0
ITALY NEWS
0
2003/02/01 



  イタリアの日本人
  GIAPPONESE IN ITALIA  

蓮池槇朗 氏
Makio Hasuike


インダストリアルデザイナー


− 前編 −

photo



JIBO:芸大のインダストリアルデザイン科を卒業されてまもなくイタリアにいら したと伺っています。そのあたりのいきさつを簡単に教えてください。

蓮池:芸大を卒業後一年間、セイコーで東京オリンピックのための時計のデザイ ンをしました。その後63年秋にイタリアも含めヨーロッパに数ヶ月滞在した後、 64年春にミラノに来ました。イタリアに来たのは、そのデザインにひかれるとこ ろがあったからですが、当初は、むしろ世界のさまざまなところで経験を積んだ 後、2〜3年で日本に帰ろうという思いでいました。なぜそんなことを考えたかと 言いますと、卒業直前に毎日デザインコンペで特選の一席を受賞し、そのことで 野心、期待のような気持ちが芽生えたのです。しかし、なにせまだ若いので経験 がない。そこで、日本で経験を積むよりも、世界で経験を積んでみようと、そん な気持ちで日本を出たわけです。

当時はイタリアのデザインといっても好き嫌いがあって、必ずしもイタリアのデ ザインが最高ということではありませんでした。むしろ、世界の中でもイタリア のデザインはちょっと変わっていた、というような感じでした。当時はなぜ変 わっているのかというのはわからなかったのですが、後から考えてみると、イタ リア人独特の創作能力をベースに、一人一人が非常に違ったことをする、異なる 個性を表現するデザインの世界だっだんですね。その背景に、ひとつには当時イ タリアにデザインの学校がなかったことがあるかと思います。学ぶ場がないの で、デザイナーは自分の思ったとおりにやるしか仕様がなかったんですね。 こちらに来てうらやましく思ったのは、イタリアの中小企業のオーナーたちが、 いいモノを作ろうという大きな情熱を持っていたことです。それと個性を持った デザイナーの存在がうまくマッチして、イタリアのデザインがどんどん発展して いったのだと思います。

当時はまだデザインという言葉も一般の人に知られていないような時代でした。 人数も少なかったし、デザイナーというと、周りの人には何をやっているのかわ からないような、そんな状況でした。

JIBO:ニ、三年で日本に帰ろうと思われていたところが、そのままイタリアに根 を下ろすことになられた経緯は?

蓮池:実際イタリアで仕事場を見てみて、ここだったら何かできるのではない か?と感じたことと、イタリアで積んだ経験を日本に帰って活かすよりも、イタ リアでそのまま活かすほうが妥当なのではないか、と思ったことです。というの も、当時はとくにイタリアと日本の住まいのスペースに大きな差があり、つまり イタリアのほうが大きかったわけですが、そのうえ建築材料も違いました。そこ でイタリアでの経験を日本に帰って当てはめるのは難しいと思ったのです。

日本を出た頃は、自分のような日本的な日本人、情緒を愛する日本人のことを、 外国人がわかってくれるだろうか、おそらくわかってくれないだろう、という気 持ちがありました。それでも勉強するだけ勉強して日本に帰ればいい、と思って いたのです。ところが、こちらに来てみると、意外に自分が感じることを分かち 合える場があった。感性の面で、それほど違和感がなかったのです。

デザインには一部ずるい面があります。というのも、今はやっているものがあれ ば、そのはやりのモノを見せればお客のうけがいいだろう、ということがわかっ てしまうようなところがあるのです。本当に自分が好きなことよりも、はやりモ ノを見せて、それでごまかしてしまおうというわけです。そのほうが手っ取り早 く仕事ができます。一方、そうではなく、本当に自分がやりたいことを見せる と、お客がわかってくれなかったりするわけです。そのようなギャップは、デザ イナーにとって非常に悩ましいものです。ところが、いざイタリアで仕事をして みると、お客は意外に自分が正直にやったほうを選んでくれるのです。そういう ことを発見して、これはやはり場が豊かなのかな、と思いました。そして、わ かってくれる場がまだまだありそうな気がして、ここでだったらやっていけるか もしれない、と思ったのです。

が、当時はまだ外国人で1人でデザイン事務所を持っているようなデザイナーは いませんでした。果たしてほんとうにやっていけるかどうかわからないまま、け れども、イタリア人の事務所での経験も4年になり、自分でやるか、あるいは日 本に帰るか、そういう分岐点にいました。いろいろと悩んだ結果、だったら試し てみようということで、自分の事務所を興したのが68年の春です。非常に幸運な ことにいくつか仕事が入り、それがきっかけで今日に至るまで続けてくることが できました。

JIBO:「日本人的な日本人」が「正直にやったほうを選んでくれる」場がイタリ アに多くあったというのは、機能美あるいは合理性が文化の壁を越えるものだか らでしょうか。

蓮池:本当にいいと思えるものは、機能、あるいは合理性を除いた面でも、ただ そのものが持つ美しさや魅力の部分だけで通じ合う部分があるのだと思います。 つまり、自分が日本人だから日本のモノを切り売りするということではなく、ま だこれからどこで生きるか、どこで死ぬかもわからないある一人の人間が、何か こういうものがあったらいいなあ、と思うものをやった場合に、同じことを感じ てくれる人がここにもいた、ということです。自らを日本に根付いた日本人だと 思いながらも、自分が美しいと思うものは実はいろいろなことの影響を受けてい て、すでにある程度ユニバーサルなものであったのではないかと思うわけです。


JIBO:そして82年、デザインだけでなく、商品の製造から販売までを手がけるMH WAYをつくられました。

蓮池:デザイン事務所を持って十数年が経過し、自分が手がけたプロジェクトで 非常に成功している会社がいくつもありました。中には、会社ではなく、個人が 「会社を始めたいので、何かやってください」と言って来て、それでやってみて けっこう成功している人などもいました。そういうケースを何度か目にするうち に、デザインというのは事業の中で一体どの程度の比重があるものか、と考える ようになったのです。彼らに言わせると、20%くらいかなあ、などと言うのです が、自分ではどうも腑に落ちません。80%くらいあるのではないかと思っていた のに、そんなものかなあ、と。だったら自分でやって試してみようということ で、事業全般の中でのデザインの比重はいかなるものか、あるいは自分にデザイ ン以外の問題点に対処できる能力があるかどうか、またはたしてそれらを理解で きるかどうか。そのような興味と疑問から、MH WAYのプロジェクトをスタートさ せたのです。

あまりお金をかからないものということで、最初は非常に簡単なものを作って やってみたところ、それが非常にヒットしました。一度商品を作ると、それを製 造販売するために会社が必要になります。また、会社をつくると今度は販売の組 織ができます。そして彼らが仕事を始めると、他にも商品が必要だ、いうことに なる。自分はかばん屋になるつもりもなく、ただそれを最初にやったのがきっか けで、現場が次のもの、次のものというので、その世界のモノをずるずるとつく ることになりました。と、一つのそういう商品のグループができ、そういう会社 になってしまった、というところでしょうか。

当時デザイナーでそういうことをやっている人間はいませんでしたので、「自分 でこんなことをやりました」などと言うと、普段来てくれているクライアントが びっくりして逃げてしまうのではないかと思い(笑)、実は最初の三年間くらい は誰にも言わずに、隠していました。また自分としては、最初から、本業である デザインが大事で、製造販売のほうはうまくいけばそれでもいいけれども、とい うくらいの気持ちでやってきました。エネルギーの面でも自分ですべてはできま せんので、自身はデザインに専念し、MH WAYの経営の仕事は家内に任せてきまし た。
幸いそうこうしているうちに、10年くらいたってからですけれども、デザイナー でものづくりをする人がぽつぽつと現れてきて、デザイナーがものづくりをする というムードが出てきました。今もとくに若いデザイナーたちがそういうことに 憧れて試みているようですが、それでも見ていると両方やるということは非常に 難しいことです。そういう意味では、直感的に感じてやったことではあります が、自分は今日までデザイナーという立場を守り、ものづくりのほうは隠すくら いにしてやってきてよかったんだろうなあ、と思っています。


JIBO: MH WAYで実験された結果、実際にデザインが事業に占める割合はいかがく らいだと実感されたのでしょうか?

蓮池:ものづくりをやってみてよかったのは、いろいろなことがわかったことで す。デザイナーというのは、他の仕事でもそうかもしれませんが、自画自賛とい う面がありまして、自分でやっている範囲が非常に大事だと思っているわけで す。しかし、もちろんデザインは非常に大きな比重を占めますが、それと同時に いくつかの大事なことが整わないと仕事にならないということを実感しました。

そのひとつは経済的な面で、想像していたよりも厳しいいろいろな問題がありま した。たとえば、売れれば売れるほど困ってしまうような事態に直面しました。 つまり、最初にかなりのお金を投資しないと仕事にならないのです。というの も、当たり前のことですが、何か一つモノを売るのに最初はどこかでそれを作ら なければなりません。それで製造を頼みにいくと、「お前は誰だ」という、信用 の問題がまず出てきます。それから数量の問題。一個だけ作るわけにはいきませ んので、何千という単位でつくることになります。すると、次に在庫の問題が生 じます。さらに、売ってからお金を回収するまでの問題。イタリアの場合、請求 書を出してから90〜120日待たないとお金が入らないのが普通ですが、他方、も のをつくるほうは、すぐに支払いをしないと作ってくれず、その板ばさみになり ます。そういうことで、かなりの量を、先払いしてやらないといけない。たくさ ん売れてしまうと、たくさんそういうことをしなくてはいけなくなり、ますます 大変になる。そういうような状況でした。これらのことはやってみる前にはわか らないことだったのです。

もうひとつ、デザインとはいい商品を作ろう、ということですが、いろいろな思 いつきや試み、新しいアイディアというものは、それ相応のコミュニケーション がないと、わかってもらえない場合があります。あるいは機能のないもので、た だ美しいという商品でも、とにかくその存在をコミュニケーションしないと、人 は見てくれません。デザイン自体コミュニケーションのようなものではあるので すが、それに加えて、モノ以外のいろいろな面でのコミュニケーションが大事に なってきます。たとえばカタログ、ショールーム、宣伝、雑誌記事、インター ネットのHPなどです。これらコミュニケーションがないことには、デザインも一 本足で動いていきません。そういう部分も、自分で事業を始めて、大きく痛感し たことです。学校では教えてくれない面がいっぱいあったなあ、と実感しまし た。

JIBO: 現在はどのようなお仕事を手がけられているのでしょうか?

蓮池:プロダクトデザインでは、技術的なものから、家電、なべや包丁などの台 所用品、バスルーム用品、家具など、さまざま商品のプロジェクトを10社くらい やっています。さらに、プロダクトには違いないけれど、「売る」というよりも 「コミュニケーション」を目的とするもの。たとえば、コーヒーを売っている会 社が、カップをつくり、それにスプーンをつけ、さらに湯沸しを作る。そのよう な周辺のバックアップをすることにより、商品であるコーヒーがより売れるよう イメージを高める。そういうコミュニケーションとイメージ作りの仕事をしてい ます。あとはパッケージングの仕事もあります。

また最近の傾向として、デザインの仕事が、たんに良いデザインをして気持ちの いいモノをつくり、それで売上げを上げるという、基本的ではあるのですが、あ る意味で単純な考え方に基づくものから、一つ一つの会社の経営を理解した上 で、それぞれに適したデザインをするというように、その領域が広がってきてい ます。
どういうことかといいますと、同じことをやる会社でも、一つ一つの会社に異な る過去があり、異なる能力があり、異なる可能性があります。同じことをやる会 社だから、同じやり方で同じことをやればいいということではなく、その会社に あわせてプロジェクトを考えていかないとなかなか的確なものができないので す。たとえば、贅沢品を作る会社、経済的な商品を作る会社、非常に技術力が高 い会社、技術力がそうない会社、といろいろあるとします。それを相手を理解し ないで、ただ外側からデザインを書いても、ものにならないということです。い わゆる経営を理解し、その上でプログラムを作り、それに沿ってプロジェクトを すすめるというような、一連の作業を頭に入れてやらないといい仕事ができませ ん。あるいは、その会社にとって本当に役に立つような仕事ができません。そう いう点では、自分で会社を作り、実際にものづくりの経験をしたということは、 非常に有益であったと思います。

このように、昔やっていたことと今やっていることを比較すると、デザイナーと いう立場あるいは職業がやや変わってきたのではないか、と思います。また、外 部がわれわれを見る目も少し変わってきています。つまり、ある意味で単にデザ イナーでいるか、あるいは、深くクライアントの経営まで理解して、より広範な コンサルタントになるか、というようにデザイナーの仕事の内容が二分化してき ているのです。うちの場合は両方やっているわけですが、自分としてはなるべ く、もう少し掘り下げた分析のもとに仕事をしていきたい、と思っています。

また、最近はプロダクトにとどまらず、クライアントの工場の建物自体のデザイ ン、あるいは見本市の会場作りなど、その会社全体のコミュニケーションやイ メージ作りを手伝うような機会もできてきました。仕事の範囲がいろいろと変わ り、広がってきています。

われわれの仕事は単発の仕事も多くありますが、同時に非常に長い付き合いにな る場合もあり、事務所を始めた頃からのクライアントもいます。 
例えばアリスト ンというイタリアの大手家電ブランドがそうで、かれこれ35年の付き合いになり ます。アリストンの商品はすべて、良いものも悪いものも含めてうちで手がけて います。フリーランスのデザイナーとして、これだけの長期間、一社と仕事を続 けている例は、イタリアではおそらくないと思います。当時はアリストンも創業 まもない頃で、自らを異端だと思っていたふしがあり、若い日本人デザイナーを 試みに採用してみるかぐらいの気持ちだったのでしょうけれども、なんといいま すか、coraggioso(編集部注:勇気がある、大胆)だったわけですね(笑)。

写真(上から)
1. CUCCIOLO:トイレブラシ - Gedy、1974 Compasso d'Oro入選 (1979)
  ミラノトリエンナーレデザイン美術館、ニューヨーク近代美術館 パーマネントコレクション収蔵
2. IMPRONTA:リュック - MH WAY、1986
  Compasso d'Oro入選 (1987) BIO12受賞(1988)
  ミラノトリエンナーレデザイン美術館パーマネントコレクション収蔵
3. BIRILLO:スプーン、プロモーショナル商品 -Nestle、2000
  ネスカフェのカップ用に作られた、受け皿なしてもOKの「立つ」スプーン
4. TECH DIGITAL:ビルト・イン・オーブン - Ariston、2001   

蓮池槇朗(はすいけまきお) プロフィール

62年東京芸術大学卒。デザイナーとしてのスタートはセイコーで、東京オリン ピックのために20種の時計をデザイン。64年に渡伊、68年にミラノでも初期のイ ンダストリアルデザイン事務所の一つに数えられるMakio Hasuike Designを設 立。プロダクトにとどまらず、グラフィック、パッケージ、ショップ、展示ス ペース、建物など、幅広い領域のデザインを手がける。数々の作品がコンパッ ソ・ドーロ賞、デザイン・プラス賞、BIO賞などを受賞、またMOMA、ミラノ・ト リエンナーレのデザイン美術館に永久収蔵されるなど、国際的に高い評価を受け る。30年以上に及ぶ幅広い経験を基に、会社の経営戦略を視野に入れたデザイン を行うことでも定評があり、ミラノ工科大学のマスター課程、ストラテジック・ デザインの設立メンバーでもある。現在、同大学のインダストリアル・デザイン 学部で教鞭もとる。

蓮池氏はミラノを拠点に成功し、これまで数々のヒット商品、ロングライフ商品 を生み出した、知る人ぞ知るインダストリアルデザイナー。そんな氏にも、イタ リアで果たしてやっていけるだろうか、と悩まれた時期があったことに勇気付け られます。次号の後編ではデザインへの取り組み方などについて伺います。どう ぞお楽しみに。(聞き手: JIBO編集部 大橋由紀)

トップへ  
    

www.japanitaly.com