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ITALY NEWS
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2001/02/01 
 
  イタリアの日本人 
  GIAPPONESE IN ITALIA  

田中 實氏
Minoru TANAKA


JMAC Consiel (日本能率協会コンサルティングーコンシエル株式会社)
代表取締役社長

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JIBO:プロフィールを教えてください。

田中:1976年に大学工学部を卒業後、ホンダグループに入り、二輪の設計部門に3年間勤務した後、79年に日本能率協会に移りました。新卒の頃から能率協会に興味があったのですが、その当時、能率協会では、企業経験が最低3年ある人しか採用していなかったのです。私を面接して採用してくれたのが、弊社の創立者で初代社長の高達秋良氏(現、技術最高顧問)です。能率協会では、自動車、機械、家電といった大手企業の設計や開発部門のコンサルティングに従事し、新製品の開発や生産技術への管理支援をしていました。その際の直属チーフも高達氏です。

83年から84年には、韓国のプロジェクトに従事しました。韓国の産業が伸びてきた時期で、漢河の奇跡という言葉もできた頃です。韓国企業も日本の生産管理技術を貪欲に学んでいました。その後、88年にオランダのコンサルティング会社に提携ベースで派遣され仕事をしました。

同じころ、イタリアで、現在のJMAC-Consielが創立され、1年後の89年2月JMAC−Consielの拡大に伴い、ミラノに赴任しました。この1月末でそれからちょうど満12年になります。シニアコンサルタントとして、第一線で仕事をおこなってきましたが、97年9月に社長に就任しました。

JIBO:イタリアと日本企業のジョイントベンチャーとおききしましたが

田中:株主構成としては、日本のJMAC(日本能率協会コンサルティング)が45%、イタリアのテレコムイタリア系コンサルタント会社Consiel 45%、そして残りの10%は、在日イタリア人商工会議所会頭もなさったヴィットリオ・ヴォルピ氏が所有しています。

設立当時の80年代末は、日本のバブルがはじける前で、日本経済絶好調の時期であったため、日本式経営もおおいに注目され、もてはやされていました。表面的なことばかり先行したきらいがありましたが、創立のタイミングはよかったといえると思います。その後、バブルがはじけて景気が悪くなったため、90年代中ごろまでは、日本はたいしたことがないというイメージもでてきました。最近は、人に会えば、日本はどうなるのか、と心配されています。

主な活動内容は、生産管理,工場管理、設計管理、ロジスティクスの分野でのコンサルティングです。設計や生産管理など日本の進んだ管理技術をイタリア企業にとりいいれることを目的としています。創立当時は、3―4人でしたが、おかげさまで現在46名の所帯にまで成長しました。むつかしいといわれるジョイントベンチャーとしては大きな成功だと思っています。

日本人は私を含めて4名のみで、イタリア人コンサルタントが37名います。オペラティブなコンサルタント業務はイタリア人のコンサルタントにまかせています。クライアントはイタリア企業が95%。従業員二百名から三百名以上の中堅・大手企業で、業種は、食品、繊維アパレル,機械、化学、自動車、電気とほとんどの製造業から流通やサービス業にまで及んでいます。2000年は、クライアント企業が77社。プロジェクト数が延171件。売上高は1100億リラでした。

JIBO:御社のコンサルティグ業務は欧米系の競合各社と比べてどこが特色ですか

田中:競合企業としては、アメリカ系では、アックセンチュア−(旧アンダーセンコンサルティング)、デロイト、アーネスト・アンド・ヤング、アーティー・カーニ−などです。イタリア企業としては、エッフェゾ や品質管理のガルガノなどです。

何が我々の特殊性かというと、欧米のコンサルティング会社は、結局は「靴の上から、かゆいところをかいている」といえます。つまり、かゆいところは指摘してくれるが、後は自分でかいてください、というところまでしか面倒をみない。分析して処方箋、つまり提案を与えておしまい。一方、我々の場合は、「一緒にかゆいところをかいて直してあげる」、すなわち、成果をだすまで具体的にサポートすることを基本にしていますので、スタンスの大きな違いがあると思います。

欧米系の会社の場合は、したがって、非常に革新的なアイデアを提案するので、かっこうはいいのですが、それを相手が実行できるかは、別の話です。我々の分析や提案は地味だけど着実で、必ず成果をあげること、言い換えれば、もうけられるようにします。実績で評価をしてもらうことにしています。

JIBO:もう少し具体的に説明していただけますか。

田中:イタリア企業が抱えている問題は次の3点に集約できます。第一は、コストをさげたい。原料費、人件費など、いかにコストをさげて安くつくるか、ということです。第二は、納期が守れないといった時間の問題など、サービスのレベルをいかにあげるかということです。第三は、モノでもサービスでも品質をどう高めていけるか。日本はオーバー・クオリティと呼ばれるほど、ここまでしなくてもというところまで品質管理が行われる傾向がありますが、イタリアの場合は、有名ブランドのジャケットでも着心地はいいのに、ボタンが簡単に取れたりと、まだまだ問題が多いのが現実です。イタリアの弱いところですね。

ヨーロッパの中で、すでにイギリスは、モノ作りをあきらめてしまって、金融などの分野に産業の中心が移っています。自動車も駄目ですしね。アメリカも似た傾向がありますね。その点で、ドイツやイタリアはまだまだモノ作りにこだわり、いいものをつくっている。とはいえ、日本的な水準からみると、工場の管理など、大手企業でもかなりレベルの低い場合が少なくありません。たとえば、イタリアといえば問題になる納期やタイムスケジュールの問題も、企業として、きちんと重要さが認識されていない。あるいは、品質や納期がうまくいっていないことはトップもわかっていても、どうしたらいいのかわからない。いいものをつくりたいという意欲、新しい技術やテクノロジーには関心が高くて取り入れる意欲があるものの、それらをマネージメントするというのが不得手ということなのです。

こうした課題に対して、きちんとした分析をして、地味だけど、着実な改善プログラムの提案を行い、それを効率よく進めていく。そこに日本の生産技術をベースとした我々のノウハウを提供するのが我々の仕事のポイントなのです。クライアント側はできるだけ早く成果をだしてほしいという要求が強いので、現在、プロジェクトは6ケ月単位です。以前は1年かけていましたが、どんどん期間が短縮されてきました。我々の分析手法は、できるだけ定量的にみれるよう測定値をだして証明していくようにしています。問題点を定量化できることは、問題解決の基本なのです。そして、我々のプロジェクト関与によって、2年目では、ペイするという形です。

JIBO:お仕事で難しい点は難でしょう。

田中:一番むずかしいのは、優秀な人材をつなぎとめておくことです。現在弊社のコンサルタントの平均年齢は35-6歳。ミラノ工科大学などの工学部出身のエンジニアが大半です。コンサルタントの教育は優秀な若者を、1つは徒弟的にノウハウを教育し経験を重ねて育てています。もう1つは計画的に教育・育成をしています。たとえば、年2回、日本にいって工場をみてもらったり、現場研修も重視しています。コンサルタントとしてチーフ、シニアとキャリアアップしていきますので、一人前になるのは5-6年かかります。

しかし、仕事に自信がつくと、独立していく傾向があり、戦力を失うことは企業にとって大きな痛手です。イタリアはアメリカ人と比べると、それほど職場の異動は激しくはありませんが、優秀な人は、上昇志向が強く、自分のキャリア計画がはっきりしていて、大胆なキャリアアップを求めるのです。難しい問題です。

JIBO:クライアント企業の開拓はどうやってさがすのですか。

田中:我々は、セミナー開催や専門書の執筆、専門誌への寄稿、など外部への発信活動を意図的に行っています。出版した書籍も20冊にのぼっています。こうした積み重ねが実績となって、市場から依頼がくるというのが一つです。コンサルティング企業で、ここまで幅広い活動を行っているところは他にないと自負しています。

もう一つは、これは極めてイタリア式ですが、クライアント側が弊社の仕事を気に入ってくれて、その経営者が友人を紹介してくれるという形です。イタリアはコネ社会、口コミの社会です。「オレはあの人を知っている」というのが何にもまして重要な意味を持つのです。あの人からの紹介ならそれでOKということもあるのです。これだけに頼ってはならないのですが、大事なチャネルであることに変わりはありません。

JIBO:イタリア人と日本人ビジネスマン、どのようなところに大きな違いを感じられていますか。

田中:日本人と違うなあと痛感するのは、イタリア人の場合は、仕事の中で、自分の意見を明確に持っていて、それをはっきり表現することでしょう。イタリア語で「Secondo me(セコンド・メ)」という言葉がありよく耳にしますが、これは、「私にとっては、私としては」という意味であり、イタリア人の気質を端的にあらわしている表現だと思います。日本では「我々は」とか「わが社では」という言い方をしたり、あるいは、主語のない言い方を好むこととは対照的です。

イタリアでは、オリジナリティを大切にしていますし、自分の意見を絶えず、はっきりいう、人との違いを明らかにする。こうした教育をベースにしているので当然なのでしょう。これがクリエイティビティの源でもあるのでしょう。

もう一つ、大きな違いは、家庭と仕事の調和をイタリア人は大変重視することでしょう。イタリアでも日本でも生産管理のコンサルタントの場合は、各地にある工場への出張が多いのですが、日本ではそれも仕事のうちといって問題にせず、こなしています。でも、イタリアでは、家庭が大事ですし、仕事と生活の調和を重視していますから、出張の多い仕事というのは、時として難しい問題を生んでいます。

JIBO:これからの課題と方向性を教えてください。

田中:商社はどうしていくのということが問われてきます。何方にお会いしても、21世紀はどうしていくの、と聞いているところです。繊維や化学品中心から情報産業、IT関係へと移行していかねばなりません。その方向で何をやったらいいの、というのが最大のテーマです。とは申せ、例えば、次世代型携帯電話事業に何千億円投資という世界には入っていけません。IT関連で何が出来るのか、といった場合に、コミュニケーションをもっと広げていくことをベースにおいて、何かを創造していかなければならないと思っています。

JIBO:今後の抱負を教えてください。

田中:2001年の初めなので、大きな希望をいわせてください。株主である日本のJMACには、現在スタッフが300名います。JMACでは、我々より広い分野のコンサルタント領域を行っていますので、同じ分野と仮定し、日本とイタリアの人口を考慮すると、我々の会社も百名くらいの規模にまで成長させたいと思っています。

ヨーロッパでは、20名以下の小規模のコンサルティグ会社は企業買収の対象となっています。ですから、ヨーロッパレベルで活動するには、百名くらいの規模がないと生き残れないのではないかという危惧を持っています。優秀な人材も大手コンサルタント会社に移っていく傾向がありますし、クライアントの新規開拓もある規模がないと難しいのです。私にとってはこれが最大のチャレンジです。

JIBO:御家族について

田中:私の家族は生まれた国がすべて違うというユニークな特色を持っています。私は九州の出身です。家内は韓国の出身で、私が韓国で勤務していたときに知合いました。現在12歳の長女はオランダにいたときに生まれました。一方、4歳の長男はミラノ生まれです。長女は最初の子供だったので、張り切ってモンテソーリの幼稚園に通わせました。今はアメリカンスクールにいっています。長男は市立の幼稚園に元気に通っていますので、イタリア語もペラペラです。

週日は出張が多く、平均して週に二日は外にいっています。ただし、土日に仕事をいれることはありません。完全にプライベートアワーで、家族と過ごしています。最近は毎土曜にテニスをしています。子供が小さいので、あまり旅行などはできませんが。

(聞き手 大島悦子)

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  日本のイタリア人  
  ITALIANO IN GIAPPONE 

エンニオ・チェッリ氏
Ennio Cerri


フィアット・オート・ジャパン社長
(il presidente della FIAT AUTO JAPAN)

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フィアットの事務所を訪ねました。品川駅近くのまだ工事中のビルもある開発地域です。数年後、品 川のこの界隈は本当のビジネス街に変貌しフィアットのみならず、日本の企業も多数やってくること でしょう。

チェッリさんは1950年、ピエモンテ州、ヴァラッロに生まれ、トリノ工科大学を卒業しました。フィ アット自動車(株)に入社したのが1976年です。マーケティング部、製品部、技術部などで経験をつ み、1981年から1987年まではイタリア国内また欧州の部品部門に携わります。

その後1987年にフィアット(株)に移籍し国際関連の業務に従事しました。1988年にフィアットグ ループ代表事務所に次席として来日し、1994年に社長に就任し、2000年3月フィアッ ト・オート・ジャパン社に社長として就任しました。

*****

JIBO: フィアット・オート・ジャパン社はいつ設立されたのですか?

CERRI:フィアット・オート・ジャパン社は1990年、はじめ、アルファ・ロメオ・ジャパン社として 設立され、のちフィアットの名の入った今の社名になりました。

フィアット・オート・ジャパン社はフィアット社、アルファロメオ社製自動車の公式インポーターで す。直接販売はしておりません。日本各地の独立系販売店を通して販売しています。現在70箇所ぐら いの販売拠点があります。

ここフィアット・オート・ジャパンでは50人位が働いています。そのうちイタリア人は5人です。

JIBO:ランチャはどうなのでしょうか?

CERRI:現在のところ、ランチャは売っておりませんが、将来ランチャも販売できたらとは思ってい ます。日本でのランチャの販売が難しい理由の一つは、右ハンドルの車を生産していないことです。

JIBO:日本では何台くらい売っているのですか?

CERRI:本年度の売上台数は、アルファ・ロメオが約5000台、フィアットが約2000台の見込みです。 2001年の期末は、アルファ・ロメオが6000台でフィアットが4000台、合計10、000台にとどくだろうと 期待しています。

JIBO:フィアットの売上予が2倍になると見ているわけですね。

CERRI:はい。日本では今年7月に売り出したフィアット100年記念車、新型プントが大成功を収めま して、すぐには供給が追いつかないほどの注文でした。現在、注文した車の到着待ちの状態で、この 車種はまだまだ売れると思っています。日本の消費者に提供できる車種も多くなったこともあり売上 が伸びています。 現在、販売しているもののほとんどが右ハンドル、オートマチック対応になっており、少しづつクラ イアントに満足がいただけるようになってきています。

オートマチッククラッチは日本製のものを組み込んでいます。小型用のものは富士重工業製で、中型 用にはアイシン精機のものを使用しています。

JIBO:御社の車の何が、日本人の顧客の心を捉えるのだと思われますか?

CERRI:私どもの車は、際立ったエリートのイメージがあるんだと思います。美しさ、洗練されたイ タリアン・デザインが、他社の車との違いです。それが伝統と歴史に裏打ちされていると思います。 特にアルファロメオのレースの歴史などがいいイメージとなっていると思います。私どものクライア ントは本当の自動車ファンが多く、その多くがアルファロメオの熱狂的ファンでもあります。

2001年の日本におけるイタリア年にはアレーゼのアルファ・ロメオ博物館から歴史的な車を15から20 台を持ってくる予定です。きっと日本のアルファ・ロメオファンには忘れられない展示会となるで しょうし、アルファ・ロメオを運転したことのない人にもきっと気に入ってもらえると思います。

日本にはアルファ・ロメオやフィアットのファンの集まりがよくあります。フィアットに関しては、 バルケッタとアバースが人気があります。

JIBO:日本の市場に参入に際し、どんな困難がありましたか?

CERRI:多分のどんな外資系の会社にとっても最初は大変だと思います。でもそんなに困難ではな かったと思っています。私どもの車を愛してくださる方々のお蔭で、マーケットに入る事ができたの です。

マーケットの求める機種やモデルが増えるにつれクライアントの数も増えてきています。

JIBO:日本でフィアットの活動をずっと見ていらっしゃったわけですが、フィアットは自動車以外の部門に も進出しているのですか。

CERRI:北海道に、ニュー・ホーランド・ジャパン社という合弁会社があります。50%をフィアット が出資、残りを日本の会社が出資しています。ニュー・ホーランド社はトラクターを輸入していま す。大型トラクターでは市場の20%を占めています。草刈機では、市場が小さいとはいえ、50%以上 のシェアを占めています。また、イヴェコ社はの大型消防車を日本に売っています。

JIBO:一般的に、日本についてどう思っていますか?

CERRI:1988年から私は日本にある500以上の工場を訪れる機会がありました。そして生産部門の品質 と効率に就いては日本人は本当にすばらしいと思います。。

私は日本がとても好きです。ここに12年暮らすことができてとても幸せに思っています。日本は歴史 や伝統が豊かで、人々は本当に親切で礼儀正しく、人間を大切にする国民だと思います。日本の公共 機関のサービスは正確で迅速だと世界中で有名です。そして多くの人が思っているのとは反対に、こ の国は、特に東京はとても国際的です。何でもあります。それから大きな長所の一つとして、この国 は安全で犯罪率がとても低いという事を挙げなければならないでしょう。

よくない面ですか?それは物価が高いことですね。何でも高いです。家賃を例に挙げると、本当に驚 きます!!!

JIBO:日本の市場に進出したいと考えているイタリアの企業家に、何か助言することはありますか?

CERRI:家賃のこともありますが、イタリアから人を派遣するのがいいでしょう。現地でネットワー クを管理するのが大切です。

エンニオ・チェッリさんは大変紳士的な人です。洗練された落ち着いた人柄で、癇癪を起こすことな ど想像することもできません。周りにいる人もゆったり落ち着いた気分にさせます。

教養のある国際人ですが同時にイタリア人の暖かさも伝わってきます。お嬢さんについて語るチェッ リさんに今日的よきイタリアの父親を見た思いがしました。(k.m.)


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