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2007/9/25

HOTなエスプレッソITALY WEB SITE編集BACK NUMBER

HOTなエスプレッソ 



田中ちひろ

京都生まれ 大阪外国語大学イタリア語科卒業、88年イタリアのシエナに留学。91年よりミラノ在住。 著書「普段着のミラノ案内」(晶文社)をはじめ、新聞、雑誌、インターネットサイト等に執筆。三井住友海上ミラノオフィス勤務。 

 

2007/9/25

51. 「近くなったオペラ」

9月のはじめ、世界3大テノールの一人といわれたルチアーノ・パヴァロッティが71歳でなくなった。
すい臓がんの手術を去年受けて、一時はかなり元気になっていたのが、夏の後半くらいから、また体調を崩してしまったのだそうだ。
かなり容態が悪いという段階から、そのニュースは世界中に報道され、なくなったときには日本や西洋諸国だけでなく、中国やアラブ、アフリカの国々でもトップ記事となった。世界中からお悔やみの言葉が届き、お葬式には イタリアの大統領、首相をはじめ、世界のそうそうたるメンバーが参列した。もちろん何千人という一般の人、オペラファン、音楽ファンも 最後のお別れをするため、はるばる彼の住んでいた町のモデナの聖堂につめかけた。
その幅広い人気は、音楽が政治思想を超え人々の心に何かを伝える証だといえるかもしれない。

パヴァロッティを送る催しとしては 彼が1961年にデビューした「ボエム」が そのデビューの場所であるモデナの私立シアターで上演された。
61年デビューということは 46年間歌い続けたということになる。

長いオペラ歌手の年月は、世界のテノールにも山あり谷ありで、その人生は安泰の人生というより、波乱の人生だった。
世界中を回り、輝かしい名声と成功を手に入れつつも イタリアが世界に誇るミラノのスカラ座で 観客に口笛を吹かれて、「もうスカラ座では歌わない」とパヴァロッティが怒ったというエピソードも残っている。
確かに耳が肥えているからか、イタリアの観客は本当に厳しい。自国が世界に誇るテノールでもだめなときはだめ、下手だという文句の口笛を容赦なく吹く。
デビューしてまもないころならともかく、1983年のことというから デビューして22年目、もうベテランの域に入っていた彼にとって これほどの屈辱はなかったであろう。
もっともそれは、いいかえると、どんなに有名になっても彼はいつも真剣勝負を強いられていたということで、そしておそらくだからこそ、46年間も歌い続けられたのかもしれなかった。

その一方で、60歳になってから、当時26歳の、アシスタントをしていた女性と再婚した。それまでずっと36年間そばで支えてきてくれた奥さんを捨てて、若い女性に走った典型みたいに思われて、イタリア中の女性を敵に回したのはそのころである。
脱税が問題になったことや、年中ダイエットと戦っていたが、どうしても好きな食べ物は我慢できなかったとか、非常に人間くさい一面も披露した。
2003年には67歳にして新しい奥さんとの間に赤ちゃんが生まれたが、双子のうち一人を生まれた直後に亡くしてしまう、そんな人生の光と影を経験したのも一般市民と変わりはない。

その人間くささの故か、或いは音楽を限りなく愛したためか、パヴァロッティはオペラを一般のひとに近づけるという 大変なことを成し遂げた人でもある。
オペラというと、どうしてもポップスやロックに比べて高尚な音楽で、なかなか素人には難しいと思っている人が多い。
オペラ歌手はきちんと声楽を勉強した優等生で、同じ歌手でもロック歌手とはレベルが違うというわけだ。
オペラを見に行くときはきちんとおしゃれしなければならないとか、チケットも高いとか、オペラを一般の人から遠ざける理由はいくつもみつかる。
実際私もミラノに来るまではそう思っていた。

ところがイタリアに来て、別にオペラに限らず たとえばちょっといいレストランに行くときとか、或いはただ夜ちょっと町へ出掛けるだけでも、家に帰って着替える、夜は普段よりちょっとおしゃれして出掛けることをごく普通にやっている人たちを見て、まず着替えることに気持ちがそれほど大げさでなくなった。オペラに行く人がジャケットにネクタイをするのは、場にあった服装をすると言う意味では ハードロックのコンサートに出掛けるのに、会社帰りの人がネクタイをはずし、皮のジャケットや破れたジーンズに着替えるのとよく考えてみれば同じなのかもしれない。
オペラのストーリーはもちろん分かったほうが楽しいが、事前に勉強できなければパンフレットを買ってよんでもいい。
難しいオペラがあることは否定しないが、たとえばカルメンなどは有名な曲が次々と流れて楽しいし、マダム・バタフライの西洋の演出家が考えた日本のイメージ、或いは衣装も興味深い。
歌詞の字幕は手元のスクリーンで数ヶ国語ででるし、年齢や通う層も想像していた以上に幅広い。つまり少なくともミラノでは スカラ座に行った若者が 翌日にはサンシーロスタジアムでACミランやインテルを応援していても全く不思議ではないのである。
チケットは確かに普通のコンサートより高いかもしれないが、それとて天井桟敷や階の高いところへ行けばグーンと安くなる。

そしてこの上さらに パヴァロッティは、オペラを一般の人に近づけたために、ポップスやロックの歌手たちと一緒にコンサートを開いたのである。
パバロッティ&フレンドと題した 1年に一回のチャリティーコンサートでには 毎年人気のあるロック歌手を招待し、彼らは一緒にデュエットをしたのである。
エルトン・ジョンや、セリーヌ・ディオン、あとイタリアでは人気のある、ズッケロとかジョバノッティらと一緒にポップスを歌うパヴァロッティの歌声に感動した人は多いはずだ。
世界3大テノールとしての彼の功績はたしかに輝かしいものに違いないが、音楽は皆同じ、音楽はジャンルが違ってもまずは楽しむためのものというメッセージを自ら実証して広めたことを ぜひ記憶に残したい。

スカラ座も夏休みを終えて9月からまたオペラを再開した。
これを機会にちょっとおしゃれをして一度オペラを鑑賞に行くというのはどうだろうか?
オペラが似合うのは秋、そして冬、まさにこれからです。

 


2007/9/25

ITALY WEB SITE 
英語で楽しめるイタリアの注目WEBサイトの紹介


イタリア下院の公式サイトCamera dei deputati
http://www.camera.it/index.asp


議員数の多さ、高給、特権待遇が厳しい世論にさらされているイタリア国会(下院)のサイト。法案や国会最新ニュースに加え、全議員のプロフィール、ホームページやEmailアドレスも掲載されている。


2007/9/25
編集後記
- 開店40周年をむかえたジャンナージ肉屋 -

ミラノのポルタ・ロマーナからコルソ・ローディを3、4分進んだところにあるブオッツィ広場Piazza Buozziには肉屋の「ジャンナージGiannasi」の店舗がどんと構えていて街の「ランドマーク」ともなっている。常に買い物にくる客の足が絶えない活気のある店だ。
私が17年前、はじめてミラノに来た際に住んでいた家からもこの肉屋は近く、新鮮な肉が割安で、威勢のよい店員の掛け声もにぎやかなこの店にはよく通った。当時このあたりには肉屋、八百屋、鳥屋、食料品屋など小さな店舗が一通りあって日々の買い物はそこで間に合っていたが、代替わりもあったのだろうが、1店ずつ消えていき、現在は大型スーパー3店舗が完全制覇する流通環境となった。そんな中でジャンナージ肉屋の存在は異例といえよう。

私自身、普段は便利な大型スーパーで買い物を済ますが、客をむかえて肉料理を準備する、ここはという時にはやはりジャンナージの店にむかう。いつも店の前に4-5人は順番を待っていて、しかも肉を指定して切ってもらう対面販売だからかなり時間がかかるのがそれも辛抱、辛抱。パック入りとは一味違う肉が手に入るのだから。

同店の創立者で現在もオーナーのドーランド・ジャンナージDorand Giannasi氏は、イタリア北部のレッジョ・エミリア山間部の生まれ。1950年代末にミラノに出てきて最初は市内の「鳥屋」で奉公し、その後、1967年にこのブオッツイ広場で店を開いた。
「当時、ミラノにはイタリア各地からの"移民"の流入が激しかった。私もその一人。ミラノの人口は大きく増加して街の経済も発展した」という。当初は「鳥屋」として開店。街中に鳥屋があったという。その後、牛肉、豚肉なども扱うようになりそちらが主流の肉屋に。様々な苦労はあったものの地域に定着し順風漫歩に店も発展していった。

しかし、数年前の「狂牛病(BSA)」それに続くSARSや鳥インフルエンザ事件の際には、さすがに大きなダメージを受けた。とはいえ「狂牛病」問題勃発後すぐに、すでに手がけていたローストチキンや揚げ物、ラザーニャといった「調理済み食品」部門を主力とした店舗へ大変身させ街の人々をあっといわせるしたたかな経営手腕を見せた。現在は、生肉部門と、調理済み食品部門が半々に仲良く並んだ店構えになっている。
「40年前は生の肉を販売し、人々は家で調理して食べた。今では調理済みの加工品を購入して家で食べる人が増えた。この広場の雰囲気は40年前とほとんど変わらないが、ライフスタイルは大きく変わった」。なお扱っている調理済み食品はすべて別の場所にある同店作業所で用意したものだ。

このジャンナージ肉屋が、9月15日土曜日に開店40周年をむかえ、意表をつく企画を実施した。40年間の愛顧にこたえて、この日の売上げすべてを、癌撲滅研究資金へ全額寄付するというのだ。かなり思い切った内容だ。「現在従業員7名。優秀でよく働いてくれる。大勢の顧客に恵まれている。心身とも健やかで満足できる状態にいると一つの夢を実現することが可能となる」と語るドナルド・ジャンナージ氏。
9月の風のさわやかなこの日も終日、ジャンナージ肉屋の店舗には人が溢れていた。


2007年9月25日
JIBO編集室
大島悦子


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