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2006/10/31

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HOTなエスプレッソ 



田中ちひろ

京都生まれ 大阪外国語大学イタリア語科卒業、88年イタリアのシエナに留学。91年よりミラノ在住。 著書「普段着のミラノ案内」(晶文社)をはじめ、新聞、雑誌、インターネットサイト等に執筆。三井住友海上ミラノオフィス勤務。 

 

48. 「路上の写真展」

昨年に続き、ミラノの金融の中心コルドゥーシオ広場からスフォルツァ城を結ぶダンテ通り(Via Dante)で路上の写真展が始まった。
去年はインド、チベットそしてアフリカの人々の表情をうつした写真に ガンジーやダライ・ラマなど世の中にインスピレーションを投げかけた人々の語った言葉が添えられていたが、 今年のテーマは「イタリア」、空からのエモーションというイベント名だけあって、イタリアを空から撮った。
ユネスコの世界遺産を始め、イタリアが世界に誇るさまざまな美しい場所、文化的な建物、或いは日常当たり前になってしまっていた広場の写真.....そして写真の下にはそれぞれの歴史が記されている。
1,2時間ではとても全部見られないくらいずらりと並んだ大きな写真の数々を 今年も昼休みのミラノっ子たちは何日にも分けて鑑賞している。
説明を読まずにどこの写真か当てっこしたり、その中の何ケ所に行ったことがあるかを競ったりと楽しみ方はざまざまだが改めてその下の説明を読むと知らなかったことが意外と多い。

それにしてもイタリアは豊かだ。ユネスコの世界遺産は世界138カ国に830ケ所、そのうち文化遺産が644、そしてそのうちの41個がなんとイタリアにある。ローマやフィレンツェ旧市街、ベネチアのサンマルコ広場、ミラノの「最後の晩餐」とその教会、エトルリア時代の遺跡群、シチリアにあるギリシャ文明の遺跡.........自然遺産というより 人が残した文化遺産がほとんどだ。
もっとも41という数字はあくまでユネスコに指定された所だけの話で、実際にはその数百倍もの文化的遺産がイタリア中に点在する。
名もない小さな町の小さな広場や教会で息を呑むような美しさに出会うことはイタリアではごく普通のことなのだ。

この夏1週間シチリアを旅行した。かつて地中海の文化の十字路だったシチリアはギリシャ、ローマ、アラブ、ノルマンと数々の文化が通り過ぎ、それぞれがその文明と文化のすばらしさをなんらかのかたちで残こしていった。アテネのパルテノン神殿より保存状態のいいアグリジェントのギリシャ神殿、今でも夏になるとオペラが上演されるタオルミナのギリシャ劇場.....かつてそれだけの文化の高さや豊かさを享受したにもかかわらず、今のシチリアは放置され、荒れている。外国支配があまりにも長かったシチリアの特殊事情はともかくとして、それはすばらしい文化や遺跡が日常の景色になってしまうとき その価値が失われていくひとつの例なのかもしれなかった。

ところで 空中写真はおもしろい。最近ではインターネットでも手軽に空中写真が見られるようになったが、当たり前になってしまった場所が 空から見るというだけで全然違って見えるから面白い。
路上の写真展に写された町も きれいなレンガ色で統一された家々の屋根、外からは見えない中庭に隠された緑、夕日の光や海の青さと一緒に見ると その輝きを取り戻したように見える。
長い歴史をかけてその土地に住んだ人々が残していった美、文化的に世界に貢献した証。
生活の場に美しさを見出せることはとってもすばらしい。
そして自分もその美しさを後の世代に送っていく存在だと気づくことはもっとすばらしい。
美しさの定義は人によって違っても 日常の景色の中にその美と価値を再発見する視点が今とっても大切なのかもしれない。
昼休みの短い散歩を終えてオフィスに戻るイタリア人の背筋は 気のせいか 前より少しまっすぐに伸びて見えた。

 


2006/12/27

ITALY WEB SITE 
英語で楽しめるイタリアの注目WEBサイトの紹介


ミラノ・スカラ座の公式サイト
Teatro alla Scala http://www.teatroallascala.org/public/LaScala/EN/index.html

12月7日、ミラノの守護神聖アンブロージォの祝日に恒例の「プリマ」(初日)をアイーダでオープニングしたスカラ座。フランコ・ゼッフェッレッリの豪華絢爛な舞台と衣装、「ブーイング」に怒った主役テノールが本番の舞台を途中放棄するという前代未聞のハプニングで話題を集めている。



2006/12/27
編集後記
- 「Olivetti」の再現とアルハデフさんのこと - 

クリスマスの1週間前のこと。ミラノのチェントロ(中心街)で所用があり、帰りにドゥオーモ広場を通りかかると、あっと驚いた。真っ赤なOの字の横にグレーで小さくOlivettiと書かれたオリベッティのロゴが目に入ってきたからだ。え?と思ってよく見ると、真四角で透明な立方体(床面積350平米、高さ7.5メートル)の中に「巨大プリンター」が入っていて、内部は新製品のプリンターのショールームになっているのだ。デジタル写真を撮影してもらって、それをすぐに写真用プリンターでプリントしてプレゼントしてくれる仕組みだ。12月15日からクリスマスイブの24日までの限定イベントだ。

クリスマス商戦の粋なイベントという意味以上に、ドゥオーモ広場のOlivettiロゴ出現は私に懐かしい衝撃を与えた。まず第一にイタリア・オリベッティは90年代後半にIT業界の熾烈な国際競争の中で競争力を失い市場から姿を消し、イタリアでもOlivetti は「過去」のマークとなっている。それがよくも「復活」したものだという思い。www.olivetti.it

次に、私自身がはるか昔、新卒で就職し4年間勤務したのが目黒区碑文谷にあった日本オリベッティであったから。当時は「最も尊重されるべきは人間であり、いかなる時代にも、決して、技術や物質が人間の上位をなしてはならない」という創始者カミッロ・オリベッティの経営思想、そして新鮮なデザインと文化戦略など時代を先取りした企業活動で知られていた。その「日本オリベッティ」もイタリアの親会社の変遷とともに名前が変わり、残念ながらすでにオリベッティと名のつく会社は日本には存在しない。社会人として最初の4年間を自由な社風、個性的な先輩や同僚と楽しく過ごし、時折来日するイタリア本社の要人やスタッフから大きな刺激を受けてきた私にとって、「オリベッティ」が、イタリアからも日本からも消えてしまったことには一抹の寂しさを感じていた。

そしてもう一つ、ドウーモ広場で懐かしいロゴを見た時に蘇ったのは、今年6月3日、ミラノで急逝された日本オリベッティ初代社長カルロ・アルハデフさんのことだ。1960年代初頭に日伊ビジネスのパイオニアとして来日された同氏は日本文化への憧憬があつく、日本社会の理解に努められていた。私が入社した頃にはすでに日本を離れておられたが、同氏は「伝説的人物」として社内で何度も名前を聞いていた。当事の部課長など直接アルハデフ氏から薫陶を受けた先輩たちも、同氏と何万キロを一緒に走ったという運転手さんも、仕事では徹底的にしごかれたといいながら、アルハデフさんと言う時に、みんな夢見るような優しい目になることに気づいた。数々ある逸話の中で印象に残るのは、当時全国に900名以上いた社員の一人一人のフルネームだけでなく、趣味や家族構成まで頭に入っていて、一人一人との交流を大切にされていたとのこと。これまで日本で仕事をされてきたイタリア人ビジネスマンの中で、日伊間の心の架け橋をこれほど誠実に築かれた方は、他に例がないのではないだろうか。その後、来日された折、私もアルハデフさんと話しをさせていただく機会を得て、魅惑された。
そして1990年にミラノに来て以降、アルハデフさんには大変お世話になった。お会いするたびに厳しいけれど優しい目で微笑んでくれたアルハデフさんの存在が、イタリアで一人で仕事を始めた私にとってどれほど安心と励みを与えてくれたのかわからない。

心の恩師ともいうべきアルハデフさんの急逝と、消えたと思っていた「オリベッティ」の再現。年の瀬ミラノのドゥオーモ広場で様々な思いでが蘇り心が熱くなった。2006年は私にとって忘れられない年になりそうだ。

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本年もJIBOをご愛読いただきありがとうございます。皆様お元気で新年をお迎え下さいますよう願っております。来年もどうぞご支援・ご鞭撻のほど、どうぞよろしくお願いします

 


2006年12月27日
JIBO編集室
大島悦子


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