田中ちひろ
京都生まれ 大阪外国語大学イタリア語科卒業、88年イタリアのシエナに留学。91年よりミラノ在住。
著書「普段着のミラノ案内」(晶文社)をはじめ、新聞、雑誌、インターネットサイト等に執筆。三井住友海上ミラノオフィス勤務。
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3月の中旬、ドイツの友人から一通のEメイルが舞い込んだ。
サイファ・フセイニ・トゥンガ・トゥドゥという名前のナイジェリアの女性を助けてほしいという内容だった。
Eメイルによると、サイファというこの女性は離婚した後、レイプされて妊娠し、その子供を産んだ。
これだけだと、残念ながらどこの国でも起こりうる不幸な事件だが、問題は、私たちの常識では被害者であるはずの彼女は、ナイジェリアでは実は罪びとで、裁判にかけられていたところにある。
ナイジェリアを統治するイスラム法では、婚姻関係外で関係を持って子供を産んだ女性は、首まで土に埋められた上、石を投げられて処刑されなければならないという。
調べてみるとアムネスティー等の団体も国際レベルで働きかけていて、そのドイツ人の友人もひょんなことでそれを知り、ナイジェリア大使館に彼女の命を救うための嘆願メイルを送ってほしいと頼んできたのだった。
1通のEメイルだけれど、それが彼女の命を救うことにつながれば、そんな思いをこめて大使館にメイルを送り、同時に今度は自分の友人に助けを請う同じ内容のメイルを送る。
私の同僚や友人たちのほとんどがやはりその嘆願メイルを送ったというから、少なくともイタリアでは限りない数の人が同じことをやったようだ。
イスラム。昨年の秋以降、なにかというと出てくることば。
その言葉を前に、アラブ諸国からの移民が年々増え続けるイタリアでは多くの人が戸惑っている。
イタリアだけではない、ヨーロッパ中が戸惑っているといっても過言ではないと思う。
イスラムの法をとやかく言う権利は私たちにはない。
イスラム教を信じる人々とその宗教も心からRESPECTしているつもりだ。
またイスラム教の人がみんな同じではないということも知っている。
ただ、こういった、石投げの刑とか、或いはレイプしたほうの男性については一切触れられていないことなど、あまりにも私たちの常識とかけ離れた決まりや風習を目の前にすると
宗教の違いという一言ではすませられない矛盾を感じてしまう。
そのあまりの違いに言葉を失ってしまう。
共存していくにはどうしたらいいのか、そんなことを考えさせられる出来事がここでは確かに日常茶飯事だ。
Eメイルが少しは役に立ったのか、3月の末の裁判では幸いなことに彼女は死刑を免れた。
イタリアの新聞はそのニュースを一面で発表し、ローマのナイジェリア大使館は一日に何万という嘆願メイルが届いたと告げていた。
よかったねぇ、その日、メイルを送りあった友人から喜びのメッセージがたくさん入った。
そしてみんな本当にいろんなことを考えたと。
あまりにも奥の深い問題だけど、人の命と平和にかかわることだけは 胸をはって言ってもいいんじゃないか?
どんなに小さなことでも一人一人がやれば、何かが変わるかもしれない、そんな願いをこめて送ったよ。
そんなメッセージが心を打った。
先週から、イースターだというのに、イスラエルとパレスチナが大変なことになっている。
今朝また、今度はその関係のメイルが舞い込んだ。