんでいました。言葉の問題もさることながら、買い物にいっても日本の小売店、スーパーのようにいたれりつくせりの対応はしてくれない。一般的に店員の態度があまりよくない、暇なときは彼らも親切ですけどね。現在はかなり鍛えられたのか、強く対応していると思います。
子供は、長男がミラノ日本人小学校6年生、長女が4年生、少人数教育なのでこちらの日本人学校の教育は日本の小学校と比べて優れていると感じます。

私の好きなスポーツは、プレーする機会は多くはありませんが、ゴルフとテニスでしょうか。ゴルフは長男と、テニスは家族全員でやります。最近は、子供達と一緒に近くの公園を手始めにサイクリングを始めました。好きなコースは、ナヴィーリオの運河沿いに、アッビアーテ・グラッソまでの往復で、約50キロあります。長期休暇には、食の国イタリアに住んでいるためか、国内はもとよりフランス、ギリシャ、トルコ、スペイン、エジプトなど、やはり食材の豊富な地中海諸国を中心に家族で旅行にいきました。

(終わり)

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