田中ちひろ
京都生まれ 大阪外国語大学イタリア語科卒業、88年イタリアのシエナに留学。91年よりミラノ在住。
著書「普段着のミラノ案内」(晶文社)をはじめ、新聞、雑誌、インターネットサイト等に執筆。三井住友海上ミラノオフィス勤務。
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つい最近、タンザニアに旅行した。アフリカにすっかり魅せられて、1年に1回はアフリカへサファリに行くというイタリア人と、ひょんなことで知り合って、手作りのツアーに来ないかと誘われたのだ。
タンザニア、ケニアの南の社会主義国。
その広大な土地には、マサイ族をはじめ120を越える部族が住む。まだまだ、観光ずれしていない、素朴な人々は、部族の言語と公用語であるスワヒリ語、そして驚くほど上手に英語を話す。この国で有名なのは、ンゴロンゴロ、セレンゲティー国立公園、或いはインド洋に浮かぶ島、ザンジバルである。
そんなエキゾチックな土地を、現地の人とずっと一緒に行動し、団体旅行と違って、何時間でも好きなところにとどまって、心ゆくまで野生の動物を見る旅。経済的に恵まれたミラノっ子たちが、ヴァカンスで遠い外国まで出かけていくようになって久しいが、最近は、この友人マッシモのように、パッケージツアーでは満足できず、現地の人とその生の暮らしに接触を求める、そんな人が多くなった。
キリマンジャロ空港に着いた時、私たちを迎えてくれたのは、タンザニア人のガイド兼ジープの運転手のジョージとコックのンヤントーリだった。
これが、2週間、衣食を共にする私たちの旅のメンバーである。荷物と一緒にお米や野菜、料理をするための燃料、水などを、ジープの屋根にくくりつけ、憧れのサファリに出発した。
360度、どの方向を見まわしても、果てしない地平線が続く。
季節外れの雨で、驚くほど緑色をしたサバンナで、淡々と草を食むシマウマやガゼル。それを狙うチーターの親子。岩の上で寝てばかりいるライオン。とげだらけのアカシアの木の間から、突然、きりんが顔を出したかと思うと、群れから外れた象のこどもが、おかあさん象に連れ戻される。
何世紀も何世紀もの昔から、淡々と繰り返された生のドラマ。そのあまりの単純さと美しさに、ただただ感動させられる日々。
ところで、感動と埃と疲れでキャンプに戻る私達を迎えてくれたのは、いつもンヤント−リの温かい食事と笑顔だった。国営の素晴らしいロッジ(4つ星から5つ星レベルの素晴らしいホテル。タンザニアには、この国営ホテルに泊まるか、キャンプでテントをはるか、それ以外の選択肢はない。ちなみに私たちは、その両方を半々の割合で利用した)の食事が、どんなに生野菜を避けても、後で、おなかの調子がおかしくなったのに対し、彼の食事は完璧だった。何もないところで火をおこし、クレープまで作ってしまう。さらに野菜だけでなく、食器も必ず沸騰したお湯で消毒してくれていた。味のほうも最高。
その徹底振りは、彼がある晩、39度を越える熱を出した時、ほかのコックが手伝ってくれたのだが、その彼らがいいかげんな料理をしないかどうかを監督するため、私たちがどんなに頼んでも、台所を離れようとしなかったほどだ。
その完璧さとプロ意識にもかかわらず、彼の給料は異常に低かった。それは彼が、料理学校の卒業資格をもっていないというのが原因だった。彼はヴィクトリア湖のほとりの小さな村で生まれ、学校を終えて、料理関係のカレッジに通ったが、家庭の事情で最後の6ヶ月を終えることができなかったのだ。
今から学校に行きなおすなどということは経済的にとても無理。夢は何か、と尋ねたら、彼は、サファリをしながらお金をためて、いつか自分のレストランを開くことだと小声で答えた。
そんな話を聞いて、マッシモは情報収集を始めた。カレッジの1年間の費用は300USドル。調理用の材料費、道具、本に、さらに300USドル。学校に通う10ヶ月は仕事ができないから、その間の生活費が月30USドルX10ヶ月。
900ドルで、彼の夢の実現に手を貸すことができる。
グループは、もちろん賛成、というわけで、予定を急遽変更して1日前に町へ戻って、カレッジの学長と連絡をとり、入学手続きを済ませた。学長は3ヶ月ごとに、ンヤト−リの勉強ぶり、成績をイタリアへ知らせてくれる。ンヤント−リに意欲と責任(自覚)をよりもってもらうためだ。
入学手続きの当日、熱のある身体を押してやってきたンヤント−リは、目に涙を浮かべて言った。「きっとすばらしいコックになる。だからどうか来年、どれだけ腕が上がったかを見にきてほしい」。ンヤント−リの夢は今、マッシモの夢になった。