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ITALY NEWS
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2000/10/01 
 
  イタリアの日本人 
  GIAPPONESE IN ITALIA  

宗石 公喜氏
Kimiyoshi Muneishi


東京三菱銀行 ミラノ支店長
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JIBO:入社以来、これまでのキャリアについて

宗石:1974年に旧三菱銀行に入行しました。大阪と京都の店舗で5年間勤務した後、1979年 から85年の6年間はNY支店に行き、非日系貸出・総務経理に従事した後、後半は私の 中でも長いキャリアとなるディーラーになりました。85年に日本にもどり、東京の国 際資金室に2年弱いた後、2度目の海外は豪州のシドニーで「トレジャラー」として 86年から90年まで4年間ディーリング全般を担当しました。その後、東京の国際資金 為替部に戻り約4年いた後、大阪の本町と京都の七条の2支店で支店長をやってから 、98年1月にミラノに赴任しました。 銀行に入って26年になりますが、大方半分がディーラーで、半分が海外です。

JIBO:東京三菱銀行ミラノ支店の沿革は

沿革を語るには旧東京銀行に遡らなくてはいけません。1963年に旧東京銀行のミラノ 駐在員事務所ができました。72年に銀行支店の開設。そこに遡ると一昨年が25年にな り、今年で27年たつわけです。イタリアにある日本の銀行としては一番古い銀行です 。一方、旧三菱銀行は83年にミラノ駐在員事務所、89年に邦銀としては3番目に支店 を開設しています。都市銀行としてはミラノ進出は住友銀行の次で、早かったと思い ます。そして96年に合併で一緒になり現在に到ります。

JIBO:現在の銀行の陣容は

ピークの80年前後には総勢80名余いたことがあったようですが、現在は日本人派遣行 員4名、現地採用が41名で総勢45名です。マネージメントは、小職に現地スタッフ副 支店長・日本人派遣副支店長各1名と合せ3人おります。 日本人派遣行員は数年前まで8名いましたが、4名まで減員しております。これにはシス テムの改善が進んで合理化余地が出てきたという背景もありますが、現地化推進と経営 効率化両面を満たすためとも言えるでしょう。

JIBO:ここ何年間にミラノにいた銀行の大半が撤退なさっていますが

旧東京、住友、旧三菱の後、相次いで邦銀が進出しピークは8行まで増えましたがこ こ2〜3年撤退が相次ぎ現在残っているのは弊行と興銀さんだけとなりました。ご存 知の通り、日本の経済そのものが難しくなる中、邦銀の格付け引下げが行われ、「ジャパ ンプレミアム」が発生し海外での資金調達コストが高騰する等、経営環境が急激に悪化 したことから、海外展開の見直しを各行迫られたことが大きな要因の一つと言えるでし ょう。また日本国内でも店舗網集約化の動きがありますから、そうした流れの中でロ ンドン辺りからでもミラノにアプローチ可能と言う判断に立ち、撤退されたのかもわか りません。

JIBO:現在の主要な業務は

日系企業のお客様を対象にしたいわゆる商業銀行業務を根幹に、貸出、預金、為替、送 金のフルバンキングサービスをご提供しております。 イタリアの大企業や国営企業等に対しても、同様の業務を展開しておりますが、主たる 営業基盤は日系企業の皆さんにあります。 因みに私共の調べでは、イタリアに進出している日系企業の皆様の内お蔭様で、その9割 以上の企業が弊店と何らかの取引関係を持って頂いております。

私共としてはこれに 甘えることなくイタリアでフルバンキングをやっている実質唯一の銀行として、引続き お客様のご期待に応えるべく気を引き締めておるところです。 なお、ご案内の通り、今年の2月一杯をもって現金関連取引の取り扱いを全て停止させて 頂きましたが、現金が絡まない送金等その他窓口業務は継続しております。

JIBO:日系企業ということで取引面が有利になることはあるのですか

日系、非日系を問わず取引条件はあくまで、お客様毎に個別の状況を総合的に検討して決 めさせて頂きます。 日系企業については、その検討プロセスにおいて日本国内も含めたグローバルな取引状 況を勘案する要素が多いと言えます。

JIBO:日本の銀行とイタリアの銀行を比べて

いろいろな取引関係があるので一概に言えませんが、やや極端な例で言うと、昨今の ビッグバンを契機に随分変わりつつあるものの、概して日本の銀行はお客様との長いお 付き合いを前提に、総合的な取引関係を重視して来ており、ある意味でウェットな対応も あります。一方米系の銀行は、状況次第で取引毎に臨機応変スタンスを変化させる、足の 速い、言わばドライな対応で臨みます。これには貸出・預金と言ったストック的な収益 源をベースにしている邦銀と、手数料収入比率の高いフロービジネスの色彩の強い米銀 との差があるとも思われます。

地縁、人脈を結構意識したウェットな部分と各種プライシングでの結構ドライな対応 等を見ると、個人的な感想ではイタリアの銀行は日米の中間にラテン的ウェットさを持 っていると言う所でしょうか。何れにしても地元イタリアで営業する弊店にとっては 手強いライバルであり、良きビジネスパートナーでもあります。

JIBO:日本の景気とイタリアでのビジネスとの関係は

本家の日本で親元がしっかり元気がないと、ここの出先もある程度保守的にならざるを 得ず、そうした意味で日本の景気の影響を受けると言えます。ようやく日本の景況感改 善の兆しも窺えますが、まだまだ先行き不透明な部分もあり、楽観出来ません。加えて当 地ではユーロ安の悪影響を受けて苦労されている日系企業も多いですね。逆のケース も勿論ありますが当地では少数派と思います。

イタリアを始め欧州各国の経済ファンダメンタルズは決して悪くないので、ユーロはか なり過小評価されている点否めませんし、経験的にはこうした歪みはタイムラグを置い て是正されることが多いので、個人的にはユーロ反発余地は充分あると思っていますが ・・・。

このところ日本人商工会議所の会員数が若干減ってはいますが、弊店お取引先の動きか ら見ると撤退、進出で相応の出入りがあり業種的にも販売業から製造業へのシフトが 窺えたりで、単純に一方向に引いていく状況でもないです。今後の動向はユーロの進展 の中でイタリアがどう変化して行くかに左右されるかも知れませんね。

JIBO:これまでの海外赴任と比べてミラノはいかがですか。

NY時代は、日系企業が海外に出ていろいろ認知され始めた頃で「日本」ブランドの 上り調子の時期でした。次から次へと企業進出があり邦銀も地方銀行の事務所開設も 相次ぎましたし、在留邦人の増加にも合せ民放テレビ局や大手書店が進出するとかとに かく勢いがありました。

またシドニー駐在時は日本のバブル華やかなりし頃で、ゴールドコースト周辺のリゾー トに大手デベロッパーがプロジェクトを競ったりで「日本」ブランド全盛期でしたし 、どちらの時期も仕事の苦労は別にして駐在員の皆さんの話題も前向きで明るいもの でした。

今回は「日本」ブランドが落ち目の最中ですから、ビジネス面ではこれまでにない苦労 がありますが貴重な体験の場でも有ります。 イタリアは赴任するまで公私共に縁がなかったため、面食らうことが多々ありました。

正直いって赴任当初の印象はガックリでした。2年前の1月9日夕刻に到着したのを 覚えていますが、機中で晴れて雪に覆われきらきら光るアルプスを眺めて程なく着陸し たマルペンサがどんより曇り、旧マルペンサ時代でやたら長い「動く歩道」にローカ ル空港みたいな雰囲気・・・。

ミラノの街に入っても、くすんだビルに落書きがやたら に多かったり、ごみっぽくて空気も何処となくよごれている。かつ英語が殆ど通じない ・・・。ミラノに対して自分なりに勝手に描いていたファッショナブルで垢抜けた突 き抜けるような青空の国際金融都市のイメージがガラガラと崩れ落ちて行きました。 特にシドニーやNYのいいとこどりの思い出と比較するとなお更でしたね。その後の 住民登録や滞在許可取得で垣間見た非効率な官僚主義とコネの有効性等皆様がほぼ一 様に体験されるネガティブな洗礼を一応受けましたが、今となっては不思議に懐かしく も思い起こせます。最初に悪材料出尽くし、というところですかね。

勿論今はミラノは愛すべき街です。スルメと同じで噛めば噛むほど味が出るイタリア の奥深さに気付き、その強さに改めて感心することしきりです。意外に驚いたのがイ タリア人の勤勉さと素朴さ。仕事の密度も高いし弊店でも課長クラスになると、残業 とか休日出勤を自発的にやるというのを見ているうちに、捨てたもんじゃないと思いま すね。いわゆる標準マニュアル的対応は得意じゃないですが、文句いいながらもいった ん納得するとそれなりに確り取組んでいきますね。 イタリアは時々腹が立つこともあるけどどこか憎みきれないユニークな個性派の国で すし、後々思い出すと一番印象に残る国となるでしょうね。

JIBO:イタリアのビジネスについて

イタリア企業については、この間まで勤務した京都の企業と似た富の蓄積とか懐の深さ を感じますね。例えば京都の旧家は一見間口が狭くて冴えない家に見えても、きれいな 中庭があって部屋に置いてある調度品はきちっとすごいものがあったりしますが、ここ も外見はくすんだビルでもゆったりした中庭があって、室内もぴかぴかに手入れされて いる。銀行でもさりげなく置いてある美術品や家具が大変な年代物であったり、地方の 小さな銀行でも趣味のいい立派なアニュアル・レポートを送ってきます。こうした点 では残念ながら邦銀は太刀打ちできませんね。

特に中小企業群の強さと多様性ですね。企業規模をことさら大きくせず、個性を大事に 独立性を保ち、堅実に資産蓄積に励む傾向も京都や船場の老舗に一脈通じるパターンで すね。アメリカの大企業のように合理性とパワーの筋肉マンではなくて一見しょぼく れた頑固爺さんのようだけどしたたかな柔軟性と意外な瞬発力を発揮する小粒ながら 侮れないです。反面、個人的な長い繋がりやコネを重視するので、キーマンとなる人物 とジャストミート出来れば予想以上にスムーズに物事が進展していく可能性がありま す。因みにある有力イタリア銀行の役員によれば、重要な話題ほど率直に切り出した方 が好まれる様です。話好きのイタリア人のこととて高度なレトリックを駆使した間接 話法が評価されるのかと思っていましたがね・・・。

JIBO:日本から進出する企業へのご助言など

日本から進出するといっても、未だイタリアやスペインなど南ヨーロッパはFS段階で 進出対象からはずれてしまうケースが少なからず有るようですね。南はいい加減だと いうステレオタイプでネガディブに見てしまうのです。「あんな所に出しても効率悪 いし、わけがわからないし」ということで片づけられてしまう。

確かにイタリアの方にも問題はあるのですよ。いろんな統計数字が南北格差を抱え込 んだまま平均値で出るので欧州有数の経済パフォーマンスを持った北イタリアの実力 が表面に出てこない。例えば失業率なんかは平均すると10%を越えますが、北だけ だと6%を切るくらいだとか、所帯当たり所得でもミラノとかボローニャは欧州でも 最高水準ですよね。そういうところが出てこないから単なる平均値で見てG7のお荷 物とか、南の田舎の国とかの評価に止まってしまう。加えて他の欧州諸国に比べあま り政府が資本誘致に熱心じゃない(様に見える)のも残念ですね。

ところが現実に進出してきておられる日系企業の感想を聞くと、ご苦労があるとはいえ 結構成功事例も多い。特に日系企業の大部分が居を置く北イタリアはスタッフの勤勉 性、自主性、発想のユニークさや柔軟性があり、概して手先も器用なことから、むしろ製 造業ではドイツよりもやり易いという声もあります。要するにイタリア進出に関して は食わず嫌いで終ってしまっている面があるのでしょうね、「百聞は一見に如かず」 一度足を運んで見ては如何でしょうか。

それとここに来てポーランドやチェコ・ハンガリーなど中東欧進出を検討する日本企 業が増えている様ですが、案外イタリアは地理的に近いですし、歴史的にも関係が深い訳 ですからイタリアをロジスティックベースにして業務展開するのも一法かと思います 。

またイタリアに進出する際も、最初から思い切って全面進出も一つの選択肢ですが、言 葉や慣行のハンディを吸収しながら地元有力カウンターパートの合弁でステップバイ ステップで行く方が得策かと思います。

それから何よりも種々親密に相談出来るCPA(会計事務所)や弁護士等アドバイザ ーを見つけることが先決ですね。弊店もそうした企業進出にお役に立つべく努めてお ります。

JIBO:生活面でお感じになること、御家族との生活は

先程言った様な赴任立ち上がり後のフラストレーションを消化してしまえばイタリア 生活は快適ですね。歴史・文化、ファッション、食事と言った定番分野は期待に違わ ぬ充実振りですし、イタリア人についても家族の絆とか素朴な情の厚さがありほのぼ のした気分になりますね。

また判官びいき、意気に感じる、足して二で割る決断、意外な潔さ等日本人とメンタ リティが共通する部分も多いのではないかと思います。 そうした面はイタリア語はまだ片言でなんとなく断片的ながら実生活でしみじみわか るなぁという感じです。

家族は女房と子供が2人で帯同してきています。高3の息子と中1の娘です。息子は NYで生まれて、娘はシドニーで生まれました。両方ともブリティッシュスクールに 通っています。家族も最初慣れない頃は文句を言っていましたが今は夫々ミラノ生活 をエンジョイしています。

海外に家族帯同で来たおかげで、否応無しに家族4人であちこち周れるのは有り難いこ とです。日本にいたら高校生の息子なんか親と一緒に旅行するのはいやがる年頃です がホテルの同じ部屋で自然体のコミュニケーションが図れます。それからヨーロッパ で改めてすごいと思うのは、アメリカやオーストラリアのようにどこまで行っても同じ 国というのとは違って、どれだけ国境が接していても各国それぞれ違う国民性や文化 を持っていることが実感できることです。通貨統合は進んでもこうした独自性は残っ て欲しいし、おそらく残るでしょうね。また私も息子も鉄道ファンなので鉄道王国の ヨーロッパは見所一杯で大変魅力的です。

今年の夏のバカンスは前半は飛行機と鉄道でハノーバーの万博からコペンハーゲン、 ストックホルムを回り後半はプラハ、ウィーン、ブタペストなどを車で周りました。 全体で3000キロ。欧州は高速道路網が整備されている上、殆ど渋滞もないので1日5 00Km以上運転するのも苦にならないですね。幸いミラノは大陸他国への地の利も良 いのでヨーロッパ各国めぐりをこれからもこまめに楽しむつもりです。

(聞き手 大島悦子)

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  日本のイタリア人  
  ITALIANO IN GIAPPONE 

フランコ・カンツォニエーレ 氏
Franco Canzoniere


トラットリア・イル・フォルネッロ(Trattoria il Fornello)

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東京の中野、区役所に程近いけやきの並木道、丁度、区立体育館の前に、イタリアレストランが一軒あります。暑い夏、並木の木陰は大都市のオアシスのように感じれれます。レストランの名前は「イル・フォルネッロ」。中に入ると、途端に、あの良きイタリアの雰囲気に包まれます。内装の趣味もなかなかのものです。料理は典型的なイタリア料理です。ローマで食事をしている人を想像しても、なんら羨ましさが湧いてこないと言ったらお解り頂けるでしょうか。今回は、このレストランのご主人、フランコ・カンツォニエーレさんにインタヴューしました。



JIBO: 出身地はどちらですか。

フランコ: ターラントなのですが、住んでいたのは8つの時までです。でも、あのターラントの美しい海は忘れられません。

JIBO: では、料理はターラント料理ですか。

フランコ: 中部イタリア、ローマの料理が中心です。イタリアに居た時はローマで働いていましたからね。でも私の料理には南部の影響があります。母や叔母達が作ってく れた料理も幾つかやります。例えば。オレキエッティなんかはターラントの料理の一例です。それに、魚介類はよく使います。

JIBO: 日本には何時いらっしゃったのですか。

フランコ: 丁度10年前です。東京で働いてみないかという誘いがありまして、それでやって来ました。日本についてはほとんど何も知りませんでした。大変だったのは、やはり、言葉です。一言もわかりませんでした。ですから、日本語を習いに学校へ行きました。難しい言葉ですけれど、私たちの言葉と全く違う言葉を習うことは面白い経験でした。それにイタリアではほとんど話せる人がいない言葉ですし。でも、私は仕事をしに来た訳ですから、日本語の勉強をそれほど深くする訳には行きませんでした。私の仕事に必要な範囲の日本語が解るということです。漢字も少し知っています。解らない時には人にきく事にしています。日本では人に訊ねることを恥ずかしがる様なところがあるみたいですね。私たちは何か解らないとすぐ人にききます。でも日本の人もきけば大概は親切です。道で郵便局がどこにあるか男の人に訊ねたのですが、郵便局に連れていってくれた事があります。30分くらい一緒に歩いたでしょうか。

JIBO: このレストランは何時からやっているのですか。

フランコ: 2年前、1998年3月からです。34席あって、平均、6、7人働いています。うちイタリア人は3人です。日本語の話しをしましたが、時々従業員と話しが上手く通じないといいますか、思っていることをうまく話せないことがあります。それで誤解を生じたりすることもあります。2年前までは私自身が従業員の立場にいたせいでしょうか、もっと主人として従業員と上手く話せるようにならなければと思っています。

JIBO: 日本でイタリア料理を作るのに手に入らない食材はありますか。

フランコ: いいえ。何でも揃っています。イタリアのあらゆるワイン、チーズ、パスタがありますし、肉や野菜といった生鮮食品も、何でもあります。無い物は何もありません。値が張るものはありますが、時として、本物の味、本当のイタリア料理を守るため無理して高いものを使わざるを得ないこともあります。

JIBO: 日本におけるイタリア料理のレベルはどんなものでしょうか。

フランコ: いいと思います。日本人のコックさんにも上手な人がいます。でも、まだ、あの日本独特の均一化という傾向がありますね。どういう事かといいますと、東京だけで1000も2000もイタリアレストランがあるのですが、多くのものが似通ったものだと思うのです。この日本特有の均一化をうまく説明できないのですが、みんな同じようになってしまう。例えば、日本人はスパゲッティ・アッレ・ヴォンゴレが好きだというので、どこへ行ってもそれが出てくる。テレビである料理をとり上げると、誰もがそれを求め、どこへでも行ってしまう。ですから、結局、どのレストランのメニューも似たり寄ったりになってしまうのだと思います。

ローマにもレストランが軒を連ねて集まっている場所というのもがあります。昔ながらの料理を出すのですが、どのレストランも個性があって、メニューはそれぞれ特徴があります。東京でも、これからは、レストラン間の競争を生き抜いていくためには、店の前にイタリアの旗を掲げるだけでは駄目だと思います。何かオリジナルなものを打ち出していかねばならないと思います。イタリアで2、3年修行をしただけでは不十分という時代になってきました。イタリアで、それも出来れば良い料理を作る有名なレストランで、しっかりした経験を積むことが大事だと思います。

JIBO: 横浜にもう一軒お店を開けると聞いていますが。

フランコ: はい。横浜の駅ビルに入ります。リトル・イタリーを作るというプロジェクトがありまして、ブティクだとかカフェだとかパン屋、ピッツィリアだとか、その外にも色々な店がオープンします。私はレストランを開きます。

JIBO: やはり、「イル・フォルネッロ」という名前にするのですか。

フランコ: いいえ。今度のはローマがテーマなので、「ピンチョ」という名にします。壁はフレスコ画にします。席数は50です。私自身は主にそちらに行くことになります。自宅からはちょっと遠いのですが、私はイタリア人ですから遠くに行くのは苦になりません。

フランコ・カンツォニエーレ (Franco Canzoniere)
トラットリア・イル・フォルネッロ(Trattoria il Fornello)
〒164-0001 東京都中野区中野 4-7-2、SHビル 1F
電話:(03)3387-5210
月曜日は定休日

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このインタヴューは水曜日の昼ちょっと前にフランコ・カンツォニエーレさんのレストランで行いました。11時半には、もうお客が二人入ってきましたが、ボーイさんが、「11時45分からですよ。」と言っていました。きっかりその時間に同じ二人が戻ってきたのに気が付きました。正午には店は満席でした。「イル・フォルネッロ」は近所で働く人が安く、速く食べるといった店とは違うのですが、あっという間に満員になりました。このレストランには何か人を引き付けるものがあるのだと思います。勿論、フランコさんの物静かな温かい人となりもあると思います。(K.M.)

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