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ITALY NEWS
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2000/08/01 
 
  イタリアの日本人 
  GIAPPONESE IN ITALIA  

篠田 昭二 氏
Shoji Shinoda


フィアット日立エクスカべータ 副社長 
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JIBO:これまでのプロフィールは


篠田:日立に入社したのが1965年ですので、今年で35年になります。もともと日立製作所に入りまして、配属されたのが建設機械をやっている工場でした。それが1970年に事業部ごと子会社として独立したため、日立建機に転属となったわけです。そし てそのまま工場の生産管理と技術課という部門をやってきました。といっても、私は事務屋で営業部門と設計開発部門の接点など、工場の窓口的な役割をやっていたのです。ということで、事務屋ながら技術的なこともほぼ分かるようになりました。それを20年間やってきました。当初は東京の足立工場に5年、その後15年は茨城県の土浦工場です。

1985年に海外事業部に転属になりまして、それ以来海外関係の仕事を今年までで15年続けております。 工場部門にいた頃に海外営業がやっている仕事を工場に取り次ぐ仕事にも携わっていたため、輸出に関する仕事に馴染みもあり、海外の仕事をやってみたいという気持ちはありました。そして85年に海外事業部へ転属となり現在15年になります。 87年から91年まで私はマレーシアの合弁会社社長として、日本からの完成品をマレーシアやシンガポール市場での直販をやっていたのです。さらにそこで部品製造の仕事も加わり、その工場の立ち上げも現地でやりました。基本はあくまでも日本からの輸入販売、現地でのディストリビューションでしたが、合わせて製造の仕事も始めたということです。

91年日本に戻り、95年まで本社の国際事業部門でヨーロッパとの窓口の仕事をしました。95年7月にイタリアにきて今年でちょうど5年になります。

JIBO:フィアット日立社の創立のいきさつは

篠田:ちょうど、私が海外部門に移った80年代中ごろの前後から、従来の輸出が少し転機にさしかかってきました。具体的にいうと、ヨーロッパには日本から完成品を輸出して売っていましたが自動車と同様の貿易摩擦が起きはじめており、それに対応する新しい打開策を考えなくてはいけない時期にさしかかっていたんです。

解決策として日立としては、ここでインサイダーとして現地で直接生産をして販売をするという決定をしたわけです。その時、日立が100%自己資本で進出するのではなく、ヨーロッパでしかるべきパートナーをみつけて、ハーモニーを持った形でそのパートナーと一緒にやっていくという判断をしました。それが最終的に決まったのが87年でした。その結果として生まれたのがフィアット日立エクスカべータという合弁会社です。

JIBO:合弁会社成功の理由はどこにあるのでしょうか

篠田:建設機械は非常に専門的な機械で市場も限定されていますので、国単位にものをつくって販売するのではなく、ヨーロッパ市場全体を見て対応して初めて、一つの市場ボリュームになるのです。結果として、ヨーロッパ地域全体のいいパートナーがイタリアのフィアット社だったわけです。

合弁事業が成功した理由としては、結果論的な部分もあるのですが、フィアット側のニーズと日立側のニーズがうまくあったことがいえます。日立としては当然ヨーロッパのマーケットを確保するためには、きちっとしたパートナーが必要だったということ、フィアット側としては、フィアットとして建設機械を従来からやってきたわけですけれども、製品開発面で自力で競争するには限界がきていたので、彼等としてはテクノロジーを供給してくれるパートナーを探していたのです。一方、マーケットに関しては日立は、比較的アルプスの北で頑張っていたのですが、フィアットは、イタリアはもちろん、フランスやヨーロッパの南で強く市場としても補完関係が築けたのです。最終的に合弁会社をつくって、代理店を統合する場合もあまりダブらないと判断したのです。

もう一つ大事な点は、合弁の際に、私どもはマジョリティをあえて要求しなかったのです。設立時の日本側全体のシェア49%です。ヨーロッパ全体の中でダイナミックに仕事をしていくためには、管理、運営の面で日立が自前で頑張るよりも、きちんとしたシステムを持つパートナーに全体のマネージをしてもらう方がメリットがあると考え,経営はフィアットにまかせ、 私たちは技術的な面をきちっとやるという役割分担をしました。私どもはマジョリティという形よりも実をとったということです。これは、当社として意図的に戦略的に判断したものですがこれが成功した大きな要因だと考えています。

日立は「三極体制」という構想を持っており、日本を含むアジア、アメリカ、そしてアフリカを含めたヨーロッパと地球儀を3つに割った形で市場をみています。したがって、ヨーロッパだけではなく、中近東・アフリカも含めて地球を縦に割ったこちら側が、フィアット日立のテリトリーとなり、イタリアは日立の世界三極体制構想の主要拠点となっています。アメリカでもヨーロッパとほぼ同じ時期に同様の政策のもと、同じような合弁会社を始めたわけです。日立は世界中自前でやるだけの資金力が十分にはありませんのでいいパートナーと経営資源をシェアしあうというポリシーがあったわけです。

JIBO:現在の陣容は

篠田:現在のフィアット日立社の資本金は、約8000万ユーロ、約80億円です。このうち、日立建機の出資率は36%で、住友商事などを含めた日本側全体では43%です。従業員が約1600名。工場は本社のあるトリノ近郊のサンマウロともう一つ はイタリア南部のレッチェの2工場です。当初は日立のエクスカベーターについてこのサンマウロの合弁会社で生産するだけだったのですが、これがスムーズにいったため、フィアット社側が独自に生産していたものもすべてフィアット日立でやってくれ、という要求が出てきました。そのためブルドーザー等を生産していたレッチエ工場もフィアット日立として一本化し会社の規模も大きくなりました。

現在売上高は、7億ユーロ、700億円ですが、このうち約半分強が日立建機オリジンのエクスカベーターでこれで商売が成り立っているわけです。

この機械は日本で販売しているものと基本的には同じですが、規格も含めて、ヨーロッパの市場のニーズに合わせてそれ専用の工夫もしています。エクスカベーターは元々は戦後早い時期にヨーロッパで生まれ、一時は日本に輸出されていた時期もあるのです。そして日本に合う形にリファインされたのです。建設機械全般から見ますと、世界最強はキャタピラ社という会社がありますが、エクスカベーターについては、日立は、世界レベルで非常に競争力を持っておりトップリーダーとして定着していると思います。使い勝手も良く、コストの競争力もつき、日本で生まれ変わり、今度はヨーロッパに逆上陸したわけです。

JIBO:社内のイタリア人、日本人の役割分担は

篠田:社長はイタリアの人でフィアットの人間です。私より少し若い人です。私は副社長です。すべての経営責任は社長にあります。ラインに対しての命令も社長を通してしています。私はどの分野に対しても首をつっこめるわけですが、最終的な命令としては社長を通します。私が日立の目で見てこうしてほしいということがあれば、私と社長の話し合いをして社長の言葉として命令は出されます。対外的にもそうです。それが基本的なスタンスです。これは合弁会社をつくった時点からの体制です。

日本人スタッフは10名おり、1名が営業マーケティング、それ以外は技術分野の設計、製造、生産技術、品質管理などの人間です。彼等もラインの責任者ではなく、あくまでアドバイザーという立場です。各部門にはイタリア人の責任者がいて、我々は横からいろいろな意見をだし、ノウハウを伝授する。これが日本人スタッフの基本的な役割となっています。

日本の本社との関係も、日立では基本的に現地に任しています。フィアット日立の取締役会を年4回開き日本側の役員も来ます。そこでかなり日立としての要求を話しますし、絶えず私とフィアット日立の社長との間で日常的に色々な話をしています。その中に東京側からの指示もありますが、それは少しスパンをおいた形で自分が請け負ってやりますし具体的に展開についてはイタリア側に任されています。いずれにしても我々が経営権を持っているわけではありませんのでイタリア人にやってもらう形に徹しています。

JIBO:合弁のメリットとしては

篠田:ヨーロッパには、当然のことながら、日本にはないお客様のニーズがあります。その面では日本で日本人が勝手に想像するのではなく、ここの人間が営業といっしょになって現地でいろんなことを考えてつくるということが、ずいぶん役立ってい ます。使い勝手のこともあるし、ヨーロッパにはヨーロッパの独特のEN規格というのがあります。ヨーロッパ内部できちんと仕事をしているからこそ、この種の情報入手が可能であり、そのノウハウが日立としてはずいぶん勉強になっています。これは日本人が独自に現地で動き回って、走り回ってできるものではありません。また、日本にも規格に関してのヨーロッパの出先機関がありますが、そこを通じてやっていても本当のところはつかめるものではありません。この合弁会社をを通じて情報を豊富に入手し、現実的な話をきちっと詰めることができるのです。規格の解釈や対応は最終的にメーカーの自己責任になることですが、ミスすると大変なことになります。これでよしと、規格担当機関が納得してくれれば後は製品の製造に専念できるわけです。そこの判断は現地に根ざしていて現地できちっとした情報が取れることこそが、合弁をやるメリットです。

JIBO:工場の運営など、どのような特色がありますか。

篠田:元々は、フィアットが従来行っていたシステムですが、現在の工場の生産運営や技術的な観点では、フィアットの車など他工場と比べると独自色を持っています。日立のやり方を押し付けているわけではないのですが、日立のやり方をかなり参考にしながら、フィアット純粋なものでないものを取り入れています。例えば日本的ないわる「小集団活動」とか、「5S」といった活動もかなり定着しています。最初から上手くいったわけではなく試行錯誤がありましたが、今はヨーロッパの機械工業の業界ではトップレベルの成果をあげるまでになりました。日本的なものを持ちつつそれをイタリアナイズさせ、日立とフィアットの文化を上手く融合させることができたと思います。

特に、改善・アイディア提案が非常に定着してきました。97年にスタートしたのですが、最初は年間50〜100件が、現在累積で3500〜3600件になり、ほぼ社員全員が1件は提案しているという状況になっています。提案を出した時点でまず報奨があり、提案が実現した場合はその程度によって報奨がもらえます。それを年に3回定期的にトップが出て表彰しています。

自分の貢献が評価されているということは、とても励みになっているようです。この制度はイタリア人の経営者陣も理解し、率先してやってくれます。これは日立の押し付けではないです。タイミングとしては私の着任後ですが、前任者達が下地を作ってきていた上での積み上げです。

最初は何故こんなことをしないといけないのかとか、自分達は上から言われたことをやっていればいいのだろう、とこれはイタリアのトップダウンの社会では当たり前のことですがそういう意味で最初は抵抗もあったのですが、イタリア人会社幹部に理解をもらえた、そしてトップの声として下ろしてもらえたこと、またやっている中で社員の間にも自分達にメリットがあることが少しずつ感じてきたことがいえると思います。

JIBO:最近の業績が好調とうかがいましたが

篠田:今年は非常に業績が好調です。99年には年間生産3000台だったところ、今年は前年比26%アップの4千台の大台を越えそうです。一日当たりの生産台数も12台だったところが17台へと生産性が大きく向上しています。これまでも代々の駐在員が取り組んできたことですが、おかげさまで、この3-4年、非常に恵まれた状況にいます。

我々がある意味で自慢に思っていることですが、毎年社員50名を各部署から集めて、日本に研修旅行に1週間出しています。マネージャークラスから事務員、現場ワーカーまで含めてです。今回で7回、合計350人行っています。研修の内容は、ご褒美も含めた工場見学などですがこの研修を通じて、目の当たりに日立の本工場でこんなことをやっているんだと見ているうちに、我々のもの作りの思想も理解して受け止めてくれるようになりました。これが底辺で流れをかえてきている大きな要素です。研修から帰ってきたメンバーでいろいろ話もしているようですので、非常にモチベーションとしていい影響を与えていると思います。

JIBO:イタリアでビジネスをしてお感じになることは

篠田:一般的にいって、経営者・管理者の個性が非常に強く、日本と比べ経営陣がよく働くと思います。トップへいけばいくほどよく働きます。個人責任が非常に大きく、ビジョンも非常にクリアで、日本的にいえば合意でまぁいいやというスタイルとは全く違いますね。それからエンジニアなど主要メンバーの大学卒が、非常にエリートで日本の学卒レベルとは違います。 我々も毎年採用しているわけですが、かなり早い段階で大なきな仕事をアサインし、それをちゃんとこなしていますね。ともかく組織はトップダウンなので、判断が割合早く出てくるというのが、良さだと思います。

一方、自分を守る意識は我々日本人よりも強いですね。こちらは、上が絶対的な権限を持っていますから自分が間違っていたとは言わないし、上司にも言わせない、そのために、最大限の手を打ちますね。「ごめんなさい」ということはありえませんね。そんなものかなと思っていますが、やっぱりそこまでやらないといけないのかなと思いました。それで私がとんでもない経験をしたということはありませんが。

JIBO:問題と感じるのはどのような場面ですか

篠田:なんとかならないかなと思うのは、全体から見ていると計画性という点では日本人よりは弱いかなと思います。我々から見ると、ひとつのカオスだと思えることが彼等にとっては普通ですよね。ところが、火事場の馬鹿力でやって結果としてはちゃんとやってしまうわけです。我々には計画性がないように見えることもマイナスではないのかなと僕自身は感じています。

例えば年1回ヨーロッパの全テリトリーの代理店の方を招いてコンベンションをやっているのですが、日本ですと、事前準備は事細かにしっかりするのですが、こちらではそうではないんですね。最初の頃はハラハラして、もう無理だろうと思うわけです。ところが真夜中に徹底的にやり当日はきっちりとやるわけです。そして予想以上の成果をあげるわけです。日本的な計画性はないようでいて、ある意味で彼等の身体についているシステムがあるように感じがします。

JIBO:イタリアでの生活についてはいかがですか

篠田:いわゆるイタリア的な感覚の部分でいらいらすることは勿論ありました。しかし、今はイタリア的になりきっていますので、日本側から見ると「あいつは何だ」ってことになっているかもしれません。こちらでは個人的な人間関係が日本とは違った形で非常に重要だと思います。仕事をやる面で、24時間べったり仕事仲間で動いていないといけないということはなく、5時になるとピタっと帰る人もいますし、そういう意味ではやりやすいと感じています。管理職でないスタッフはすぐ時間で帰ります。これについてまったく抵抗がないかというと多少ありますが。

マレーシアで4年やったときも似たようなものでした。向こうも殆どの従業員が華僑系で同じような経験をしました。むしろ、日本だけが異質なのだなと思います。

こちらには妻と二人です。娘は結婚し、息子も社会人として働いています。三菱の杉田さんと同じで犬を連れてきています。息子が子ども代わりにもらってきてくれたのです。ミニチュアシュナウザーです。マレーシアは子どもの学校のことがあり単身赴任だったので、家内は今回が初めての海外生活です。おそらく、私が出張が多く一人で留守番が多かったので最初はなんのために来たのかしら、というのはあったでしょうが、現在は楽しんでいると思います。

週末はよっぽどのことがない限りきちっと休んでいます。そういう意味ではリズムがはっきりしています。日本ですと残業したあと、付き合いがありますが、ここはないので、いいなと思います。来客がない限り、帰って自宅で食事をします。今は家内との時間も長いですね。この夏は、妻と二人と一匹でのシチリア12日間の旅をします。これはイタリアにいる駐在員の皆さんがおっしゃいますがやはりこっちの方がいい生活スタイルだと思いますね。  (聞き手 大島悦子)

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  日本のイタリア人  
  ITALIANO IN GIAPPONE 

アルベルト・アリエッティ氏
Dott.Alberto Arietti


サンパオロIMI銀行
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今日、サンパオロIMI銀行東京支店のシニアーマネージャー、アリエッティさんに会いました。地下鉄、御成門駅のすぐ近 く、芝公園、増上寺の緑が目の前です。東京タワーも見える眺めのいい会議室で待っていると、満面に笑みをたたえてアリ エッティさんが現れました。

雑談の中で、ふと野球について述べられました。イタリアではライト守り、4番打者だったそうです。監督もしていたそう で、インターレジョナル大会決勝戦で1対0で負けた時の話もしてくれました。若々しいスポーツマン精神旺盛な方だなとい うことが判り、大変リラックスした楽しい雰囲気でのインタヴューになりました。



JIBO:アリエッティさん、イタリアはどちらの御出身ですか。

アリエッティ:ピエモンテ州、フォッサーノの出身です。クネオ県です。この小さな村の事を知っている同国人に東京で会うのには驚かさ れます。カラビニエーリや軍隊の兵舎があったり、仕事で地場企業と関係があったりしたことがその理由のようです。新宿 の近くにフーディアムというビルがありますが、そこのレストランは私のくににある会社の名を名乗り、そこの製品を使っ ています。驚きでしょう。製品て無論パスタですよ。

JIBO:初めて日本にいらしたのは何時ですか。

アリエッティ:1981年上智大学市ヶ谷校舎で夏期講習を受けました。1983年にも同じ夏期講習を受けました。教授陣側だったヴォルピさん に会ったのはそこでです。感銘も受け、以来大変お世話になっています。私が日本に惚れてしまったのには、彼のせいも少 しはあるのです。

JIBO:何か困難なこととかありましたか。

アリエッティ:勿論ですよ。特に最初の頃はね。初めて日本にきた時のことを思い出します。まるで他所の惑星にでも着陸してしまったよ うな気分でした。多分当時の飛行機旅行は今よりずっと時間がかかったということも影響していると思います。 まず第一に、看板やら表示は殆どのものが何を書いてあるのか判らない。大学が回してくれたタクシーの運転手さんだって 宿舎がわからなくなってしまって。郵便配達の人がバイクで前を走ってくれて、私の乗ったタクシーはそのあとをずっとつ いていったのです。ようやく目的地に着いたのですが、次から次に、問題続出。鴨居はえらく低いし、シャワーもえらく低 いはで、体を折り曲げかがんで何でもせざるをえない。部屋だってとっても小さいんです。でも最も印象的だったのは、 ラッシュアワーに電車に乗ることでしたね。

憶えていますけど、はじめの電車が来るのですけれど、これには乗るまいと思 うんです。だって、超満員なんですから。次を待てばいいさと思うんです。でも5台目には観念しました。多分状況は変わ らないだろうと判断し、授業に遅れないためにも乗り込みました。そう、それから思い出すのは、当時は西洋人に道で行き 会うとお互い笑顔を送りあったものです。一つはお互いほっとした気になったものだし、同時に、ある意味ではこんなに違 う世界での同胞愛みたいなものもあったんですよ。

JIBO:何時から日本にお住みですか。

アリエッティ:1984年に当時はECだった欧州連合の第4回ETP(Executive Training Program)の試験に合格しました。、コースは 1985年から始まりましたが、このコースの中で特に気に入ったのは企業実習でした。兼松、日興証券など違った会社を内部 から知る事が出来ました。コースが終わってから、私の勤めているこの銀行の代表事務所開設の仕事をしました。

JIBO:日本で銀行を開設する手順とはどのようなものなのですか。

アリエッティ:先ず、大蔵省と接触します。所謂ウェルカムレターを受け取るべく、一連の情報を提供します。ウェルカムレターが一種の 許可証みたいなものです。それから代表事務所開設となります。この手続きに3ヶ月から6ヶ月かかります。代表事務所を開 設してから1年たった時点で支店への変更手続きができるようになりますが、許可が下りるまでさらに6ヶ月の期間がかかり ます。今も全然変わっていませんよ。

JIBO:この国で何か変化があったと思いますか。

アリエッティ:ええ。この国は随分変わったと思いますよ。近づき易くなったといいますか、サッカー界一つとってももそうなのですが、 たいへん国際化が進んだと思います。まだ実業団リーグ時代よく試合を見にスタジアムへ通いました。住金鹿島だとか日 産、読売といったチーム名だった頃です。いつも観客は少なく、大概は外国人で見に来ているのは私一人だけでした。上手 い具合にやったのですが、J-リーグ発足して、あっという間に日本のサッカーは何世代も人々の血の中に続くもののように さえなってしまいました。私が日本のサッカーで好きなことの一つに応援があります。好きなチームの応援であって、数少 ない例外を除いて、チームをこき下ろすような事が無いことです。それから、変わった所といえば、普通まだ高いとはい え、色々な分野で外国製品の品揃えが格段に増えたってことでしょうか。

JIBO:日本の金融ビッグバンをどう思いますか。

アリエッティ:さまざまな抵抗もあって、当初言われていたほどのスピードで進んでいないのは確かだと思います。時間と圧力、特に外圧 によってシステムは大分変ると思います。たいへん大まかな言い方ですが、製造業者、特に輸出もしている企業は組織改変 の手を打ちましたが、公共費に支えられていたり、各種規制に守られている非製造業では今のところ特に組織改革などに乗 り出そうというところは少ないようです。

JIBO:日本における御社グループの意味合い、特にアリエッティさんの仕事はどういった事でしょうか。

アリエッティ:私どものサンパオロIMIグループですが東京の支店はルイジ・ランドーニが支店長を務めています。東京支店はサンパオ ロIMI銀行のアジア地域での活動拠点で、シンガポール支店、北京、上海、バンコク、ムバイ各代表事務所を統括していま す。IMI銀行は証券会社の代表事務所も持っていまして代表はマルコ・フルロッティです。 私ども支店では東京及びその他アジア地区の金融市場で実際の金融取り引きを行っておりまた、日本に進出しているイタリ ア国籍の顧客、その逆に、イタリアへ進出している日本籍の顧客の活動のお手伝いをしています。私はといいますと、弊行 のネットワーク、在日のイタリア人及び外国人クライアントとのコンタクト、国際監査、エアクラフト・ファイナンス、本 店のためのコレスポンデント・バンキングなどを担当しています。

JIBO:日本に進出しようというイタリア企業にアドバイスするとしたら、どんなことがありますか。

アリエッティ:この国での15年を越える業務経験から全ての業界について言えることは、

* もし日本に進出したいならばこのマーケットにふさわしい競争力のある製品を持っているという確信が必要でしょう。試 してみるというのでは駄目です。そして出来るだけ多くの情報を集めることです。

* 日本市場という市場は長期的には払いのいい市場です。でも本社側の注意が肝心です。特に製品の改良に留意する必要が あります。日本に進出していると、市場からのフィードバックのおかげで、製品全体の品質改善に役立つと言う企業がたく さんあります。

* まだまだ、初期段階はコストがかかりますが、後々起こりうる諸々の問題を回避するためには、出来るだけ直接的な進出 が望まれます。

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このインタヴューを通して、アルベルト・アリエッティさんはたいへん落ち着いたナイスガイだ思いました。日本社会に対 する深い洞察もさることながら信用できる男という印象が一番強く残りました。(K.M.)

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