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ITALY NEWS
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2000/09/01 
 
  イタリアの日本人 
  GIAPPONESE IN ITALIA  

本多 正憲 氏
Masanori Honda


YKKイタリア(株)代表取締役 社長
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JIBO:入社以来、どのようなご経歴ですか。


本多:1977年に入社し、大阪管轄の岡山出張所、大阪支店を経て、81年9月に香港社に赴任しました。そこで6年10ケ月、その後88年7月に台湾社に転勤し、3年4ヶ月。香港では子会社の営業責任者、台湾社では全体の営業統括をしました。

91年の11月に今度は英国社に赴任し、同様に営業統括。そして97年2月に同じくロンドンにあるのYKK Europe LTD という欧州統轄会社に移り、エジプトの立ち上げサポートや、中東地域のてこいれの手伝い、ヨーロッパ全体のマーケティング等を担当した後、同年11月にYKKイタリアに赴任といったところです。

JIBO:YKKイタリアの沿革は

本多:1968年創立で、イタリアに進出した日本の製造業としては一番古いと思います。工場はピエモンテ州のベルチェッリにありますが、地元経済界から、非常に熱心な工場誘致を受け、こちらへ来たと聞いています。

YKKイタリアは、ヨーロッパの中で5番目に設立されたのですが、基本的には関税障壁があったので、日本で生産して輸出するよりは外へ出て行って造ろう、個別のローカルのマーケットを見ながら商売しようという判断があり、ヨーロッパ各国に会社を創っていったのです。

当時は、欧州市場という見方はなかったので、国の数だけ会社があるような形になりました。それはそれで強みでもあったのですが、市場が統合されつつある今は負の面も出ています。例えば、価格も各国で違いがありますしジッパーの同一アイテムの仕様が違うということもあります。今はヨーロッパ市場全体を見ながら、色んな面で統合を進めているところです。しかし性急な統合はかえってお客様に迷惑が掛かることも考えられますので慎重に進めています。例を挙げればジッパーにも一つの製品で色々なパーツがありますが、各国ごとに規格が違うこともあります。

例えばジッパーの布の部分、「テープ」と言いますが、英国なら14mm広幅で、他の国なら12mmがいいというように。昔、スタンダード製品の仕様をみんなで考えたことがあったのですが、それぞれのパーツごとに「あーでもないこーでもない」と言いながら適した仕様を黒板に書いていって、最後に最終的に決まった仕様の製品を「じゃ、どこの国がそれを作っているの」と質問したところ、実際にその仕様の製品をつくっている国はどこもなかったという笑い話のような話がありました。最終的にはスタンダード製品の仕様を決め、欧州間の国々で互いに流通させることを可能にする一方で 各国のマーケットで要求される仕様の製品は特殊仕様として残すことで対応していますが、それぞれのマーケットの嗜好に合わせつつ、スタンダード製品を作ることの難しさを痛感しました。

ただこういったことは、今後もステップバイステップで進めて行かなければならないと考えています。今までの各国対応の動きのいいところを勿論利用しないといけませんが、マイナス面をいかに早く整理するかが課題ですね。さらに、グローバル化の中で、ここの商品がアジアに流れた場合に呼び方やパーツが違うと困るので、世界的に製品群や規格を整理する動きを本社を中心に進めています。

JIBO:現在の陣容は

本多:YKKイタリアの陣容はミラノに本社があり、先ほど申し上げたようにヴェルチェッリに工場があります。パドヴァとボローニャに事務所と倉庫があり、去年の秋にフィレンツェに営業事務所を開きました。

社員は300人強で日本人出向社員が11人です。YKKイタリアは、主としてジッパ-類の生産及び、販売をしています。それ以外に コスモロンというブランド名の面ファスナーとジーンズボタンやリベット、スナップを姉妹会社から購入し 販売しています。

またイタリア国内には、別会社でジッパーのスライダーというパーツを生産しているYKK地中海社、そして、ジーンズ用ボタンやリベットを生産しているのYKKファスナーズという会社もあります。それぞれグループ内の独立した会社です。私どものクライアントは大半がベネトンなどのようなアパレルメーカーですが、その他カバンや靴メーカー等も大事なお客様です。年間売上げは1000億リラ程度です。

YKKは金額で世界で50%近いシェアを持っていると思われます。50%というとすごいと感じられるかもしれませんが、我々としては、あと50はあるという感じですね。その中でイタリアはどちらかというとYKKのシェアの低い方です。ここは、比較的価格の安い市場が大きいマーケットで、弊社の製品価格では攻め込みにくい部分があります。ただ反面、マーケットシェアの低い分、やりようでは他のグループ会社に比べ伸びる要素は持っていると思っています。

私共にとって、脅威とは言いませんが、かなり競合している会社がスイスとイタリアにそれぞれ1社づつあります。ジッパーの中でのニッチに強いところを持つ会社です。YKKは特別のマーケットを選ばないでどこに対しても優位に立ちたいという気持ちがありますから、そこの強いところ以上に強いものを造って、シェアを伸ばしていきたいと日々努力しています。

JIBO:各国ごとに製品も違うのでしょうか。イタリアならではの特色はありますか。

本多:一言でいうと、欧州の多くのYKKが大きな分類では、主にジッパーを扱っていますが、先ほども申し上げたように、それぞれの国で、特殊なものが結構あります。また開発面などでも私共の会社ではベース部分の開発をコア開発と言い、これは大変な投資や、技術力を必要とする場合が多いので日本で行っていますが、ローカルでできる開発を、サテライト開発(周辺的な開発)と呼んで、これに関しては各国で色々と対応しています。そしてイタリア社では特に最近顧客と一緒に商品作りを行うサテライト開発や、ファション性の高い製品に結びつくサテライト開発に力を入れていますので、そういった面での特色が強くなりつつあります。

昔の我々のセールスマンは、向こうの購買担当の方と、いわゆる「売って買って」の世界だったのですが、それを今はさらにその上の企画段階に参入しようと努めています。つまり営業の担当がアパレルメーカーなどに出向いてバイヤーと商談を進めるのが通常ですが、企画段階まで入り込み必要に応じて、工場の技術者なども同行して開発の話なども進めよう、情報も先取りして事前に万全の準備をし、顧客満足度を飛躍的に高めようというものです。

協力関係は多面的に深くなりますし、当社への依存度も益々高くなります。企画に携わる方々との関係と、今までのバイヤーとの両方のコンタクトが強くなれば当社の立場もすごく強くなるわけです。サンドイッチのように上から下から行きましょうと提案型営業を目指していますし、そういう意味で顧客と一緒に商品創りを行うサテライト開発の強化は必要不可欠と考え力を入れています。

それから我々としては、ファッション先進国イタリアならではの特有なものを作り出そうとしています。もしそれが本当にいいものだとすると世界に広がって行き、ひいてはグループ会社に貢献できると考えていますので。例えば、毎年、ミラノで開催される生地・付属品の国際見本市「モーダ・イン」などで、我々が新商品を展示すると、1週間も立たないうちに、アメリカのYKKからイタリアで見たというデザイナーからこういうのが欲しいと言われたんだけど、どういうの出したの、とか、同時期に香港からも同じような問い合わせが入るとか様々な反応があります。そういう意味ではモーダ・インへの出展というのは情報発信の貴重な機会だと思いますし、世界中はグルグル動いているなぁというのを感じますね。イタリアの市場特性を利用したビジネスを展開していきたいと考えています。

JIBO:今後、力をいれていかれるのは、どのようなことでしょうか。

本多: アパレルメーカーであるお客さん自体の市場での競争が厳しくなっていますから、どこも、生き残りをかけて必死になっています。それで現地のスタッフ会議でいつも話し合うのは、我々の扱う商品がお客さんの競争力の向上に貢献できれば、お客さんの方からYKKに寄ってきてくれるだろうということです。例えば、他社は売るだけ、ところがYKKは色々なサジェッションをしてくれると。

"Be Best at Providing Fastening Solutions"と言って、いわゆる我々の扱う製品に関して総合的に絶えずベストな提案ができる会社たれ、というのをひとつの標語にしています。

また日系企業でもともと得意なのは、大量生産型の普及品ですが、今それを一歩脱したい、一歩先に進んでもっとファッショントレンドを先取りしたものをつくっていきたいと思っています。今まではいいものを大量につくり、リーズナブルな価格で売れば売れるという世界でしたけども、単にファスナーを造って、値段を決めて売っているだけの完結型ではもう市場についていけません。お客さんの方向にむかって、自分たちでも何か発信して、自分たちでもマーケットを造っていきたいという考えです。

今、実際もう始めているんですが、ミラノのファッション系スクールのカルロ・セコリ校に協力を求めて、学生の方に、例えば、2001年の春夏ものはどういうものが流行りますかとか、あなたたちの感じる、考えるデザインを描いてくださいとお願いして、それを元に我々はジッパーをつくり、モーダ・ インでも展示しています。今まで2回やりました。その結果、それがばっと売れるとまではいっていませんが、基本的には継続することが大切だと思っています。今後はこういった活動を強化して行きたいと考えています。会社全体としてもそういったことをやろうとしてニューヨークにショールームを作ったりしているんです。

今まで、弊社は機能性や品質重視で、ファッション性はそれに比べ劣っていたのですが、それではよくないと考えます。 YKKグループを見たときに、その改善に適しているのは ここヨーロッパ、絞ればイタリア、フランスですね。そのメリットを生かして新しい動きができないか、とチャレンジしてるところです。

JIBO:イタリアでビジネスをして感じられることは

本多: イタリアに来て思ったのは、いわゆるアバウトでやるというのがありますね。 端的な例でいうとマルペンサ空港のオープン時ではないかなと思うのです。開港日になって、空港のエレベーターの中の階数を書いたシートがまだ貼り付けていないとか、港内のバスの運転手が隣の運転手に「俺はどこへ行けばいいんだ」とか聞いていたとか。それでもやっちゃうすごさ。飛行機が落ちたら大変ですよ。ところがあそこまでめちゃくちゃだけど、飛行機は落ちないし、大事故にはつながらない。運が良いだけという人もいますが、押さえどころところをわかってやっているのかなと感心します。あんな状態の中で、開港してしまうというのは日本では考えられないし、日本なら大事故をひきおこすと思います。

会社も一般的にもそうかもしれませんが、80%ぐらいを積み上げでやったら、あとの20%はやりながら詰めていけばいい、という発想なのかなと思います。日本人の場合は、100%こねて、120%ぐらい詰めてから初めて実行しますでしょ。だからそれはやっぱり違うなと。社内でもローカルのスタッフと話すと、なぜそこまで細かいところの話を詰めるのかと、いわれることがありますね。

日本人がある程度、一緒に計画立てながらやるけれど、イタリア人に主体的にやってもらって、日本人はモレがないかを見るというような、日本からの出向者員が減る中でローカリゼーションしようと思ったら、そういうスタイルが必要でしょうね。ただ、ツメのところを絶対怠ってはいけないとは考えますが

JIBO:こちらで仕事をなさって、難しいと思われることは

本多:色々ありますが、ローカル方式の良さと日本方式の良さの調和をどのようにとるかと言う点が一つ挙げられると思いますね。例えばイタリア方式はスピード感はあるが慎重さに不安が残る。一方、日本方式は安心感があるがスピード感に欠けると。スピードのあるイタリア方式と安心感のある日本方式をどうやって組み合わせれば、早くていいものができるのか、それが一つの個人的なテーマですね。

日本企業ということで何でもかんでも日本の方式を取り入れようと思ったらどっかで軋轢が起こるし、イタリアに来たのだから、全てイタリアの方式でやりましょうとすると、日本企業の良さは?ということになりますから。ですから、自分達の譲れる線と譲れない線、この線の引きどころが難しい。 下手するとずるずると、あれ、イタリア方式に寄りすぎじゃないかなとか。だから日本本社に対して、それぐらいのレベルで検討はいいから、もう行きましょうよといいつつ、あれ、俺これでいいのかなとか、昔はこんなこと言っていなかったのじゃないかなとか、いやそっちの方が正しいんじゃないのとかね。完璧じゃないけれど、ここまでのレベルだったらいいと。そこの落とし所が難しいんですね。

それと 今一番頭が痛いのは、工場スタッフにもっと流動性を持たせられないかということ。労働コストを下げたいのだけど、フレキシブルになりつつあるとは言え、流動性が低いので難しいですね特に私どもの商品は、ファッション性が高く季節性が強いですから。ここは労働条件などについて、少なくとも6ヶ月くらいのの単位で考えないとダメですから、この辺の調整は難しいです。またよく言われますが 税金の高さや その制度の複雑さなども頭の痛いところです。

JIBO:御社は海外勤務の方が多く、しかも勤務年数も長いようですね。

本多:99年現在の数字ですが、世界中で、進出国数は、54ケ国、工場数81、法人数は合計で86社にのぼります。基本的に創設者である先代の社長が「ローカルに行ってローカルの人になりきれ」、という考えを持っていましたので、最近は変わりつつありますが、我々が海外に出たころは他の会社のようにローテーションが決まっているということはなかったですね。ですから、一個所で長い年数の駐在も多く、フランスで20年弱の駐在員、ドイツではそれ以上の社員がいます。海外赴任は本人の希望によりますけれど、入社の際、ファスナーの事業部には来るものは全員海外に行くという気持ちで入ってくださいと言っているようです。

私自身、入社以来、最初の4年間を除いて20年近くを海外で過ごしていることになります。私は個人的に海外が好きですから、多分日本にいるよりはハッピーで充実感をもってやっていると思います。日本の土壌に会わないというよりも、海外の方がチャレンジが多いというか。日本の国内で5年おきに転勤するのと、海外で5年おきにいろんな国へ行くのとでは、格段に違うと思いますから。 私はむしろその違いが好きなのですね。だから許されるのなら、定年まで海外にいたい。私が定年まで海外にいると、現時点の海外勤務最長記録を塗り替えることができるのですが、今はそれを楽しみにしています。だから海外で働きたくて会社に入ったし、それを叶えさせてくれる会社に対しては感謝しています。

JIBO:御家族はどうなさっておられますか

本多:子どもは3人。大学2年と高校3年の男の子と高校1年の娘ですが、すべて日本にいます。中3までは日本人学校にいて、高校生になった途端に1人、2人、3人とすべて日本に帰っていきました。長男はアパート、次男は寮のような下宿、娘は寮に入っています。最初は、子供と離れてどうかと思いました。勿論マイナスの面もあったんですが、プラスの点もあるなぁと感じるようになりました。子供達が照れくさそうに「家族って大事だね」とか「お母さんの作る料理うまいなあ」とかそういうことを言いますね。家族の良さがよくわかるだけでも離れているのもそんなに悪くないなと思います。年に2回ほど会っていますし、決して離れていることが悪いことばかりとは思ないなぁ。彼らが相談したいときにいないかもしれないし、勿論マイナスの面もあります。ただ今は電子メールがありますから。短いメールが来ますよ。例の携帯電話を使って。一緒に住んでいたら、こんなことはないかもしれないですね。

私自身、海外が好きで各地をまわっていましたので、子どもに幼馴染みができないので申し訳ないなと思っていたんですが、子供が、日本で、昔の香港の仲間やミラノの友達と会うようなことを言っていました。私が小学校の同級生と今会うかって言ったら、なかなか会わないですから、かえってバラエティにとんだ幼馴染みができるのかもしれないですね。今、海外で仕事している人も増えていますから、子供が将来働き出して海外に行ったときに、昔の香港日本人小学校のだれだれさんと出会う可能性もありますね。自分の子どものときより可能性が広がっていると思いますね。

そんなわけで、今は久しぶりに家内と二人きりになりました。絶えず子どもがいた生活が、パーンと抜けるので最初は夫婦二人きりで話出来るのかなぁって…って冗談いっていましたが、まぁまぁ今のところ何とか…楽しくやっいます。
〔聞き手 大島悦子〕

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  日本のイタリア人  
  ITALIANO IN GIAPPONE 

フランコ・カンツォニエーレ 氏
Franco Canzoniere


トラットリア・イル・フォルネッロ(Trattoria il Fornello)

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東京の中野、区役所に程近いけやきの並木道、丁度、区立体育館の前に、イタリアレストランが一軒あります。暑い夏、並木の木陰は大都市のオアシスのように感じれれます。レストランの名前は「イル・フォルネッロ」。中に入ると、途端に、あの良きイタリアの雰囲気に包まれます。内装の趣味もなかなかのものです。料理は典型的なイタリア料理です。ローマで食事をしている人を想像しても、なんら羨ましさが湧いてこないと言ったらお解り頂けるでしょうか。今回は、このレストランのご主人、フランコ・カンツォニエーレさんにインタヴューしました。



JIBO: 出身地はどちらですか。

フランコ: ターラントなのですが、住んでいたのは8つの時までです。でも、あのターラントの美しい海は忘れられません。

JIBO: では、料理はターラント料理ですか。

フランコ: 中部イタリア、ローマの料理が中心です。イタリアに居た時はローマで働いていましたからね。でも私の料理には南部の影響があります。母や叔母達が作ってく れた料理も幾つかやります。例えば。オレキエッティなんかはターラントの料理の一例です。それに、魚介類はよく使います。

JIBO: 日本には何時いらっしゃったのですか。

フランコ: 丁度10年前です。東京で働いてみないかという誘いがありまして、それでやって来ました。日本についてはほとんど何も知りませんでした。大変だったのは、やはり、言葉です。一言もわかりませんでした。ですから、日本語を習いに学校へ行きました。難しい言葉ですけれど、私たちの言葉と全く違う言葉を習うことは面白い経験でした。それにイタリアではほとんど話せる人がいない言葉ですし。でも、私は仕事をしに来た訳ですから、日本語の勉強をそれほど深くする訳には行きませんでした。私の仕事に必要な範囲の日本語が解るということです。漢字も少し知っています。解らない時には人にきく事にしています。日本では人に訊ねることを恥ずかしがる様なところがあるみたいですね。私たちは何か解らないとすぐ人にききます。でも日本の人もきけば大概は親切です。道で郵便局がどこにあるか男の人に訊ねたのですが、郵便局に連れていってくれた事があります。30分くらい一緒に歩いたでしょうか。

JIBO: このレストランは何時からやっているのですか。

フランコ: 2年前、1998年3月からです。34席あって、平均、6、7人働いています。うちイタリア人は3人です。日本語の話しをしましたが、時々従業員と話しが上手く通じないといいますか、思っていることをうまく話せないことがあります。それで誤解を生じたりすることもあります。2年前までは私自身が従業員の立場にいたせいでしょうか、もっと主人として従業員と上手く話せるようにならなければと思っています。

JIBO: 日本でイタリア料理を作るのに手に入らない食材はありますか。

フランコ: いいえ。何でも揃っています。イタリアのあらゆるワイン、チーズ、パスタがありますし、肉や野菜といった生鮮食品も、何でもあります。無い物は何もありません。値が張るものはありますが、時として、本物の味、本当のイタリア料理を守るため無理して高いものを使わざるを得ないこともあります。

JIBO: 日本におけるイタリア料理のレベルはどんなものでしょうか。

フランコ: いいと思います。日本人のコックさんにも上手な人がいます。でも、まだ、あの日本独特の均一化という傾向がありますね。どういう事かといいますと、東京だけで1000も2000もイタリアレストランがあるのですが、多くのものが似通ったものだと思うのです。この日本特有の均一化をうまく説明できないのですが、みんな同じようになってしまう。例えば、日本人はスパゲッティ・アッレ・ヴォンゴレが好きだというので、どこへ行ってもそれが出てくる。テレビである料理をとり上げると、誰もがそれを求め、どこへでも行ってしまう。ですから、結局、どのレストランのメニューも似たり寄ったりになってしまうのだと思います。

ローマにもレストランが軒を連ねて集まっている場所というのもがあります。昔ながらの料理を出すのですが、どのレストランも個性があって、メニューはそれぞれ特徴があります。東京でも、これからは、レストラン間の競争を生き抜いていくためには、店の前にイタリアの旗を掲げるだけでは駄目だと思います。何かオリジナルなものを打ち出していかねばならないと思います。イタリアで2、3年修行をしただけでは不十分という時代になってきました。イタリアで、それも出来れば良い料理を作る有名なレストランで、しっかりした経験を積むことが大事だと思います。

JIBO: 横浜にもう一軒お店を開けると聞いていますが。

フランコ: はい。横浜の駅ビルに入ります。リトル・イタリーを作るというプロジェクトがありまして、ブティクだとかカフェだとかパン屋、ピッツィリアだとか、その外にも色々な店がオープンします。私はレストランを開きます。

JIBO: やはり、「イル・フォルネッロ」という名前にするのですか。

フランコ: いいえ。今度のはローマがテーマなので、「ピンチョ」という名にします。壁はフレスコ画にします。席数は50です。私自身は主にそちらに行くことになります。自宅からはちょっと遠いのですが、私はイタリア人ですから遠くに行くのは苦になりません。

フランコ・カンツォニエーレ (Franco Canzoniere)
トラットリア・イル・フォルネッロ(Trattoria il Fornello)
〒164-0001 東京都中野区中野 4-7-2、SHビル 1F
電話:(03)3387-5210
月曜日は定休日

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このインタヴューは水曜日の昼ちょっと前にフランコ・カンツォニエーレさんのレストランで行いました。11時半には、もうお客が二人入ってきましたが、ボーイさんが、「11時45分からですよ。」と言っていました。きっかりその時間に同じ二人が戻ってきたのに気が付きました。正午には店は満席でした。「イル・フォルネッロ」は近所で働く人が安く、速く食べるといった店とは違うのですが、あっという間に満員になりました。このレストランには何か人を引き付けるものがあるのだと思います。勿論、フランコさんの物静かな温かい人となりもあると思います。(K.M.)

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