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ITALY NEWS
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2001/01/01 
 
  イタリアの日本人 
  GIAPPONESE IN ITALIA  

内田 宗義氏
Muneyoshi UCHIDA


イタリア三井物産株式会社社長
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JIBO:繊維部門一筋のキャリアとうかがいました。これまでのご経歴を教えてください。

内田:1969年4月に三井物産に入社しました。最初は、鋼管部会計課というところに配属され、鉄関係の会計の仕事をしました。その後、72年から静岡県の清水支店の経理課に勤務しました。入社時は、自分の適性や特質を会社が判断して配属するわけですが、当社では、社員側も自分の方向性を希望することのできる選択肢をいくつか用意してくれています。その一環として若手社員が、世界各地で地域経済や語学を学ぶ制度を実施しており、私はフランス語圏での研修に応募しました。幸い審査に合格し、73年7月にフランス修業生として渡仏しました。1年目はリヨン大学にて学び、2年目の前半はフランス三井物産繊維課、後半はアフリカのアルジェー事務所にて雑多な手伝いをしました。2年目の実務修業をお礼奉公などと言っていました。

75年7月にフランスから帰国し、本社の繊維第一部海外室に配属されました。いってみれば、そこから、商社営業マンとしてのキャリアが始まったといえると思います。それからは繊維部門一筋です。81年5月に、フランス三井物産の繊維課マネージャとして、再び、パリに赴任しました。6年間のフランス勤務の後、87年に7月に帰国し、繊維第一部第四グループ主席、93年10月同第一室室長、95年11月からは営業を離れ、繊維総括部企画業務室長、96年10月から99年11月までは繊維総括部長でした。

イタリアとの関係について申上げますと、繊維第一部ではフランス関係担当が自ずと多くなったのですが、実際のファッション関係の仕事はその頃からどんどんイタリアにシフトしていましたので、ミラノやその他の繊維産業都市に来る事が非常に多かった訳です。まさに、フランス、イタリアのファッションの隆盛期をともに生きてきたと実感しております。具体的には、フランス・イタリアを中心とした欧米ブランド製品の輸入・ライセンスを手掛けてきました。そして、関連する国内関係商内や合弁事業などの販売会社の経営に携わってきました。また、繊維総括部では、繊維部門全般、人事・経営企画・審査・IT情報関連・地域戦略などを担当してきました。

JIBO:イタリアに赴任なさっての印象は

内田:99年11月、イタリア三井物産社長として赴任しました。ちょうど1年1ケ月たったところです。イタリアには、今、申し上げたように、繊維第一部時代から、フランスを軸にしながら、イタリアには頻繁に年3-4回のベースできていましたが、住んで、仕事をするというのは初めての経験です。繊維以外の幅広い商売を見る立場でもあり、非常に興味深いものがあります。

イタリアは、仕事上でこれまでも外からみてもおもしろい国だと思っていました。フレキシブルですし、おもしろい、可能性はあると思っていましたが、自分が実際に赴任してくるとは想像していませんでした。フランスに勤務していたときは、地理的にはイタリアはアルプスの南にあるため、アルプスの北の諸国ではイタリアを話題にすることは少ないという印象を受けていました。今回初めてイタリアに住み、仕事を通じてイタリアに対し新しい見方ができるように感じています。

まず、繊維だけでなく、化学、機械・自動車・プラント、鉄、食料、物資など様々な取引先との関係を通じ、21世紀での更なる可能性を秘めている国であると感じています。ともかく、中小企業が良く頑張っています。又、拡大しているEU経済圏を考えると、その中で、地中海圏を見ると地政学的にもイタリアが真中にある。バルカン、ギリシャ、トルコ、北アフリカ、中東欧に広がりつつあり、そういう目でイタリアをみると、まさに、拡大EU経済圏の中心にイタリアがあることに気づきます。歴史を紐解いてみてもポジショニングとしては、ローマ帝国と同じ形を、21世紀地中海圏をつくりつつあるように思います。となると、21世紀に、[ WHY NOT AGAIN ITALY ! ] ということがいえるのではないでしょうか。

これまでは、イタリアは、IT情報ツールが発達していなかったため、アルプスの北と南では情報格差があったと思います。現在、遅ればせながら、イタリアもキャッチアップし始めていますし、急速に環境は変化すると思います。となると、今、申し上げた、地政学的な好条件が、イタリアにとっては、大変な切り札となり、21世紀は新しい発展が望めるのではないかと私は信じています。

ご存知のように、イタリアでは南北格差という大変深刻な問題をかかえていますが、これを克服していけば、もう一段上のポジションの国になるのではないかということを、実際に住んでみて、欲目と贔屓目で感じています。私は、イタリアの今後の発展については、非常にポジティブな見方をしています。せっかくこの国いる訳ですから、三井物産としても、多少でもお役にたち、貢献できればと思っておりますし、日本における2001年イタリア年企画も、イタリアにとって、日本との交流、ビジネスチャンスをすすめるいい機会であると考えています。共に新しい時代を作り上げていく事になるでしょう。

JIBO:イタリア物産の沿革は。

内田:イタリア三井物産の設立は、1969年で、ちょうど私が物産に入社した年です。これもご縁かなと思っていますが。当初は、日本人4名、イタリア人13名、あわせて17名でスタートしたときいています。ただ、突然店を出したということではないようで、会社を設立する前にも、イタリアとの関わりはあったようです。特に、戦後、日本の米不足の頃、イタリア北部、ロンバルディアやピエモンテ州の米を買い付け、日本に輸出する仕事を、当時のフランスの三井物産が行ったようです。それを契機に、イタリアの商売も、当社の視野に入ってきたのでしょう。食料関係ではマグロは早くから手掛けたようです。勿論、繊維関係では売買共に色々とやったようです。まあ、こういった事も、お取引先がビジネスの先兵役として当社を活用頂いてこそ出来た事と思います。

当時からイタリア語圏として、当社はイタリア各地の大学に修業生を送っており、多くの素晴らしい先輩を輩出しています。初期の修業生の一人が現在の島田精一副社長です。又、鈴木正隆繊維本部長もそうです。この国で語学を含めて地域の文化も学び、仕事をすることでいろんな刺激を受け、イタリアの素晴らしい感覚と感性に学び、いつも行動していないと駄目だということを、この国は今でも私達に教えているようです。

JIBO:現在の概要と陣容はどうなっていますか

内田:現在の体制は、日本人が18名、イタリア人47名、計65名です。その他、修業生、商品部門研修員、関係会社への出向者が8名います。年間売上高は99年実績で4億5600万ユーロです。現在は、繊維と化学品が主力で、その他、物資/食料、プラント、機械、自動車(スバル)を扱っています。繊維ではアルカンターラ社にも出資しています。

繊維は、ファァッション関係で、ビキに始まり、ヴァレンティーノ・ガラヴァーニ、ジャンニ・ヴェルサーチ、エトロ、マックスマーラ、レ・コパンなど日本でのジョイントベンチャ-会社をつくり、成長させてきました。今後それをどう大きくしていくかは別問題ですが、それなりにイタリアのファッションを日本に持ってきたということではお役にたったと思っています。近年、取り扱い製品やウエイトも変わってきています。輸出と輸入の割合もまちまちです。かっては、繊維の割合が非常に高かったのですが、ここ2-3年は相対的に減ってきました。大きく伸びているのが、化学品関連商内です。日本メーカーよる欧州生産が伸びており、イタリア市場への売込みウエイトも高まっています。機械関連については、特に、工作機械や包装機械が面白いですね。

自動車関連としては、主力が関係会社のスバルイタリアです。最近の特色は、中小規模の実に多様な輸出入業務をこなしているということがいえるかと思います。総合商社というと、億単位の大規模な商談というイメージが強いかと思いますが、現実には、特にイタリアと日本という関係では、コマゴマとした仕事も多いのです。例えば、ペン先500ケの輸出というレベルの仕事も日常的にこなしていかねばなりません。

JIBO:商社の現地化についてはどうお考えですか。

内田:マネージメントは現在、ディレクター級は全員日本人です。マネジャークラスにはイタリア人も沢山いますが。商社の現地化については常に話題になっています。いつも考えなくてはならないテーマです。では、どういう形で、いつ、どのような方向でいくべきかというと難しい問題です。各商社とも日本がベースであり、日本との関係で動いているからです。日本から持ってくるもの、日本へ持っていくもの、アジアでの日系企業のものをもってくる場合も、或いは、ヨーロッパのものを日本のパートナーを通じてアジアに持っていく、という動きが中心ですので、どうしても、結局は、日本人が間に入って商売関係を調整しないとなかなかスムーズに進まない案件が多い訳です。ヨーロッパの物産現地法人の中でも、組織の大きい英国・ドイツでは現地人ジェネラル・マネージャがでています。イタリア物産でも検討はしていますが、まだそこまでいかないというのが現状です。

JIBO:イタリアとフランスのビジネスの違いについてはどうお考えですか。

内田:トップクラスの人は英語を話すし、考え方もインターナショナルな国際人レベルの方が多いので違和感を感じる ことはありません。イタリア人について強く感じるのは、彼らは、大きなパッシオネ(情熱)を持っていることです。一緒に仕事をやっていこうというベースを持っています。新しいことを開拓してやっていこう勢いがある。ただ、非常にしぶとく、どこかで必ず、帳尻をあわせますね。帳尻を合わせるというのは、最後には元を取るということでもありますが、この点は、フランスとイタリアは多少違うように思います。私の経験では、フランス人は、根こそぎ元を取ろうとする。結局は自分たちが全部やらないと気がすまない。

フランスとイタリアの根本的な違いとしては、イタリアは物をつくるベースのある国です。同時に、それを世界中に販売することができる国です。両方を実践している。物を作ること(川上のノウハウ)、それを販売できること(川下のノウハウ)、両方のパワーを持っている国は、きっとイタリアだけではないかと思います。そこが強いと思います。にもかかわらず、イタリアは、自分たちで全部やろうとはせずに、相手国にパートナ-シップを求めて、進出していこうとする。何故なのか、考えてみるのですが、それが結局は効率がいいとみているのでしょうね。自分で全部やったら、コストも相当掛かるます。任せるところは、現地の専門性を持っているところと組んで任せていく。その方が効率が良ければ、それで元を取ると考えているのではないでしょうか。もちろん、中小企業が多く、多額な投資をしたくないということが背景にもあり、そこから出て来た知恵なのでしょうが。

一方、繊維関係では、フランスの場合は、オートクチュールからでています。したがって、オートクチュールでは、しょせん、商売にはならない。そこで、彼らは「ライセンス」ビジネスをやっていくしかない。これは結局、人任せにするしかない。しかし、その際でも、自分で全部コントロールしないときがすまない。すなわち、現地に100%出資のジャパン会社をつくり、日本のメーカへのライセンス管理も現地で自分たちで100%管理しようとする。やるなら、自分たちは全部やる。

もちろん、最近は、グローバル・スタンダード、国境のないボーダレス経済が波及していく中で、資本的にフランス、イタリアがごっちゃまぜになって大きな動きをしていますが、買収価格何百億円の世界ですから、所詮一部の限られた世界であり、その傾向が一般化するとはみていません。

JIBO:イタリアで仕事をして感じること。

内田:特に苦言はありません。いやなことは少ないのです。慣れて来たのでしょうか。只、いずれにしても、イタリア人は、要求が大きいと思います。10くらい、いろいろ要望事項を持ってくる。そのうち、6−7について丁寧に対応して理解度を深めていくと、それで満足してくれる。駄目だといってもがっかりしない。思い付き発想も入れて、色々な事を言ってくる。話していると、様々なアイデアが湧いて来る。最終的には、帳尻をあわせる。

一方、日本の場合は、企画を隅々まで、「詰めすぎて」しまう。もう削りすぎてしまって、はりか木しか残っていないものが「企画案」として纏められてしまう。詰めすぎたギリギリの案になっているので、それしか駄目という形です。ですから、話し合いも柔軟にできない。そして、交渉でのフレキシビリティの余地が無くなってしまっている。

イタリア人は、頭の中のアイデアを、荒削りのままで出してくる。悪くいえば、全然、「詰めていない」。幅があるアイデアであり、相手の反応や条件次第で、いかようにも練っていく余地を残している。アプローチはまったく違う。最初はなかなか噛合わないのが現状でしょう。

日本・イタリア双方のニーズやその背景を考慮し、先方が理解できる言語に噛み砕き、消化し趣旨を伝え、交流とコミュニケーションを図るのが私共商社の役割と思っています。難しい事ですが。

何れにしても、イタリア人のすごいところは、この様なやり方がイタリア人、というアイデンディティーを世界中に示して、通用させていくことが出来る事だと思います。彼らのしぶとい所は、嫌なこと不快なことを上手に顔に出せる事、フレキシブリティというのは、あらゆるものを演じられる事だと思っています。日本人はそこまでは出来ないですね。

JIBO:これからの課題と方向性を教えてください。

内田:商社はどうしていくのということが問われてきます。何方にお会いしても、21世紀はどうしていくの、と聞いているところです。繊維や化学品中心から情報産業、IT関係へと移行していかねばなりません。その方向で何をやったらいいの、というのが最大のテーマです。とは申せ、例えば、次世代型携帯電話事業に何千億円投資という世界には入っていけません。IT関連で何が出来るのか、といった場合に、コミュニケーションをもっと広げていくことをベースにおいて、何かを創造していかなければならないと思っています。

具体的には2001年イタリア年を契機にイタリアの中小企業を紹介するBtoBのサイトを準備しています。三井物産としてのこれまでの蓄積やノウハウを活用できるのではないかと言う事です。

JIBO:イタリアでの生活はどのようにお過ごしですか。

内田:通常は、夕方7時ごろまで会社にいて、7時半位に、日本からのお客様との夕食にご一緒するというのが平均パターンです。日本では、近年、接待費、交際費の切り詰めが進んでいますが、特にイタリアにいらっしゃる際は、やはり、おいしいイタリア料理を頂きたいというのが、皆さんの率直な願いのようです。それで、いろいろな店を私も知って勉強しておかないとなりません。土日という感覚もそれは同じです。お客様があれば、平日と同じです。私は、考え方として、こちらに見えるからケアーとか接待をするという事ではなく、この機会に日本の状況や考え方などを伺い、又イタリア事情も御説明する、意見交換をするいいチャンスと思って、楽しんで参加するようにしています。

プライベートな 面では、趣味とスポーツで、日本からの延長でゴルフをやっています。月に3回くらいでしょうか、MonzaやRobinieなどミラノの周辺のゴルフ場に通っています。イタリアのゴルフ場は非常におもしろいですね。日本とは全然違って、キャデイさんをまったく使いませんので、全部自分でカートを引っ張り、自分で歩く。非常に体力をつかいます。

休暇ですが、夏は8月中旬に1週間、会社をクローズしています。この夏は、家族とナポリとその周辺に旅行しました。冬は、2日程度会社を休日にすると、クリスマスと正月休暇がつながります。この間、イタリアの取引先も大半が休みですし、街の環境も休暇気分ですので、この2-3年は思い切ってこのような制度にしています。一斉に休みにすることで、けじめがついてかえってよいと思います。新年は1月4日からスタートです。現在は、子供は、一人は就職して居りもう一人は学生なので、二人とも日本にいます。

ミラノでは家内と二人暮しです。今年のクリスマスには下の子供がこちらにきて一緒にクリスマスと新年を過ごします。家内もイタリアで過ごす初めての年末年始をとても楽しみにしているようです。

最後に、このinterview記事を読まれた方々に、21世紀の幕開けの年2001年が新しくチャレンジングな年でありますようお祈りし、そして、これからも色々な場面で世界のリード役として未来を創造していく可能性の国・イタリアを、身近に感じて頂けますようお願い申上げます。有難う御座いました。  (聞き手 大島 悦子)

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  日本のイタリア人  
  ITALIANO IN GIAPPONE 

エンニオ・チェッリ氏
Ennio Cerri


フィアット・オート・ジャパン社長
(il presidente della FIAT AUTO JAPAN)

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フィアットの事務所を訪ねました。品川駅近くのまだ工事中のビルもある開発地域です。数年後、品 川のこの界隈は本当のビジネス街に変貌しフィアットのみならず、日本の企業も多数やってくること でしょう。

チェッリさんは1950年、ピエモンテ州、ヴァラッロに生まれ、トリノ工科大学を卒業しました。フィ アット自動車(株)に入社したのが1976年です。マーケティング部、製品部、技術部などで経験をつ み、1981年から1987年まではイタリア国内また欧州の部品部門に携わります。

その後1987年にフィアット(株)に移籍し国際関連の業務に従事しました。1988年にフィアットグ ループ代表事務所に次席として来日し、1994年に社長に就任し、2000年3月フィアッ ト・オート・ジャパン社に社長として就任しました。

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JIBO: フィアット・オート・ジャパン社はいつ設立されたのですか?

CERRI:フィアット・オート・ジャパン社は1990年、はじめ、アルファ・ロメオ・ジャパン社として 設立され、のちフィアットの名の入った今の社名になりました。

フィアット・オート・ジャパン社はフィアット社、アルファロメオ社製自動車の公式インポーターで す。直接販売はしておりません。日本各地の独立系販売店を通して販売しています。現在70箇所ぐら いの販売拠点があります。

ここフィアット・オート・ジャパンでは50人位が働いています。そのうちイタリア人は5人です。

JIBO:ランチャはどうなのでしょうか?

CERRI:現在のところ、ランチャは売っておりませんが、将来ランチャも販売できたらとは思ってい ます。日本でのランチャの販売が難しい理由の一つは、右ハンドルの車を生産していないことです。

JIBO:日本では何台くらい売っているのですか?

CERRI:本年度の売上台数は、アルファ・ロメオが約5000台、フィアットが約2000台の見込みです。 2001年の期末は、アルファ・ロメオが6000台でフィアットが4000台、合計10、000台にとどくだろうと 期待しています。

JIBO:フィアットの売上予が2倍になると見ているわけですね。

CERRI:はい。日本では今年7月に売り出したフィアット100年記念車、新型プントが大成功を収めま して、すぐには供給が追いつかないほどの注文でした。現在、注文した車の到着待ちの状態で、この 車種はまだまだ売れると思っています。日本の消費者に提供できる車種も多くなったこともあり売上 が伸びています。 現在、販売しているもののほとんどが右ハンドル、オートマチック対応になっており、少しづつクラ イアントに満足がいただけるようになってきています。

オートマチッククラッチは日本製のものを組み込んでいます。小型用のものは富士重工業製で、中型 用にはアイシン精機のものを使用しています。

JIBO:御社の車の何が、日本人の顧客の心を捉えるのだと思われますか?

CERRI:私どもの車は、際立ったエリートのイメージがあるんだと思います。美しさ、洗練されたイ タリアン・デザインが、他社の車との違いです。それが伝統と歴史に裏打ちされていると思います。 特にアルファロメオのレースの歴史などがいいイメージとなっていると思います。私どものクライア ントは本当の自動車ファンが多く、その多くがアルファロメオの熱狂的ファンでもあります。

2001年の日本におけるイタリア年にはアレーゼのアルファ・ロメオ博物館から歴史的な車を15から20 台を持ってくる予定です。きっと日本のアルファ・ロメオファンには忘れられない展示会となるで しょうし、アルファ・ロメオを運転したことのない人にもきっと気に入ってもらえると思います。

日本にはアルファ・ロメオやフィアットのファンの集まりがよくあります。フィアットに関しては、 バルケッタとアバースが人気があります。

JIBO:日本の市場に参入に際し、どんな困難がありましたか?

CERRI:多分のどんな外資系の会社にとっても最初は大変だと思います。でもそんなに困難ではな かったと思っています。私どもの車を愛してくださる方々のお蔭で、マーケットに入る事ができたの です。

マーケットの求める機種やモデルが増えるにつれクライアントの数も増えてきています。

JIBO:日本でフィアットの活動をずっと見ていらっしゃったわけですが、フィアットは自動車以外の部門に も進出しているのですか。

CERRI:北海道に、ニュー・ホーランド・ジャパン社という合弁会社があります。50%をフィアット が出資、残りを日本の会社が出資しています。ニュー・ホーランド社はトラクターを輸入していま す。大型トラクターでは市場の20%を占めています。草刈機では、市場が小さいとはいえ、50%以上 のシェアを占めています。また、イヴェコ社はの大型消防車を日本に売っています。

JIBO:一般的に、日本についてどう思っていますか?

CERRI:1988年から私は日本にある500以上の工場を訪れる機会がありました。そして生産部門の品質 と効率に就いては日本人は本当にすばらしいと思います。。

私は日本がとても好きです。ここに12年暮らすことができてとても幸せに思っています。日本は歴史 や伝統が豊かで、人々は本当に親切で礼儀正しく、人間を大切にする国民だと思います。日本の公共 機関のサービスは正確で迅速だと世界中で有名です。そして多くの人が思っているのとは反対に、こ の国は、特に東京はとても国際的です。何でもあります。それから大きな長所の一つとして、この国 は安全で犯罪率がとても低いという事を挙げなければならないでしょう。

よくない面ですか?それは物価が高いことですね。何でも高いです。家賃を例に挙げると、本当に驚 きます!!!

JIBO:日本の市場に進出したいと考えているイタリアの企業家に、何か助言することはありますか?

CERRI:家賃のこともありますが、イタリアから人を派遣するのがいいでしょう。現地でネットワー クを管理するのが大切です。

エンニオ・チェッリさんは大変紳士的な人です。洗練された落ち着いた人柄で、癇癪を起こすことな ど想像することもできません。周りにいる人もゆったり落ち着いた気分にさせます。

教養のある国際人ですが同時にイタリア人の暖かさも伝わってきます。お嬢さんについて語るチェッ リさんに今日的よきイタリアの父親を見た思いがしました。(k.m.)


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