


│経済金融│産業動向│社会・ライフスタイル│BACK NUMBER│

国立統計局が行った大都市消費者物価調査によれば、7ヶ月連続で上昇傾向に
あったインフレ率が、1月は前月の+2.8%から+2.7%(前年同月比)へと微減す
る模様。月ベースでは前月の+0.1%から+0.3%へと微増が見込まれている。ガソ
リン、電気・ガス代などのエネルギー価格、および銀行手数料、各種保険料、ホ
テル宿泊料などが上昇した一方で、薬価が大きく下落、また食料品の価格も抑制
傾向であった。
今回のインフレ率は、今年になってから新たに改定された新消費者物価指数品バ
スケットに基づき測定されたもの。消費者からは、インフレ率が現実の物価上昇
を反映しておらず、国立統計局の物価指数品は消費の現状に即していないと、
ユーロ導入後批判の声が噴出していた。今回の指数品の見直しでも消費者物価に
大きな上昇が見られなかったことから、消費者団体は「まだまだ指数品バスケッ
トは現実を反映していない」としている。
一方2003年通年では、ここのところのユーロ高がまもなく物価にも反映され、石
油という未知要因をのぞけば、インフレ率はゆるやかに下降すると見込まれてい
る。それでも目標とする2.0%の達成にはまだまだ時間がかかりそうだ。
 |
|
経済分析研究所、2003年のGDP成長率1.5%、2004年は2.5%を予測
|
|  |
経済金融省の経済分析研究所(ISAE)は今年度最初の四半期レポートの中で、
2003年のGDP成長率の予測値を昨年10月予測の1.8%から1.5%に引き下げた。そ
の他の主要な研究機関は軒並み同成長率を1%程度と予測している。
2002年は、世界的な景気低迷(とくにアメリカ、そしてイタリアの最大の取引国
であるドイツの景気停滞)、ユーロ導入による消費の後退、投資の落ち込み、自
動車産業の不振などを背景に、イタリアのGDPの伸びも0.4%と低迷した。同レ
ポートは、2003年の世界経済は若干回復の兆しが見られるものの、イラクとの戦
争などの未知要因をかかえており、回復は2003年の下半期にアメリカの景気回復
に引っ張られてゆるやかに始まるとしている。さらに景気は2004年には本格的に
回復し、GDP成長率が2.5%まで上向くと予測している。


 |
イタリア靴業界 不調
米国・ドイツへの輸出落ち込む
|
|  |
1月下旬、ボローニャで開催された靴の見本市「Fashion Shoe and Leather
Goods」で、イタリアの得意とする靴の輸出は、不調の2002年に続き、2003年も
厳しい先行きであることが、イタリア製靴メーカー協会ANCIの発表により明らか
となった。
2002年1-9月期に輸出された靴の総数は2億5600万足で、過去10年間で最も低い数
字となっている。一方、靴の輸出総額は、52億7900万ユーロ。
また、ANCIが協会メンバーである靴メーカーを対象としたサーベイによると、
2002年の1-9月期は生産量が平均して4.2%減少している。また同期間、前年同期
比で靴の生産を増加したとする靴メーカーは、全体のわずか21%にすぎない。
不調の大きな原因は、イタリアの靴生産量の約3分の1を占めるドイツと米国へ
の輸出が、2002年の1-9月期に前年同期比でそれぞれ18.8%、16.2%と大幅に減少
したこと。一方、ロシアなど、イタリア製シューズの輸入が近年伸びている新興
輸入国はあるが、米国やドイツの減少分をカバーするだけの輸入量には至ってい
ない。ANCIでは、米国やドイツで景気が回復しないと、靴業界の消費回復も難し
いとしている。
とはいえ、生産される靴のレベルはあがっており、価格の高い靴の方が売れ行き
がいいという傾向を示している。実際、一足当たりの靴単価は、1993年に、輸出
価格が平均12.06ユーロであったものが、2002年には20.59ユーロとなってい
る。
 |
NPO(非営利団体)人材活用 調査結果
新しい職種へのニーズ高まる
|
|  |
ミラノで「NPO(非営利団体)の人材活用実態調査」の結果が報告された。これは
Sodalitas (社会的企業家促進協会)が、全国50の非営利団体を対象に人的資源の
活用状況を調査したもの。
それによると、非営利団体で働くスタッフのうち、有給スタッフは約10%、無給
スタッフが約90%。無給スタッフの大半はボランティアで、宗教的、思想的な理
由による兵役忌避者は、スタッフ全体のわずか0.5%。
有給スタッフの年齢は、従業員については平均年齢36歳、非従業員は同38歳。一
方、ボランティアの平均年齢は42歳。
今回調査対象となった非営利団体のうち40%は、1990年以降に設立されたもので
あり、有給スタッフ100名のうち28名は、2001年以降に採用されている。このこ
とから、NPOの分野も、若者の雇用の場としての重要性を増していると同報告書
は述べている。
報告書ではさらに、有給スタッフの役割として、「基金調達役」や「ボランティ
アのまとめ役」、「ハンディのある者の社会復帰役」など、新しい職種が求めら
れてきていることを強調している。


 |
 |
昨年夏、前立腺がんの治療で訪れていた米国から帰国してからというもの、公式
の場にほとんど姿を現していなかったフィアットの名誉会長、ジョバンニ・ア
ニェッリが1月25日、トリノ郊外の自宅で亡くなった。81歳であった。
ジョバンニ・アニェッリは、二つの戦争の追い風も受けてフィアットをイタリア
随一の車メーカーに仕立てあげた、フィアットの創業者の1人である初代ジョバ
ンニ・アニェッリの孫。初代が死ぬ前に彼にしたアドバイス「人生を楽しんで欲
を枯らせ」の通り、32歳でナポリの公爵の娘と結婚するまでは、コートダジュー
ルのヴィラで贅を尽くした日々を送り、ハンサムなプレイボーイとして名を馳
せ、タイム誌には「経済欄に登場するようになる前に、ゴシップ欄でずいぶんと
キャリアを築いたようだ」と皮肉られた。
車のみならず、金融、保険、メディア、と次々に事業を広げ、一時はイタリアの
株式の四分の一をコントロールしたと言われる。トリノのサッカーチーム、ユ
ヴェントスもオーナーのアニェッリなしに語ることはできない。イタリア戦後の
経済成長のシンボルであったと同時に、ヨット、スキーを愛するスポーツマンで
あり、そのスマートさ、優雅さ、芸術や文化への造詣の深さ、そして何よりもカ
リスマ性のある人柄は、地元トリノ市民のみならず、多くのイタリア人を惹きつ
けた。多くの人がその死を悼んだ一方で、「国が企業に手を貸さないようになっ
てから死ぬなんて、ずいぶん象徴的な死だ」と、莫大な富を成したアニェッリと
政治の結びつきを皮肉る向きもいた。
富、名声、思うすべてを手に入れたかのように見えるアニェッリだが、家族に不
幸な死が多く、彼自身生前親交が深かったケネディ家に例えられることもあっ
た。14歳のときに飛行機事故で父を、24歳の時に自動車事故で母を、また97年に
はフィアットの後継者に決めていた33歳の甥を癌で、そして99年、1人息子を自
殺で亡くしている。
 |
 |
この10年間で、70万人の南部出身のイタリア人が生まれ故郷を後にし、北イタリ
ア、または海外に移住していることが、このほど人口社会政策研究所が2001年の
データを基に行った調査で明らかになった。「5年程前までは、6万人の若者が北
部へ移住、同じく6万人の定年退職者が南部に帰ってきていた。ところが、ここ
のところは去る人間が10万人に増えた一方で、帰ってくる者の数は以前と同じ。
以前は北部に行く若者のほとんどが学生だったが、今は学問のためでなく、仕事
そのものを求めて移住する傾向がまた戻ってきている」と、リサーチ・ディレク
ター。南部出身のイタリア人は今でも平均して100人に11人が生まれ故郷である
南部を去る。これは、中北部のイタリア人の二倍の割合だ。
最近の新たな傾向は、より良い仕事を探して海外に移住する大卒者が増えている
こと。昨今の若者の多くが、ロンドンやパリで就職することに大きな違和感を抱
かない。ローマ大学を卒業後、5年間アムステルダムで働き、現在フランスで多
国籍企業のマネージャーを務めるナポリ出身のエスポジト氏(30)は、「最初は
ニ、三年海外で経験を積んでからイタリアに帰ってくるつもりだった。実際、イ
タリアに帰ろうかと去年就職活動をしてみたけれど、これという反応は少ない
し、あっても、あまり面白くない仕事ばかり。イタリアでは国際的な業務経験は
どうもあまり評価されないらしい。イタリアに帰るとしたら、安い給料とエキサ
イティングでない仕事に甘んじるしかないね。」
一方で、南部から北部に仕事を求めて移住するのは、従来的なブルーカラーワー
カーが多い。しかし、「30年前に北部に移住した人たちの仕事は、それはきつい
ものだったが、少なくとも定職に就けたし、幸運であれば公営アパートに住むこ
ともできた。一方、今は必ずしも定職につけるわけではなく、給料は家賃代にも
ならないことが多い」、と同ディレクター。

│経済金融│産業動向│社会・ライフスタイル│BACK NUMBER│

|