0
ITALY NEWS
0
2000/06/01 
 
  イタリアの日本人 
  GIAPPONESE IN ITALIA  

杉田 徹 氏
Toru Sugita


イタリア三菱商事株式会社  代表取締役社長
杉田 徹 氏


JIBO:入社以来、繊維畑を歩まれてこられたとうかがいましたが


杉田:1969年に東京本社に入社以降、ずっと繊維畑一筋でやってきました。当時は、繊維といえば輸出が強く、輸出はすべて大阪で担当していました。合繊メーカーも輸出は大阪でした。したがって、東京本社では、繊維部門とはいっても、「輸出をしてはいけない」というのが会社の指示でした。しかし、商社に入ったのは、貿易をしたかったから。若かったから、「海外にいきたい」、「出張もしたい、駐在もした い」と思っていました。それで、輸出がだめなら、輸入しかない、ということで、香港、韓国,台湾等、近隣アジア諸国から、衣料品の輸入を始めました。同時に少しですが、ヨーロッパからアパレル製品の輸入も手がけ始めました。とはいえ、当時は、「アパレル」という言葉さえない時代でしたが。

そのころは、ヨーロッパといっても、イギリスやフランスが中心。イタリアからは生地を少し輸入する程度でした。当時は、つても情報源もないので、フランスやイギリスの見本市にいって、よさそうなところをさがしたり、あるいは、百貨店でおもしろい商品をみつけるとそのメーカーにをたどってみたり、出張ベースで、体当たりでメーカーをさがしました。今思えば、プリミティブで手探りしながらの仕事でした。当時、商社などが繊維関係でヨーロッパに駐在というのは、ほとんど『輸出』のためでした。そういう意味では、私の仕事もアパレル輸入という意味ではパイオニアというか走りともいうこともできましょう。

このように、東京本社のアパレル部門でヨーロッパとの仕事に取り組んだ後、始めての駐在は、82年から87年のフランスでした。バブル時代で、日本からも大勢お客さんがやってきました。87年に日本に戻り、東京でアパレルの部長をして、98年の3月にイタリア三菱へ赴任しました。

JIBO:実際にイタリアに駐在なさって、お感じになることは

杉田:出張ベースでイタリアに来ていた時と、実際に駐在をしての仕事とは、それは、全く違います。出張の ときは、期間も短く、取引先をまわって、市場調査を急ぎ足でして、帰国してしまう。だから、表面的なことしかわからない。何十回ときてもよくはわからない、本当のところはわからないというのが正直なところです。

しかし、こちらに実際に住んで仕事をしていると、取引先のイタリア企業との関係でも、彼らが私をみる目も違ってくるように思えます。出張できたときは、つきあいも表面的。日本からきた『お客さん』ということで大切に扱ってはくれる。ところが、こちらに住んでいると、本音のつきあいとなる。たとえば、日本からメーカーや流通などお客さんがきたとき、本来ならば、我々は、日本のお客さん側の立場。しかし、イタリア企業側は、日本のお客さんには、あまりいえないことも、我々に相談してくる。イタリア側にひきこまれてしまうという感じです。出張の時は、日本のお客さんの側として扱われてきたのですが。

実際、いいことも、悪いことも.いわれるので、困ることもある。しかし、結局は、「本当は、もっとつっこみたかった」ということなど、率直に我々に本音を語ってくれる。日本からのお客さんや、出張者の表情や話内容からでは本音がわからい。「いったい本音は何なのか」、「本当に満足しているのか、実際は不満なのか、つかみにくい。どうだったのか。教えてくれ」、ということも、商談が終わってから、よくきかれる。日本型表現は、イエスなのか、ノーなのか、非常にわかりにくいですから。日本人同士、日本の本社とのやりとりでもファックスでも正直何をいっているのかわからないこともある位ですから 〔笑〕。

当初は、これほど、オープンにストレートにいわれることに慣れていないため、戸惑いもあったけれど、今では、この方がいいと思っています。フランス駐在の時は、ここまでは、ざっくばらんな関係ではなかったように思えます。なかなか中まで入りにくい感じがしていましたが。ここまで、腹を割った関係になると、我々も、日本のお客さんに、その趣旨を今度は、日本側が理解しやすい形で伝えることができる。そして結果として、お互いが満足し、いい仕事にむすびつくことになる。結局、それが、我々の大切なファンクションではないかなと思っています。表面的にはあまりみえないところではありますが。

JIBO:イタリアのファッション製品については

杉田:イタリア製品も、このところ、対日本の輸出という意味では、かなり苦しい状態が続いていると思います。「イタリア製品だから、売れる」という考え方では売れない。ある程度の先行投資や継続的にPRを行う覚悟が必要だと思います。我が社にとって、長いつきあいになるのが、ロベルタ・ディ・カメリ−ノです。30年来,大切に育ててきました。フェラガモとの関係も長くなります。商社の役割について、様々言われていますが、やはり、日伊双方の顧客から評価され満足される「ファンクション」が重要です。そのファンクションを我々が担える限り、いい仕事ができると思っています。現在は、大物というよりは、中小の光ったブランドをさがしています。将来性のあるもの。口コミが大事で、イタリア人のネットワークを使っています。また実際セレクトするのは、感性豊かな若いスタッフに任せています。

いずれにしても、私は、イタリアの製品は、非常に根強いと思っています。イタリアブームにのっかり伸びてきたところ駄目になっていて、短期的には、むつかしい状況になっていますが、中長期的にはイタリア製品は強いと思っています。強さの背景には、デザイナーやブランドということだけでなく、ものづくりのベースとなる、生地や糸など素材の強さがあることだと思います。これは世界中どこにも真似ができない。ニットの糸、布帛生地の素晴らしい豊かさがあるから、洋服のデザイナーも、刺激され、INPUTをうけて、新鮮なアイデアもわいてくる。

ビエッラやコモとかプラートとか産地が強い。家族経営の中小企業が強い。むずかしい問題を地域で解決しながら、前進している。これも、出張ベースではなく住んで仕事をして、実体験でわかったことです。素材の強さと、ファッション・デザイナーの力がミックスして世界に類のないファッションパワ−を発信していると思っています。

JIBO:ファッション以外で、特に印象にのこっているお仕事は

杉田:イタリア三菱の場合、衣食住関連が60%をしめており、40%が繊維、食品と資材がそれぞれ10%程度。機械と化学品がそれぞれ20%程度です。衣食住関連はイタリアからの輸出が大半ですが、機械や化学品は、輸出より輸入が若干多いです。中でも、最近は、イタリア食ブームで食品が伸びています。これは、前任者からひきついだ仕事ですが、日清製油と一緒に、オリーブオイルの日本市場むけ商品を共同開発して、大成功しています。ブランドも「BOSCO」というオリジナルで、ラベルや味も日本向けに工夫して、イタリアのメーカ―側に技術指導をしました。丁度イタリア食ブ−ムとも重なり、日本のソースや醤油など食卓の調味料の一つとして完全に定着しました。味も最初は、少し軽くしました。現在はイタリアと同じ味で大丈夫ですが。ラベル一つとっても、日本のスーパの棚にオリーブオイルを並べるには、ラベルの貼ってある高さが同じでないといけない、ラベルも絶対はがれないようについていないといけない。フタの開閉もかたすぎてもゆるすぎてもいけない。それぞれは小さなノウハウですが、日本市場で大きく伸びるためにはここまでしないとならない。

かなり苦労して、イタリア側のメーカーと交渉し,商品化した結果、日本の市場シェアの35%とトップシェアをとるにいたっています。イタリアにあるものを、ただ買って輸入するのではなく、日本の食生活や商習慣に溶け込むような日本仕様としました。日本市場をしっているからこそできた仕事だと自負しています。

JIBO:イタリア人社員との人間関係はいかがですか


杉田:現在、イタリア三菱の社員28名中、24名がイタリア人、日本人は4名です。日本と比べると、イタリア人は、先ほどの取引先の人と同様、個人個人がはっきりしていて自分の考えが強い。こちらでは、「これは、私の仕事」というところが明確です。関係ない仕事を頼むと、「これは私の仕事ではない」、ということになってしまう。だから、日本のように「これやっておいてね」といえば、「はいわかりました」という会話は通用しない。上司はなぜこれが必要なのかを、理論的に説明しないとならないし、部下も、自分の意見を述べたり、いろいろ質問をするので、あいまいな仕事の頼み方はできない。

会議も、日本では、上司の意見に対し、議論をするということは少ない。公式の席で、異論をとなえることはもっと少ない。だから、会議の後で、飲みにいって、ああだ、こうだと言う話になる。しかし、こちらでは、会議でも、ディスカッションが盛んで、出席者の大半が、ああだ、こうだと自分の意見をのべる。私や取締役が、話をしても、「はいそうですか」ということはまずない。一人一人が自分の意見をとうとうと述べる。反論がでる。いいたいことをいう。これは、きちんと耳を傾けなければならない。

しかし、私が、社長であり、最終決定者であることは全員がわかっていて、私が、最終的に決めると、全員がさっぱりと、従う。 「え! 血相をかえて異論を唱えていたのに、なんだ!」を言いたいくらい、ケロリとしている。決定は社長の役割。いったん決定されたことは部下として従う、という意識が徹底して、自分の役割や立場をわきまえているからだろう。その後はまったく根に持っていない。

そういういう意味では、そのコツがわかってくると、こちらも、部下に直接はっきりいい易くなる。日本だと社長が直接いったりすると、相手も大変なことと受け止めて悲観したりするので、何か問題があると、中間管理職を通して、いってもらうとか、飲みにつれていって、それとなくさとす、とか、ということが多い。しかし、こちらでは、いうべきことは、仕事としてダイレクトに言ったほうがいい。第一、終業時間がおわってから、イタリア人は自分の家にすぐ帰るので、飲みにいく習慣はない。

JIBO:会頭をなさっている在イタリア日本人商工会議所のお仕事について

杉田:99年11月から会頭をしています。この商工会議所は1973年創立で、2000年4月現在、普通会員は166社。賛助会員は29社。あわせて、195社の会員数があります。そのうち、80%は、ミラノ及び、ロンバルディア州内。その他、ローマとトリノ等。業種別の分科会にわかれています。ファッション、化学/食品、機械・金属、電器・電子, 商業、金融/保険、運輸/通信、流通その他など。最も人数の多いはファッションと思われる方が多いかと思いますが、実際は、機械・金属〔自動車、部品〕と電器・電子です。

一時期前と比べると、会員数は少しへりました。金融関係が大きく減ったためですが、その後は1社減っても、新しい会社が入会ということでほぼ一定しています。機械・金属関係などが入ってくるので、今のレベルを維持しています。日本とイタリアの経済交流の発展と親善が、主目的で、主な活動としては、講演会活動があり、昨年は年間15回実施しました。イタリアの制度や法律/税務関係はわかりにくく、しかもよくかわるので、最新情報をアップデートしておく必要があると考えるからです。また固い話ばかりではなく、イタリアの美術、料理など柔らかいテ−マも取り上げ、女性会員にも喜ばれています。イタリアの活気ある地域経済の地域や産地を訪れるインダストリアル・ツアーというのも実施しています。また、地方都市にでむいて、現地の輸出企業希望と日本の会社との商談の場とする「PUNTI DI INCONTRI」という催しも随時開催しています。

それと、提言活動というのも継続的に実施しています。特に我々共通の大きな問題、ビザ発給の問題はイタリア政府当局にクレームをしています。25周年記念の1998年には、日本からイタリアへの投資がまだ非常に少ないという課題に、取り組みました。日本のメーカーで、イタリア各地に直接投資をして、工場を設けた会社に詳細な聞き取り調査をした結果、進出直後は大変だったけれど、現在は、非常に満足しているという答えを大多数の企業から得ました。イタリア人はあまり働かないというイメージがあるが、実際には、結構よく働くこと、特に、管理職のレベルは責任ある仕事をまかせると、非常によく働くことなどが、共通した回答でした。

JIBO:ところで、イタリアの生活はいかがですか。

杉田:子供はもう就職していますので、家内と二人だけでは、ケンカしてもいけないということで(笑)、愛犬の柴犬を日本からつれてきて、二人プラス一匹のイタリア生活をおくっています。最初は、私も家内もイタリア語ができないので、日常生活の面でも苦労しましたし、犬もなれない環境でとまどったことでした。でも、イタリアの人はオープンですし、親切に気遣ってくれて、すぐに生活にもなれて、快適な生活をおくっています。もちろん、食べ物はおいしく、犬も普段はドックフードですが、我々のスパゲッティもあまると喜んで食べています。犬を連れてきたのは、とてもよかったと思います。週末は、私が犬の散歩をしていますが、犬をつれていると、犬の散歩をする人同士が顔見知りになって、人間関係が広がりました。『犬友達』とでもいうのでしょうか。特に日本の犬は、めずらしく、柴犬は「ピッコロ・サムライ」(小さなサムライ)と、こちらのペット雑誌で紹介されていて、「これは日本の犬か」とか、「狼ではないか」「何を食べるの」とか、気軽に声をかけてくれます。

ダックスフンドをつれているおばさんとか、ハスキーをつれているおじいさんとか、顔なじみになると、合えば会話をかわし、最近では、「イースターにはどこにいくとか、どうだったとか」世間話などもはずんでいます。近くのスーパで顔をあわせると犬をつれていなくても「やあ、こんにちは」となる。そういえば、日本では、犬を散歩していてもあまりそういうことはなかったように思えます。みんな,黙って散歩していた。それと、日本には、犬を連れてみんなが集まる広場がない、こちらには、広場があるので、自然と溜まり場になるのでしょうか。こういう仕事を離れた、地域の人々との『出会い』をもてたのは、犬のおかげだと思う。歩いていて、その辺の人、特に知らない女性に声をかける、というわけにもいかないし(笑)。

JIBO:週末やバカンスはどのようにお過ごしですか。

杉田:イタリアの中小地方都市を訪れるのが最大の楽しみです。どこにいっても、歴史と文化のある町が多いので、ヨーロッパのほかの国にいくより、イタリアの各地を訪れるほうが魅力を感じます。この4月のイースターでは、家内とラベンナとフェッラーラにいきました。ラベンナのモザイクは本でみていても素晴らしかったけれど、いってみて、「へえ、こんなにすごいの」と、感歎しました。フェッラーラも落ち着いた雰囲気で非常によかった。一日、小さな街をのんびり散策するだけでも楽しい。日本にいたときは、イタリアの地方の小都市がこんなに素晴らしいとは知らなかった。やはり、腰を落ち着けてイタリアに住んでみてこそ、わかることなのだと思います。イタリア人が自分の故郷を大切にし、プライドを持つ理由がわかったように感じました。[聞き手 大島悦子]

トップへ

  日本のイタリア人  
  ITALIANO IN GIAPPONE 

アドリアーノ・ヴィッラ 弁護士
Avv. Adriano Villa


ヴィッラ弁護士事務所代表
ヴィッラ 弁護士


アドリアーノ・ヴィッラ氏について

アドリアーノ・ヴィッラ氏はちょっと変わった弁護士です。イギリス人の言い方による国際ビジネス法が専門です。商業契約、投資、折衝など、ビジネスに付随する法的活動を行っているというわけです。在日14年を越えます。日本で初めて活動が認められた初めての(そして今のところ唯一の)イタリア人弁護士です。日本の弁護士事務所は1998年から活動を行っていますが、イタリアの大きな国際法律事務所(BBLP-PaVia&Ansaldo)とのジョイント・ヴェンチャーです。

ヴィッラ氏はミラノ生まれですが、クレモナ県の小さな町Pandinoで育ちました。ミラノ大学の法学部を卒業し、同じミラノで弁護士になりました。日伊間の商的関係を得意とする国際法専門家であると同時に、1999年1月以来、在日イタリア商工会議所の会頭も務めます。


JIBO:ヴィッラさん、何時日本にいらしたのですか

ヴィッラ:はじめはETP(Executive Training Program in Japan-EUの留学制度。日本でビジネスを学ぶもの。)で、1986年に来ました。18ヶ月間の留学中には日本語も習いました。留学期間の終了する1987年に朝日法律事務所に入りまして、企業の国際的問題を扱う弁護士として活動を始めました。朝日法律事務所は日本でも大きな法律事務所で、私とは今でも大変密接な協力関係にあります。また、90年から91年にかけては日本の文化庁の奨学制度で はじめはETP(Executive Training Program in Japan-EUの留学制度。日本でビジネスを学ぶもの。)で、1986年に来ました。18ヶ月間の留学中には日本語も習いました。留学期間の終了する1987年に朝日法律事務所に入りまして、企業の国際的問題を扱う弁護士として活動を始めました。朝日法律事務所は日本でも大きな法律事務所で、私とは今でも大変密接な協力関係にあります。また、90年から91年にかけては日本の文化庁の奨学制度で上智大学で日本の商法を学びました。

JIBO:日本でその特殊性ゆえ困ったことなどありましたか。


ヴィッラ:正直言ってありません。日本について、よく、その閉鎖性だとか、特殊性だとかが話題になるのですけれど、日本が難しい国だと思ったことはありません。多分にそれはETPでの教育がよかったのかもしれません。日本の実体を読み取る方法を習った様な気がしています。他のどの国でもそうであるように、この国にも特殊性があります。でも、一度日本の社会、ビジネスに関する基本的なパラメータを理解すれば生活は比較的し易くなります。というのは大変均一的な社会であって、十分予見が成り立つ社会だと思うのです。欧米に比べて、その市民生活、商業的には市場はより予測可能なものだと思います。無論、やり方の違いなど在るわけで、その違いを理解した上でのことです。必ずしも物事が我々の社会と同じように運ばない。我々の価値観とやり方を押し付けることはできません。

JIBO:初めて日本にいらした当時と比べて、日本は変わりましたでしょうか。

ヴィッラ:来日以来、何度も何度もこの国は大きな変化の分かれ道にあると聞かされました。こうして十数年何事も無く過ぎていきました。しかし、ここへ来て根本的な変化の端緒を感じざるを得なくなりました。どこへ行くのかまだ判りませんが、この国は、実際、脱皮しようとしているのだと感じます。陳腐ではあるかもしれませんが、プラグマティックな例をあげるならば、有名な終身雇用の話しがあります。今日にいたるまでも、全ての日本に関する手引書には、終身雇用は日本のシステムの特徴であると書かれていますが、もうこれは過去の伝説と言っていいのではないでしょうか。将来ともさらにその傾向は強まるでしょう。更に言えば、終身雇用と言うものは日本の一部の企業にしかなかった制度ですが、その一部の企業でも終焉を迎えようとしているのだと思います。ですから日本は変りつつあるといえます。そして、国際競争力を維持して行きたいならば、変化することは正しいことだと思います。個人的には、私は楽観的に見ています。日本人を知っていますと、その素晴らしい精神力や(時には度を越えた)克己心を知っていますと、現在進行している変化を通して、今以上に、アジアそして世界で中心的働きをする国に生まれ変わるだろうと思うのです。

JIBO:では、日本とイタリアの関係も変りましょうか。

ヴィッラ:という話しであればそう期待したいものです。そして、実際その兆しはあります。イタリア人の多くが関心のあるファッション部門です。イタリアの多くのファッション・ハウスがようやく判ったと言いましょうか、もう日本に売るのではペイしない、そういう考え方では、だめだということを理解してきたことがあげられます。今や日本に売るのではなく、日本で売るという風に変わってきました。ついこの間まで、ブティックなりショウルームを構えるといえば、ニューヨークの五番街、ロサンジェルスのロデオ・ドゥライヴあるいはロンドンのオールド・ボンド・ストリートと相場が決まっていました。で、(かなり前から直接的、間接的に多くのファッション・ハウスにとって大変重要であった市場である)日本には一軒も無いという有り様でした。でもここへ来て物事が変わってきました。銀座、青山といった街へ直接進出しはじめたのです。

目抜き通りに、日本のあるいは国際的な競合相手に伍して、店を借りたり、時には、買い上げたりして堂々と渡り合うようになってきたのです。良いにつけ悪いにつけ、直接的な相互理解が進むという視点から伊日関係は質的によくなってきているといえましょう。でもまだまだ距離がある2国です。日本の会社もイタリアを知るようになってきたとは言え、多くの場合、大きな商社経由で知ってきたのであって、やはり文化的中継作業の中で大切なそれぞれの役割を果たしてきていないと思うのです。でも、最近は日本の企業、中小の企業も直接売ったり、買ったり、投資したり、理解する機会が増えてきています。イタリアの企業についても同じ事が言えると思いますが、まだまだ日本にもイタリアにも(ビジネス・チャンスを拡大する)スペースがあると思います。日本にもイタリアにもお互いまだ知らない産地や産業集積がいくつもあります。強調したいと思いますが、この場合も成功の鍵は直接身を持って相手国の特色を理解し、自社の文化としていくことだと思います。例えばジョイント・ヴェンチャーにおいて出資度合いを強めるだけでは十分ではありません。 株券は決していいデータ提供者とは言えないのです。

JIBO:お仕事に就いて伺いたいのですが。以前と変わってきていますか。紛争が増えたとか。

ヴィッラ:その通り、日本のバブルがはじけて以来、紛争は増えました。ここでも少し、日本人は払いが堅いという神話が消えつつあるといえましょう。会社の財政事情が許す限りは払えるのでしょうが、貸付を受けるのが難しい、流動資産が不足している、キャッシュフローに問題があれば日本の会社だって、世界のどこの国の会社だって、同様の動きをとらざるをえません。最初支払いを伸ばし、でも払えずに、そして、倒産だってありえます。正直だとかうそつきだとかの話しではないのです。単に、ある種のマイクロエコノミーの現象は、日本でも世界のどこの国であっても同じ力があるということなのです。

JIBO:ではイタリアの企業に対して、日本にものを売る時には信用状取り引きをするようにとアドヴァイスするのですか。

ヴィッラ:一般論としてはそうですが、でも当然オペレーションコストや売買関係をよりダイナミックにしていく必要性等を考慮するわけです。ですから、こうしなければならないというやり方があるわけではありません。(どこの国においてもそうなのですが)日本ではこうするのだという言い方も正しくありません。相手によりけりだと思うのです。

JIBO:紛争以外どんな仕事があるのですか。

ヴィッラ:実際には、私の仕事の中では訴訟と言うのはあまりありません。多くは契約に関するものであったり、投資や知的所有権に関するものであったりするものです。それから、両方共をよく知っているということで、二つの文化的現実の仲介といったところでしょうか。

JIBO:付加価値の高い製品を日本で初めて売ろうしているイタリア人へのアドヴァイスは?

ヴィッラ:法的な観点からすれば第一に、商標を登録すること。手続きはかなり長くかかります。1年近くかかります。商標保護の考え方が(日本では一般的に、誰が最初に使ったかではなく、誰が最初に登録したかを重視し)イタリアとはかなり違うので注意したいものです。商業的な側面から言えばこの国のことを勉強する、本を読むということでしょう。例えば、在日イタリア商工会議所はこの国への初めてのアプローチに最適な手引きを出しています。(「Giappone a portata di mano」E taslibri)

JIBO:ヴィッラさんは在日イタリア商工会議所の会頭さんでしたね。会員会社はどのくらいですか。会議所の目的は何でしょうか。

ヴィッラ:会員数は約180社です。商工会議所は1972年に設立されまして、私は99年の2月から会頭をしております。簡単に言いますと会議所は日本におけるイタリアビジネス界を代表していまして、情報提供など色々なプロモーション活動を通して、伊日両国の貿易関係を促進しております。イタリアの経済界の信用を高めまた、より知って頂くという活動です。このため私共はより強い社会的ベースを築こうとしているわけです。ですからこの私のインタヴュー記事を読んで加盟して下さる会社があれば幸いです。〔聞き手 東京編集部 K.M〕

トップへ  
    

www.japanitaly.com
(C)JAPANITALY.COM S.r.l-Milano All right reserved.