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ITALY NEWS
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2001/04/01 
 
  イタリアの日本人 
  GIAPPONESE IN ITALIA  

徳田 一男 氏
Kazuo TOKUDA


HOYA Lens Italia Spa (ホーヤレンズ・イタリア)
代表取締役社長

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JIBO:プロフィールを教えてください

徳田:1970年に大阪外大イタリア語科を卒業し、保谷ガラス株式会社に入社しました。最初の配属は眼鏡レンズ事業 部の貿易課です。ちょうど保谷で海外との貿易を始めようとする時期でした。その後、高崎、長岡など国内支店で 営業に従事した後、コンタクトレンズの製造や輸出などの業務を一通り経験しました。

1973年に始めて海外駐在となり、バンコク勤務となりました。バンコクでは、弊社として海外最初の眼鏡レンズ生 産工場をつくることになり、1年間その会社の立ち上げに従事しました。これが、海外での始めての経験となりまし た。私はあちこちで、そういった会社立ち上げばかりをやりました。78年には1年間マニラに駐在し、現地法人の販 売会社の設立を行いました。その後すぐに、79年には、ロンドンの会社設立の立ち上げを行いました。

その後、同年1983年に、ミラノにも会社をつくることになり、2週間の出張扱いで手伝いにきました。ところが、2週 間の出張がどういうわけか、2001年の現在まで19年間の駐在ということになってしまいました。大学時代にイタリ ア語をやってきたとはいっても大学時代もそれほど勉強していませんし、その後もまったくしていなかったので、ゼ ロからイタリア語はこちらでやりました。それに、会社側は私がイタリア語卒ということを意識していたともないよう で、ミラノについては、いわば「はずみで」といえるかと思います。

このようにまったくゼロのところから、社長としてやってきましたが、1998年には、自前の土地に新社屋と工場をつく ることができました。イタリアとのご縁もこれも運命かなという気持ちがしています。お蔭様で、順調にここまできた と思っています。

JIBO:保谷について簡単にご説明ください。

徳田:HOYA(株)は、1941年東京の保谷市に創立された会社です。もともとは、東洋光学ガラス製造所として発足し、 望遠鏡や双眼鏡など光学ガラスを製造していました。45年にクリスタルガラス、インテリアや小物などをつくるよう になり、62年に眼鏡レンズを始めています。74年には、コンピュータ部品や半導体のガラス・パーツなど電子事業 部門をスタートしています。

今日現在では、6つの事業部門があります。エレクトロ・オプティクス、フォトニックス、ビジョンケア(眼鏡)、ヘルス ケア、クリスタル、サービスを展開しています。 グループ全体の売上額は、平成12年度で、2011億円。海外に45社、現地法人を持っています。社員は国内3, 633名、海外8622名、計12,256名です。会社の目標としては、2002年には、売上高の比を国内、海外、50% ずつにすることを掲げています。

弊社の得意な分野は材料開発です。具体的にいうと、高屈折率レンズの開発に優れています。主流となってい るのは、プラスチックレンズです。プラスチックは軽いし、割れないので安全と、メリットが多いのですが、プラスチッ クの欠点は、ガラスに比べて、屈折率が低いことです。つまり、プラスチックだと同じ度数のレンズをつくるのに、ガ ラスに比べて、分厚いレンズになってしまうという問題がありました。もう一つの欠点は、ガラスに比べて柔らかい ので、傷がつきやすいこと。この二つの問題を解決していく上で、弊社では高い技術開発力を発揮しました。そし て、ガラスよりも屈折率の高いプラスチックを開発してきました。また、反射防止機能についても、世界一の優れ た技術を持っています。その結果、ガラスのレンズという需要は激減していて、現在、日本では80%以上の眼鏡 が、プラスチックレンズを使用しています。

眼鏡レンズ業界での、弊社のシェアは、日本国内では40%程度でトップです。世界レベルでは、売上ベースでは、 フランスのエッシェロールが第一位で、弊社は世界2位です。

JIBO:HOYAイタリアの事業内容を教えてください。

徳田:イタリアの会社は、1983年に発足、眼鏡レンズ事業をおこなっています。多少、眼鏡フレームも扱っていますが、 イタリアはフレーム製造の本家なので、ほんの少々。それと眼鏡屋さんが使う加工機械や検眼機なども日本から 持ってきて販売しています。

創立当時から90年までは、販売会社としてやってきましたが、90年に、特注レンズの製造工場、我々は「クイック ラボ」といっていますが、これをミラノ近郊チニゼッロ・バルサムにつくり、スタートさせました。 そして、1998年1月に、先ほど申し上げたように、自前の社屋と新しいクイックラボ工場を、ここ、ガルバナーテに 建設しました。

イタリアでは製造と販売をしていますが、度数の決まった規格品や半製品などのストック品は、主にタイの工場か らもってきています。眼鏡レンズは大量生産でつくる規格品と、オーダメイドでつくるものの2種類があります。眼鏡 レンズというのは、様々な度合いの組み合わせがあり、何万種類の品揃えが必要になります。これはすべて用意 しておくことはできないので、発注ベースで準備することになるのです。それを行うのがクイックラボなのです。 半製品というのは、半分、研磨されているものです。イタリアでは、この半製品を使って、クイックラボで、一つず つ、注文にしたがって、研磨をし、反射防止コーティングや、レンズのカラーリングなど、付加価値をつける作業を 行い、納品するという工程をおこなっています。技術革新やコンピュータ化は進んでいるとはいっても、我々の相 手はユーザー一人一人の「目」であり、千差万別のため、ラボでの仕事も一つ一つのニーズにこたえるよう、1点ず つ作業をする必要があります。したがって、かなり労働集約型な仕事といえるかと思います。

社員は120名で、そのうち製造要員は約半分です。日本人は社長の私の他は全員イタリア人です。売上高は、4 40億リラ。来期は10%増の480億リラを見込んでいます。

現在、イタリア市場シェアは売上ベースでは第一位がアメリカのソーラ社、第二位がフランスのエッシロール社、 保谷は第三位です。弊社がイタリア市場に入ったのが、大手5社の中で一番遅かったということも背景にはあるか と思います。とはいえ、利益では弊社が第一位です。イタリアでの事業目標はシェアをあげることで、近々にシェア 第二位というのは視野に入っています。

JIBO:イタリアの眼鏡市場はどのような特色があるのでしょうか?

徳田:イタリアの眼鏡市場の特色としては、まず、眼鏡店が全国に1万店あり、イタリア人口6千万人ですから、6千人に 一人の割合であることになります。ともかく、街角にどこにでも眼鏡店があります。日本の2倍の割合です。それだ け、競争もはげしいのです。最近はチェーン店も増えていますが、全体としては規模の小さい店舗が多く、まさに、 イタリア式産業構造といえるかといえます。イタリアだけでなくヨーロッパの人の目は、光に弱い構造になっていま すので、サングラスが必需品であり、サングラスの需要も非常に高くなっています。

弊社では、ローマ支社の他、全国9ケ所に販売・搬送拠点として「デポ」を設置しています。そこに多少のストック もおいています。特注品はミラノの本社工場で対応し、各地のデュポにだして、そこから納品をしています。販売 エージェントは、全国に20人いて、彼らが、地元の眼鏡店をまわって営業をしてくれています。

眼鏡産業は、成熟産業といわれています。イタリアの市場パイは広がっていません。しょせん、一人に目は二つ、 レンズも一人で2点です。最近は、近眼の手術が普及してきていて、アメリカでは、200万の人がこの手術を受け ているそうで、これは眼鏡店からいうと、400万枚の眼鏡レンズが売れなくなることにつながります。イタリアでも年 間20万人がこの手術を受けているということです。これは40万枚レンズがパーになるということです。それに人口 は減る一方です。もちろん、一方では高齢化が進んでいて、遠近両用レンズとか、付加価値の高い眼鏡の需要 が増加していることもいえます。それで、数量では増えなくてもバリューでは増えています。

イタリアでは、眼鏡店も、一般消費者も、日本の技術革新や弊社の技術力に対する評価も非常に高いものがあり ます。ですから、我々の進出はそれほどむつかしくはなかったと思います。しかし、イタリアの眼鏡店というのは、大 変と保守的な業界でもあるのです。眼鏡店の店主がなかなか新製品にとびついてくれない。眼鏡店の店主の年 代も上がっていて、新しいもので失敗があってはこまる、むつかしそう、ということでなかなか取り組んでくれないの です。最終ユーザーに紹介し、説明するのは眼鏡店ですが、眼鏡店が新しい技術開発品を、ともにリスクテーキ ングしながら一般利用者にプロモーションしていくという姿勢は薄いのです。お客さんの方は新しい技術情報など あまり知らない。だから、眼鏡店さん次第なのです。眼鏡店が代替わりして、若い世代になると少しは変わるのか もしれませんが。たとえば、遠近両用眼鏡についても、日本の年間販売量は800万枚、フランス400万枚に対 し、イタリアはまだ100万枚にしか達していません。一般的にもイタリア人はなかなか新しいものにとびつかないと いうこともありますし。

それで、弊社としては、たとえば、ミラノで開催される眼鏡国際見本市MIDOの際に、主要顧客である眼鏡屋800 人を招いて交流をはかるなどしています。あるいは、各地でセミナーを開催しています。

JIBO:イタリアの眼鏡市場はどのような特色があるのでしょうか?

徳田:はい、その通りです。ヨーロッパへの最初の進出は1979年のドイツ現法で、現在は、欧州11ケ国に14の現地法人 があります。その中で、社長が日本人のところは、イタリア社とヨーロッパ統括本部のオランダ法人の2社のみ。日 本人技術スタッフがドイツに2名駐在している他は、その他の現地法人は、社長およびマネージメントはすべてロー カルな人材が担っています。保谷イタリアも、社長の私以外は、全員イタリア人です。

このようにすっかりマネージメントも工場運営も各国にまかしていることは、私見ですが、現実問題としては、なか なか難しい点もあると思っています。少し、現地化しすぎているのではないかという懸念も持っています。日本人 がいなくてもいいコミュニケーションができればいいのですが。なかなかそうはいかない。会社として非常に積極的 に「現地化にチャレンジ」しているという点では会社を評価していますが。

JIBO:日本本社とイタリア社との関係はいかがですか

徳田:ヨーロッパといっても各国事情があります。特にイタリアならではの特殊事情もあれば、固有の文化も価値観もあり ます。各国現法がそれぞれの事情の中で、日本本社からの指示をこなしていかなければならないのです。オラン ダ統括本部にも各国の差異を理解した上で、本社の指示をしてもらわなければなりません。

その指示内容を、私が日本人であるということで、日本人の立場を強くして、日本側にたって、そのまま社内のイ タリア人に直接ぶつけると、あつれきがでてきて、物事はうまくいきません。20年もいますので、私はあくまでも、イ タリア人の側、視点にたって、オランダからの指示内容を検討する、その姿勢が大切だと思います。正直、日本 の悪い点も率直にいって、イタリア側からの問題意識をイタリア人社員と共有して、対応しなければなりません。イ タリア側の立場をわかった上で、イタリア側の「強い味方」として、オランダにも本社にもこちらの事情や立場を説明 して、解決策をみつける、その役割をするのが私の役割と、考えています。

とはいっても、最初からこのように考えていたのではないのです。最初の10年間は、こちらの事情がわからなかっ たので、一言でいうと、イタリア人に使われていたといえます。彼らのいうことにしたがっていた。 その後、5年間は、それまでの反動で、イタリア側のいうなりにはさせない、ということで、日本ではこうなんだ、と 日本側のやり方を押し付ける傾向を強めた。日本だったらでは、こうはしないという観点で、私は一日8時間、怒 りっぱなしでした。日本をしょって、日本からの指示を社員にぶつけていました。それではイタリア人は動かないし そのあつれきで優秀な幹部が、残念なことに随分辞めていきました。非常にしんどかったのです。

そして、これまでガムシャラにやってきましたが、ようやくこの2-3年、感覚がつかめてきたというのか、イタリア側と 気持ちを共有して日本側に対応していくという立場をとれるようになってきたように思えます。振り返ってみると、 98年に新社屋を完成させたことで自分のベースができたということが、自分自身にとって一つの転機となったのか もしれません。目標を達成したという安心感を自分が持てるようになってきたことが、あるゆとりをもって日本側に もイタリア社員側にも対応できるようになったのかもしれません。

JIBO:イタリアで仕事を進める際の問題点はなんでしょうか。

徳田:やはり、一番大きな問題は、労務問題でしょう。日本とかアメリカとは大きく違って、労働市場は硬直化していて 組合の力が非常に強い。それでも、会社が順調なときはなんとかなりますが、会社が厳しくなったときに、この問 題が大きくでてきます。社員を解雇できない、首をきれないというのはこまりますが、法律なのでしょうがないので しょう。

もっと問題なのは、いったん社員を昇進させた場合、絶対降格できないというのも、本当にこまります。社員をひ きあげる時にとても悩みます。いったん昇進させるとそれは既得権になってしまうので。この点が足かせになっ て、なかなか優秀だから次のステップにトライさせたい、というとがなかなかできないのです。いったん、 RESPONSABILEとしてしまうと、それは、先方の「権利」となってしまうので、そこからはずすことはできない。

定着率も問題です。最近は、よくやめてしまう。北イタリアは、私の感じでは、すでに、実質的な失業率はゼロに近 い状態です。特にここミラノの周辺は、会社や工場が多く、求人の話が沢山ある。ですから、工員、事務員からマ ネージャクラスまで、いい話があると会社を移ってしまうので、社員の定着率は高くありません。こちらの人は、銀 行口座にしても利率が悪いとすぐ銀行を変えますが、会社についても、家族との生活を支えることが目的であっ て、感覚として銀行の口座のように、他にいい条件があると移ってしまうように思えます。ですから、こういう中でど ういう風に経営していくかというと、金銭的なことと結びつけて目標を与えてインセンティブをとりいれることが必要と なっています。

JIBO:イタリアでお仕事をして感じられることは

徳田:こちらで大切なのは、ともかく、納得するまで話をするということでしょう。日本では、社員同士、あるいは、上司と 部下の関係も、「あうん」の呼吸というのが大切です。わかっていることは、説明しない。しゃべらないのが美徳とい うところがある。あまり、部下に細かい指示をすると、社員の方が気を悪くする。

しかしこちらではこうしてほしいと目的を明確にしなければならない。いわないでいると、「そんなことしりませんでし た」と平然としていわれてしまう。知らないことは恥ではない、必要ならいっておいてほしかったということなのでしょ う。

イタリアでは、ともかく、言葉にして話すことが大切です。こうしてほしい、ということを具体的にはっきりということが 重要です。とことん、彼らが納得するまで話あうこと。

JIBO:イタリアでの生活はいかがですか

徳田:家内と双子の娘の4人家族です。家内は、イタリアの生活にすぐ溶け込み、友人も沢山できて非常に生活をエン ジョイしています。娘は4歳の時にイタリアにきて、現在21歳です。完全なイタリア育ちで考え方は日本人ではあり ません。二人とも高校はフランスのアルザス成城に通いました。一人は、ミラノのデザイン学校に通い、もう一人 は、フランスのグルノーブルの大学にいっています。

うちの会社は夏もあまり休業できません。イタリア人が皆バカンスにいくだけに、海辺の避暑地や保養地の眼鏡屋 からのサングラスレンズの注文等が多く、仕事のかきいれ時でもあるのです。したがって、私の夏休みも1週間ほ どだけです。 私の最大の楽しみは、ゴルフ。毎週かならずいきます。イタリアのゴルフは、日本と比べて価格は安く、設備はいい し最高です。

(聞き手 大島悦子)

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  日本のイタリア人  
  ITALIANO IN GIAPPONE 

エンニオ・チェッリ氏
Ennio Cerri


フィアット・オート・ジャパン社長
(il presidente della FIAT AUTO JAPAN)

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フィアットの事務所を訪ねました。品川駅近くのまだ工事中のビルもある開発地域です。数年後、品 川のこの界隈は本当のビジネス街に変貌しフィアットのみならず、日本の企業も多数やってくること でしょう。

チェッリさんは1950年、ピエモンテ州、ヴァラッロに生まれ、トリノ工科大学を卒業しました。フィ アット自動車(株)に入社したのが1976年です。マーケティング部、製品部、技術部などで経験をつ み、1981年から1987年まではイタリア国内また欧州の部品部門に携わります。

その後1987年にフィアット(株)に移籍し国際関連の業務に従事しました。1988年にフィアットグ ループ代表事務所に次席として来日し、1994年に社長に就任し、2000年3月フィアッ ト・オート・ジャパン社に社長として就任しました。

*****

JIBO: フィアット・オート・ジャパン社はいつ設立されたのですか?

CERRI:フィアット・オート・ジャパン社は1990年、はじめ、アルファ・ロメオ・ジャパン社として 設立され、のちフィアットの名の入った今の社名になりました。

フィアット・オート・ジャパン社はフィアット社、アルファロメオ社製自動車の公式インポーターで す。直接販売はしておりません。日本各地の独立系販売店を通して販売しています。現在70箇所ぐら いの販売拠点があります。

ここフィアット・オート・ジャパンでは50人位が働いています。そのうちイタリア人は5人です。

JIBO:ランチャはどうなのでしょうか?

CERRI:現在のところ、ランチャは売っておりませんが、将来ランチャも販売できたらとは思ってい ます。日本でのランチャの販売が難しい理由の一つは、右ハンドルの車を生産していないことです。

JIBO:日本では何台くらい売っているのですか?

CERRI:本年度の売上台数は、アルファ・ロメオが約5000台、フィアットが約2000台の見込みです。 2001年の期末は、アルファ・ロメオが6000台でフィアットが4000台、合計10、000台にとどくだろうと 期待しています。

JIBO:フィアットの売上予が2倍になると見ているわけですね。

CERRI:はい。日本では今年7月に売り出したフィアット100年記念車、新型プントが大成功を収めま して、すぐには供給が追いつかないほどの注文でした。現在、注文した車の到着待ちの状態で、この 車種はまだまだ売れると思っています。日本の消費者に提供できる車種も多くなったこともあり売上 が伸びています。 現在、販売しているもののほとんどが右ハンドル、オートマチック対応になっており、少しづつクラ イアントに満足がいただけるようになってきています。

オートマチッククラッチは日本製のものを組み込んでいます。小型用のものは富士重工業製で、中型 用にはアイシン精機のものを使用しています。

JIBO:御社の車の何が、日本人の顧客の心を捉えるのだと思われますか?

CERRI:私どもの車は、際立ったエリートのイメージがあるんだと思います。美しさ、洗練されたイ タリアン・デザインが、他社の車との違いです。それが伝統と歴史に裏打ちされていると思います。 特にアルファロメオのレースの歴史などがいいイメージとなっていると思います。私どものクライア ントは本当の自動車ファンが多く、その多くがアルファロメオの熱狂的ファンでもあります。

2001年の日本におけるイタリア年にはアレーゼのアルファ・ロメオ博物館から歴史的な車を15から20 台を持ってくる予定です。きっと日本のアルファ・ロメオファンには忘れられない展示会となるで しょうし、アルファ・ロメオを運転したことのない人にもきっと気に入ってもらえると思います。

日本にはアルファ・ロメオやフィアットのファンの集まりがよくあります。フィアットに関しては、 バルケッタとアバースが人気があります。

JIBO:日本の市場に参入に際し、どんな困難がありましたか?

CERRI:多分のどんな外資系の会社にとっても最初は大変だと思います。でもそんなに困難ではな かったと思っています。私どもの車を愛してくださる方々のお蔭で、マーケットに入る事ができたの です。

マーケットの求める機種やモデルが増えるにつれクライアントの数も増えてきています。

JIBO:日本でフィアットの活動をずっと見ていらっしゃったわけですが、フィアットは自動車以外の部門に も進出しているのですか。

CERRI:北海道に、ニュー・ホーランド・ジャパン社という合弁会社があります。50%をフィアット が出資、残りを日本の会社が出資しています。ニュー・ホーランド社はトラクターを輸入していま す。大型トラクターでは市場の20%を占めています。草刈機では、市場が小さいとはいえ、50%以上 のシェアを占めています。また、イヴェコ社はの大型消防車を日本に売っています。

JIBO:一般的に、日本についてどう思っていますか?

CERRI:1988年から私は日本にある500以上の工場を訪れる機会がありました。そして生産部門の品質 と効率に就いては日本人は本当にすばらしいと思います。。

私は日本がとても好きです。ここに12年暮らすことができてとても幸せに思っています。日本は歴史 や伝統が豊かで、人々は本当に親切で礼儀正しく、人間を大切にする国民だと思います。日本の公共 機関のサービスは正確で迅速だと世界中で有名です。そして多くの人が思っているのとは反対に、こ の国は、特に東京はとても国際的です。何でもあります。それから大きな長所の一つとして、この国 は安全で犯罪率がとても低いという事を挙げなければならないでしょう。

よくない面ですか?それは物価が高いことですね。何でも高いです。家賃を例に挙げると、本当に驚 きます!!!

JIBO:日本の市場に進出したいと考えているイタリアの企業家に、何か助言することはありますか?

CERRI:家賃のこともありますが、イタリアから人を派遣するのがいいでしょう。現地でネットワー クを管理するのが大切です。

エンニオ・チェッリさんは大変紳士的な人です。洗練された落ち着いた人柄で、癇癪を起こすことな ど想像することもできません。周りにいる人もゆったり落ち着いた気分にさせます。

教養のある国際人ですが同時にイタリア人の暖かさも伝わってきます。お嬢さんについて語るチェッ リさんに今日的よきイタリアの父親を見た思いがしました。(k.m.)


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