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2009/1/30

HOTなエスプレッソITALY WEB SITE編集BACK NUMBER

HOTなエスプレッソ 



田中ちひろ

京都生まれ、91年よりミラノ在住。三井住友保険会社ミラノ支店勤務の一方で、日本、イタリア、フランス等各国で 異文化間マネージジメント、コミュニケーション、NLPセミナー・トレーニングを行っている(www.global-excell.com)。執筆は「普段着のミラノ案内(晶文社)」をはじめ各種新聞雑誌コラム等多数。

 

2009/1/30

55. 「肺炎」

ミラノに住むようになってかなりの年月がたつが、今年ほど寒くて、雪が多い冬ははじめてだった。
雪化粧の古いミラノの町並み、木々を覆う細かな雪、宙をまう柔らかなボタン雪、すべてが音をなくしてしまったような錯覚を楽しんだのもつかの間、雪に慣れていないミラノは交通マヒをはじめ、さまざまな問題に直面した。
しかし、そんな中でこの冬一番驚いたのは”肺炎”だったかもしれない。
毎年この時期になると必ずやってくる数々のインフルエンザ、今年はやれ、香港型だの、オーストラリア型と連日、インフルエンザに関する報道が伝えられるが、異常な寒さと湿気が原因なのか、かなりの多くの人がお年寄りでも子供でもないのに今年は肺炎にかかった。私の周りにも3人が40度以上の熱に連日うなされ、10日以上入院することになったのだ。

熱が少し下がるのを待ってお見舞いに行く。
診察を待つ人であふれかえる外来を抜けて、大きなエレベータと病院独特のにおいがする殺風景な白い廊下を進み、めざす病棟にたどり着く。
お見舞いができる時間は一応決められているものの、そのあたりの取り締まりは日本よりかなりルーズ。
おしゃべり好きのイタリア人だからなのか、少し元気になった人は 自分のベッドでゆっくりしていないので、見つけ出すのに一苦労。
違う病室に行って話し込んだり、売店まで散歩したりで、ベッドにいないことがほとんどだ。
詰め所のそばにある談話室は、まるで社交の中心であるかのようにいつも大変なにぎわいようだった。

それにしても、ここ数年でイタリアの病院は変わってしまった。
病院によって多少の差はあるものの、イタリア人の看護士さんがほとんどいなくなった。
この冬、3人の友達を訪ねて5回病院に行ったが、見かけた看護士さんの80%が、東欧、インドなど明らかに外国からの人たちだった。
入院している友達らが口をそろえて言う。
「彼女たちはやさしいし、プロなんだろうけど、なんとなく不安なんだよね。」
「偏見なのかもしれないけど、衛生に関する観念が違うなって感じることがある。」
「本当にこちらが話していることが全部伝わっているのか、分からないことがある。」
「食事の質も落ちたし、たとえばパスタがゆですぎだといっても、そのことを分かってもらえない。」
病院で唯一の楽しみといってもいい食事への不満は文化摩擦に繋がっていく。 

今や数少なくなったイタリア人の看護士の友人も、職場が変わってしまったことを心配する人の一人だ。
EUの拡大で東欧からの出稼ぎ看護士がここ数年、ものすごい勢いで増えたのだという。
看護士のようにきつくてつらい仕事は今のイタリアの若い人には流行らない。
病院側も外国人を雇ったほうが安くつくので 便利だというわけだ。
一応、資格を持っている人が採用されているはずだが、資格試験の水準や、許可書の配布に不透明なところが多いらしく、彼女自身が戸惑っているという。
一方で失業の問題を抱えながら、仕事を選ぶイタリア人。
コスト面で移民の採用に走る雇用側。
人道的な立場からその規制に介入する教会勢力と キリスト教徒票を前に改革を進められない政治家たち。
そしてその一方で加速する人口の老齢化と経済危機.....
イタリアという国が肺炎にかかっている.....

ところで、今回肺炎にかかった友人のひとりは52歳の女性だったが、彼女を訪ねておどろいた。
5人部屋に入れられた彼女と同室の人は76歳、83歳、94歳、104歳だった。
シニョーラ ジョーバネ(Ms. Youngの意味)と呼ばれた彼女は苦笑しながら、彼女たちの関心ごとについて聞かせてくれた。
94歳の彼女は、ペディキュアをするのが大好き。ただ、検査のたびにとりなさいと看護師さんから叱られている。
83歳と76歳は、少しステキな男性医師の回診のある日はパジャマを着替える。
そして104歳の彼女は、2日に一度のシャンプーを決して欠かせないのだそうだ。

肺炎にかかったイタリアが、それでも輝きを失わない、そんなしたたかさを垣間見た気がする.

 


2009/1/30

ITALY WEB SITE 
英語で楽しめるイタリアの注目WEBサイトの紹介


MADE expo
Milano Architettura Design Edilizia
http://www.madeexpo.it/en/index.php

EXPO1015ミラノ開催を視野に昨年スタートした建築・デザイン・建設に関する見本市。 今年は2月4日ー7日までミラノ見本市会場で開催される。10万uの展示スペースに 1700社のスタンドが出展するほか、期間中、建築や都市の未来に関する会議やシンポジウムが70件以上開かれる。



2009/1/30
編集後記
「クッカーニャ農場」再生プロジェクト
―ミラノの都市と田園を結ぶー

仕事場から徒歩で3―4分、ほぼ毎日のように前を通りながら、「一体なんなの?」「お化け屋敷?」と薄気味悪がっていた古い朽ちた建物があった。ポルタ・ロマーナから10分ほど、Via Muratoriに面する場所である。
年が明けるとその建物に工事用の白幕がきれいにかけられ「クッカーニャ農場:ミラノのために Una Cuccagna per  Milano」と大きな文字が躍っている。何が始まるのだろうと思っていると1月28日、「クッカーニャ農場 再生プロジェクト」起工式が行われた。

なんと、「お化け屋敷」と思ってムラトーリ通りから眺めていたこの建物、1600年代末期に建てられた「歴史的農場」の一部で、1722年に作成された手書きの不動産登記地図にすでに記録が残されている。「農場全体」は約3000平米の広さで創設当時は修道会の持ち物で薬草を栽培し、ミラノ最古の病院「オスペダーレ・マッジョーレ病院」(現在のミラノ国立大学本館)に納めていたとのこと。1600年代末期から1720年代といえばミラノが170年続いたスペイン統治下から、オーストリア帝国の支配下に移行する時代だ。現在こそ、このあたりはミラノの「セミチェントロ」(準都心)となっているがその当時は、スペイン統治時代に拡張され、現在も一部を残している城壁や「ローマ門」(ポルタ・ロマーナ)を出てすぐ外の田園・農村地帯であったわけだから、地の利をいかして薬草を栽培する農場があっても何の不思議もないわけだ。

1920年ごろ現在の「クッカーニャ農場」の名称になり、その後、循環道路(現在のウンブリア通り)建設のため一部が道路用地に接収された。戦後はオステリアや職人工房が置かれていた。1984年にミラノ市の所有となるがあまりの荒廃ぶりに1994年に「使用不能建造物」と宣告され今日に至っていた。私がこの地に仕事場を移したのが1997年だから、「お化け屋敷」と思ってもしょうがなかったと妙に納得。

この「農場」が、今後2年かけて、ミラノの都市と田園を結ぶ新しい拠点として再生されることになる。菜園や試験温室などの「農業機能」に加えて、古い建物はエコアーキテクチャー手法で修復が施され、オーディトリウム(ホール)、トラットリアとバール、ファーマー・マーケットなどが設けられる。テーマは「環境と食」「文化と地域」そして「社会的連帯感」。2015年のEXPOを前に、ミラノの歴史的遺産、環境、景観を有効活用する最初の具体的プロジェクトとして注目を集めている。

驚いたことに、ミラノ市内にはこの種の「古い農場」がまだ144も現存しており、そのうち50は市の所有物となっている。クッカーニャ農場はその中で最も都心にあり、規模も大きい。今回の再生プロジェクトが成功したら、他の「農場」でも同様な試みをとなかなか野心的な話だ。300年以上前、このあたりが田園だったころの風景を思い描くと、波乱万丈だったミラノの歴史に愛着と親近感が増して、近辺を散策する楽しみが増えてくる。プロジェクトの進展を興味深く見守っていきたい。


2009年1月30日
JIBO編集室
大島悦子 (Etsuko Oshima)


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