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2008/3/31

HOTなエスプレッソITALY WEB SITE編集BACK NUMBER

HOTなエスプレッソ 



田中ちひろ

京都生まれ 大阪外国語大学イタリア語科卒業、88年イタリアのシエナに留学。91年よりミラノ在住。 著書「普段着のミラノ案内」(晶文社)をはじめ、新聞、雑誌、インターネットサイト等に執筆。三井住友海上ミラノオフィス勤務。 

 

2008/1/31

52. 日本のイタリア料理

ミシュランガイド東京版で、星のついたレストランの数が191、東京が世界で最もおいしい町と評価されたニュースはヨーロッパでも大変な話題となった。自国の料理が世界一と自負していたフランス人やイタリア人の多くにとっては信じられないニュースだったようだが、その昔、オリーブオイルの審査のプロである友人から 「一般に人間は甘味、酸味、苦味、塩味の4つの味覚を持っているものだが、日本人だけは5つ、うま味を認識できる民族なんだ」といわれ、ティスティングを頼まれたことを思い出した。
人一倍繊細な味覚を持つ日本人、しかも世界中に旅をして本場の味を体験した人がどんどん増え、人々の求める食におけるバライエティー、そしてクオリティーは限りなくひろがっていく。
そんななかで日本のイタリア料理はどうなんだろう?そんな素直な疑問がわいてきた。

日本のイタリア料理はこの10年くらいで大変な進化を遂げたようだ。
私がイタリアに住み始めた15年くらい前 日本でオリーブオイルひとつ見つけるだけでも大変だったし、エクストラ ヴェルジネなど夢のまた夢だった。ピッツァといえばピザトースト、トマトソースとケチャップが混同され、パスタといえば大抵はゆですぎだった。ところが今では、パスタはしっかりアル・デンテ、生ハムやモッツァレッラも手に入る。イタリアワインはごく気軽に誰の手にも届くようになり、ティラミスやパンナコッタに至っては子供でも知っている普通のお菓子となった。

イタリアンレストランも変わってきたようだ。東京に最近できたというイタリア街の、イタリアレストランに行ってみた。その昔F1レーサーだったアレッサンドロ・ナンニーニのお店で、彼の出身地トスカーナ地方のシエナの郷土料理のレストランだった。
イタリア料理と一口にいっても たとえばミラノの料理とシチリアの料理は全然違う。つい150年ほど前まではいくつもの小さな国に分裂していたイタリアの各地方はそれぞれが誇る郷土料理と土地のワインをもっているが、はるか遠くの日本の地で、イタリア料理という看板ではなく、その中のひとつの土地にこだわってその土地の料理だけをだすお店が出てきたことは それだけ日本でもイタリア料理が深くなってきたことの証なのかもしれない。
個人的にも1年住んだことのあるシエナの郷土料理との東京での再会、しかもイタリアでも知らない人の多いピチという(日本のうどんそっくり!)シエナ独特のパスタや猪の料理を 日本のきめ細かいすばらしいサービスで味わう.....イタリアと日本のいいところをうまくあわせた、日本ならではの、そんな不思議な体験だった。

その翌日には浜松でジージョさんというお店にも行ってみた。何気ない住宅地のなかにあるかわいいレストランで、フィレンツェで修行をしたというシェフが永田農法で作った野菜を使ってイタリア料理を出してくれるという。永田さんの野菜なら、それが最もよく味わえるシンプルなお皿にしようと、トマトソースだけのパスタを頼んでみたら、南イタリアの完熟トマトも真っ青になるくらいのそのおいしさに驚いた。イタリアの料理法と日本のすばらしい素材のミックス、ここでもイタリアと日本のいいところをあわせた、日本ならではの体験.....
どんどん進化していく料理の世界に思いをはせながら、イタリアにはないサツマイモのデザートを頂いた。

ミシュランガイドが多くの日本のイタリアレストランに星をつけるのも、そう遠くない日のことかもしれない。

 


2008/3/31

ITALY WEB SITE 
英語で楽しめるイタリアの注目WEBサイトの紹介


ミラノサローネ Salone Internazionale del Mobile
http://www.cosmit.it/tool/home.php?s=0,2,67,71,75

ミラノサローネ Salone Internazionale del Mobile
4月16日ー21日までミラノ見本市会場で開催されるミラノ・サローネ・デル・モービレの公式サイト。期間中ミラノは世界中のデザイナー、建築家、バイヤー、ジャーナリストが集まり文字通り「デザイン首都」となる。今回のサローネには初めて「日本展」(ジャパンブース)が公式出展する。www.sozocomm.jp



2008/3/31
編集後記
ミラノの一番長い日
2015年万国博覧会ミラノに決定

2008年3月31日は、「EXPO2015」開催地決定の日。
ミラノかトルコのイズミールかを決める投票がパリの博覧会国際事務局で実施されるとあって、テレビ局RAIのTG3で特集生中継が行われた。

午後4時半ごろ、もうそろそろ決まったかしらとTV のスイッチをいれると、ミラノのスタジオとパリの開票会場を結んで実況中継をやっている。今まさに「投票実施中」とあって、ミラノのスタジオではゲストの大学の先生が今回の博覧会の経済・社会効果の調査結果を説明。もう一人のゲストは近代史専門ということで1906年に行われたミラノ国際博覧会の状況などを解説。その後、画面は小学生2000名が招待されているミラノ市内の劇場に移って子供たちの万博への期待の声を紹介。まだ、投票結果が届かないようだ。そこで投票前に行われたミラノ市の正式プレゼンテーションの様子が放映される。ミラノ側応援団の立役者米国のゴア元副大統領やイタリアの国際的歌手ボッチェッリの歌などの映像を流す。そのあいまに、随時、パリにつなぐが、パリの女性レポーターは緊張した面持ちで投票はテレコマンドで行われることを説明した上で「開票結果はまだでていません」という。そしてパリの会場に待機しているミラノ県知事やミラノ商工会議所会頭や行政・産業界の代表が入れ替わりにでてきて、彼らとのインタビューを行う。誰もが「勝利は間違いないはず、でも最後の結果がでるまで慎重に」といたく神妙な話。

画面がミラノのスタジオに戻ると、「株価の過熱しすぎたためミラノ証券取引所が17時30分に取引を一時停止したようです」というニュースを伝える。予定ではとっくに開票結果がでている時間。ミラノ側としては話す話題もなくなってしまってゲストに1906年の万博の様子を詳細にたずねている。「あ、トルコ側が歓声をあびている」というアナウンスがあって緊張が走る。画面がパリに移ると「一回目の投票がテレコマンドの調子が悪くて不成立。現在2回目の投票をしている」とのこと。一同安堵の表情にもどる。本番前にテレコマンドの調子を最終点検したのかしらと、イタリアもフランスもいい加減さは変わらないという気になる。パリのレポーターは「予定よりも1時間半遅れています」といい青ざめた表情。またインタビューを始めたが関心は耳元のインターホンに集中し相手の話を聞いているとも思えない。ミラノ側スタジオも話す内容がなくなってしまった様子。

2回目もテレコマンドが機能しなかったのかしらと案じ始めると、「決まったようです。ミラノが勝ちました」というニュースが入る。しかし、司会者はまだ緊張した面持ちで「正式結果の発表を待ちましょう」ときわめて慎重。30秒か60秒後、ほっと安心した表情で「通信社発情報でミラノの勝利が正式確認されました」と発表した。午後6時20分ごろのこと。ああやれやれ。これで決まった。結果は86対65票。予想の10票差の2倍の差での立派なものである。

このところ、ナポリのゴミ、モッツアレッラチーズのダイオキシン問題、アリタリアのエア・フランスによる買収などなど、イタリアの国際イメージを下げ、人々の気持ちを暗くする事柄が多かった。そんな中で今回の開催地決定はイタリアとしては唯一の明るいビッグニュースといえよう。記者会見でミラノのモラッティ女性市長とプローディ首相が仲良く強調したのが、市、県、州、政府と産業界のチームワークの賜物ということ。何につけても右と左が激しく対立し改革やビッグプロジェクトの実現をみない10数年来のイタリア政治環境の中で、政治的に右派のミラノ市とロンバルディア州、左派のミラノ県とイタリア政府が政治色を超えて「挙国一致」プロジェクトとして取り組んできたEXPO2015開催地獲得の持つ意味は大きい。実現まで7年あるけれど、ケンカをしないで仲良くやってほしいと祈るばかり。

そんな感慨にふけっていると、パリ会場からフランス語の緊急アナウンスが流れてきた。ミラノのスタジオ内にも一瞬緊張感が流れる。「え?何なの?」と思っていると、「投票のテレコマンドを持っていってしまった投票者が一人います。至急返却してください」との警告とか。記念に持って帰るつもりだったのだろうか。何とも人騒がせなテレコマンドだ。


2008年3月31日
JIBO編集室
大島悦子 (Etsuko Oshima)

写真はミラノ市庁舎に掲げられた「感謝の垂れ幕」
(撮影2008年4月1日)


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