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ITALY NEWS
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2007/10/31 



  イタリアの日本人
  GIAPPONESE IN ITALIA  


月刊日本語新聞COMEVA発行


笹尾真由美 
Ms. Mayumi SASAO



イタリアに住む日本人にはおなじみの月刊日本語新聞COMEVA。1994年5月創刊の同紙がこの11月に創刊第150号を迎えるのを機に、ローマ市中心部にあるCOMEVA編集室を訪ね、NIPPON CLUB代表の笹尾真由美さんにお話をうかがった。

●笹尾さんのプロフィールを教えてください。
奈良県出身。奈良県立五条高校卒業後、京都大学文学部に入り、フランス語フランス文学を専攻。1987年から1988年にかけてロータリー奨学生としてフランスに1年滞在。1991年にイタリア人と結婚し、京都大学文学部フランス語フランス文学科博士課程を中退して、イタリアに移住。最初は土木エンジニアの夫の仕事の関係でペルージャに住む。ペルージャ外国人大学のイタリア語課程上級を卒業後、翻訳・通訳の仕事を開始。1994年にローマに移り、日系企業に就職するが、同年4月に月刊COMEVAの創刊を目指して合名会社NIPPON-SHA(後にNIPPON CLUBと改名)を片岡潤子さんら知人と結成したのをきっかけに同企業を退職。以後今日まで、翻訳・通訳の仕事を続けつつ、月刊COMEVA発行を中心としたNIPPON CLUBの経営・運営にたずさわる。

●どのような経緯でCOMEVAは発足したのでしょうか。
COMEVAの前に実はローマにはCIAOというミニコミ紙がありました。CIAOにはイタリア語の記事もあってペルージャにいたころから私はその翻訳を頼まれ、次には記事も書くようになっていました。ところが、CIAOは6号出しただけでストップしてしまい、しばらくたって、CIAOを作っていた片岡潤子さんと、このままではもったいないのでいっしょにミニコミ紙をやり直そうではないかということになり、新しく会社を作り直して始めました。ミニコミ紙の名前としては「Come va?」(調子はどう?)というのがいいということになりましたが、フランスのパリのOVNI(フランス語でUFOの意味)みたいに短くミステリアスなものがいいということになり、「COMEVA」としました。
ミニコミ紙を出す資金としては、購読者を募るか、広告を集めるかの二つが考えられましたが、とりあえず、広告を集め、購読者を増やしていくという方向にしました。創刊号が出たのは1994年5月です。片岡さんが記事を集め、私がその他を受け持つという分担でスタートしました。


最初の大きな問題は、日本語印刷の問題でした。世の中はマッキントッシュのコンピュータでDTP(デスク・トップ・パブリッシング)が始まったばかり。当時のコンピュータはRAMが8MB、HD容量が150MBと、今からでは考えると何もできないような小さいコンピュータでした。また、日本からOSを買ってこないと日本語が打てず、印刷所にデスクトップ型コンピュータを運んで、数日間もかかってフィルムを出すという大作業でした。私はワープロは使えましたが、コンピュータは素人で、イタリア人のグラフィックデザイナーにいろいろと教えてもらいながらひとつひとつおぼえていきました。
次の大きな問題は広告。広告の数は最初10個ぐらいで印刷代が出るかどうかの値段でした。私は他の仕事をしながら続けました。3年くらいは赤字経営でした。広告についても、コンピュータについてもまったく素人でした。素人で何も知らなかったから無謀でこんな仕事が始められたのだと思っています。

実はCOMEVAを創刊した1994年5月の前年秋に長男が生まれました。夫は海外に単身赴任中で、生まれたての長男をローマで一人で育てることとなりました。子供が生まれるまではこちらの大学に通って仏文学を続けていてなんとなく学生気分の延長のようなところがありました。でも、長男誕生とともに大学の道を捨てて、日系の会社に会社勤めを開始し、家計のために必死に仕事をするようになりました。会社の仕事自体には全く不満はありませんでした。でも、COMEVAの話が出たとき、COMEVAの仕事の方が大学でした文学の勉強を活かせるような気がして、せっかく就職した会社を辞めました。ところが、COMEVAの仕事ではそんなにすぐにはお金がはいってこない。ですから、通訳や翻訳ばかりでなく、観光ガイドのアルバイトもしました。若いからがむしゃらであれもこれもできたのだと思います。それに子供にも支えられたと思います。今から考えると信じられないですが。

●COMEVAの編集内容やターゲットはどのようなものですか。
8ページの紙面の記事の内容は、イタリアや日本のニュース、話題、文化や観光紹介というのが中心です。
イタリアに長期滞在する日本人と観光客の両方を読者にしている今では、新聞の内容はイタリアのニュースと日本のニュースのダイジェスト、政治、観光、文化、風俗の話題、ゴシップ、インタビュー、求人などの情報が主な記事になっています。記事はシリーズ化しています。誰でも読める「ちまたのわだい」、「イタリアの街角」、読者の投稿からなる「ざっくばらん」、政治を斬る「私はこう言いたい」、東京に住むイタリア人クリスティーナさんが見た日本を話題とした「東京のイタリア人」、「TELECOMEVA」などは人気シリーズ。また、求人広告の告知スペースも多くの方に見ていただき反応がいいと評判です。

COMEVAを始めたての頃は、漠然と「情報誌」なるものをめざしていましたが、月刊という定期物では情報を手に入れてから新聞を発行するまでの時間が長すぎるので、情報誌をめざすのをやめました。当初は印刷に時間がかかるだけでなく、郵便事情も劣悪でいつ到着するかわからないという環境でしたので、「フレッシュなニュース」の掲載は事実上不可能と判断したためです。
さらに、インターネットの時代となるとニュースはもうニュースではなくなってしまったので、新聞から読み物へと内容は移行しました。せっかく作った新聞がすぐにゴミ箱に捨てられるのも悲しかった。そこでニュースはダイジェスト的なものにし、その中から話題を選んでコメントする。「読み物」になる新聞をめざしています。話題としては日本のマスコミや専門誌が取り上げないものをとりあげ、ニュースよりもオピニオンを重視した新聞にし、COMEVAらしい見方というものを大事にして編集しています。役立つ新聞、読者が読んで考えてくれる新聞を目指しています。

また、記事は広告と切り離すことを原則としています。よく「記事を書いてくれないか」と広告主に頼まれたことがあります。でも、よほど記事として興味深いものでなければ絶対、記事を書かないようにしています。このような姿勢は広告を増やすことには直接にはつながらず苦労することも多いのですが、読者にはかえって信頼を与えており、継続してCOMEVAを読んでもらうことにつながるので、結果としては広告にも効果がでていると確信しています。

はっきりいって最初から読者のターゲットがしぼれていたわけではなく、OVNIのように観光客や長期滞在者を含めた日本人とイタリア人を読者にするというのが最初の考えで、イタリア語のページを入れたこともありました。でも、まもなく、日本人と日本語を読めるイタリア人にターゲットをしぼりました。さらにこれからは、日本人でも長期滞在者、すなわち滞在期間が1年間以上の方々、そしてイタリアへの永住を目指した方々をターゲットにする方向に向かう方針です。

●仕事の進め方は?
今年11月号で150号を迎えるCOMEVA、片岡さんが執筆者の記事や写真を集め編集し、その他のことは私がするという創刊当初の大ざっぱな役割分担は変わっていません。片岡さんはローマからミラノへ移りましたが、インターネットや電話を通じてローマにいる私と彼女との間で連絡を取り合っています。広告の締め切りは前月の半ばごろ、空きスペースが決まったところでミラノにいる片岡さんが記事の内容や字数を考える。記事が編集され、ローマに送られてきたら、私がDTPで仕上げ、印刷から配布まで手配するという段取りになっています。毎月号の発行部数は8000部。ミラノとローマを中心とした100カ所を超える無料配布地点への配送は、今ではOCS社にお願いしています。昔はローマについては私が自家用車で配って回り、ミラノについては片岡さんや片岡さんのご主人である船橋幸彦さんが配ってくれるなど、自分たちで何でもしました。現場の反応を知るいい機会になりました。

●COMEVAを続けていて思われることは?
14年近くもCOMEVAの仕事をしていると弱音をはいてしまうことが時々あります。新聞作りはもうかりませんし、やっと経費を捻出できるかどうかという経営状況ですのでしんどくなって辞めたくなることもあります。こんなにしんどいのに誰のためにやっているのかと思うこともあります。何年か前一度、広告が減って4ページの新聞を発行したこともありました。不況になったらすぐに広告が削られますから。今でも広告を増やすことが課題であることには変わりありません。でも、広告が減ったら減ったなりの新聞を出していけばいいと今では思っています。女性的かもしれませんがCOMEVAを大きく発展させようとかの大きな野心はもっていません。とにかく、できる形で継続させていきたいと思っています。

大変ですがCOMEVAという形で活字にして責任を持って発行していることは大切だと思っています。載せるものがあること、呼びかけるものがあることは大きな財産です。
「COMEVAを見て仕事が見つかりました」とか、「いつもCOMEVAを読んでいます」と出会った人に言われるとうれしい。また、新聞を通じて、イタリアや日本のいろいろな人と出会うことができたのもうれしい。それがまた、他の仕事にもつながっています。

片岡さんとの長年にわたるパートナーシップもとても大切です。仕事をしていけばストレスがたまることもあるし楽ではありませんが、ここまで続けられたのはよきパートナーに恵まれたためだと思います。14年間も一緒に仕事をしていますので、正直、波風が立たなかったわけではありません。私も若いころはかなりアグレッシブで自分のリズムや基準で仕事を推し進めていく傾向がありましたが、だんだんと相手の状況を理解できるようになりました。お互い、体調や気持ちの持ち方、あるいは家庭の事情など山もあれば谷もあるので補完しあって続けてゆきたいと思っています。

●日本とイタリアの違いなど感じられていることは?
日本とくらべると不便なことが目につくイタリアです。でも、長くイタリアに住んでいると日本にはないイタリアの良さも見えてくる。10年ほど前に私が子供を連れて日本に帰ったときのこと。ベビーカーで子供を連れて歩くと、階段や乗り物の中で手を貸してほしいとことがありました。でも日本では誰も手を貸してくれなかった。イタリア人ならすぐに手を貸してくれていたでしょう。日々の生活の中で、イタリアでは当たり前になっている「困った人に自然に手を貸す」ことの大切さを日本で痛感したのです。あの時、日本人の無関心さを強く感じるとともにイタリア人を見直しました。もしかしたら、自分がイタリアを好きになり始めたのはあの頃からもしれない。イタリア人と接する時、イタリア人にとって不可解な無関心な日本人にならないよう、気をつけていますし、そんな態度がCOMEVAにも現れるようにしています。

(聞き手:JIBO編集部 大島悦子)


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