チュニジア、エジプトの旧政権崩壊から まだ戦いの続いているリビアまで、アラブ諸国の動きが世界中の注目を浴びている。
政権が崩壊していないそのほかの国々でも その動きは飛び火して、デモや衝突を生んでいる。
アラブ諸国とは石油をはじめ、経済的な関係で繋がっているとは言うものの、日常生活においてその地の人々とほとんど接する機会がない日本と違って
イタリアにいると彼らは 日常のごく当たり前の風景の中にいる。
イタリア人にとって もっとも手ごろにいけるバカンス地は チュニジア、エジプト。
ローマからなら飛行機で1時間、パリに行くよりよっぽど近いチュニスやカルタゴは 私にとってもヨーロッパに住んで最初に行ったバカンスの土地。
いつもよく行くケバブ屋さんや角のピッツェリアのオーナーはエジプト人。
私の使っている銀行の最大株主はリビア政府。。。
毎日の生活の中で、アラブの人たちを見ることなしに一日たりともすごせないくらい、ミラノでは彼らの存在は日常化している。
これを機に民主化を願う声、イスラム勢力の拡大を懸念する声、さまざまな分析や思惑をよそに 居場所のなくなった大量の人たちの様子が 日々報道されている。
彼らに行くところ、そして帰るところはあるのだろうか。
この種の状況を耳にするたびに 思い出す友人がいる。
イラン人の友人、マホメッド。
パーレビ国王が追放されたイラン革命のときにヨーロッパへ命からがら逃れた人の一人。
国王に近かったエリートとして父親が捕らわれたときに、家族が彼を逃がしたという。
イタリアの外国人大学で 多くの留学生に混ざって身を潜めていた彼が ひょんなことで私のベルギー人の友達と恋に落ち、ベルギーに移ってから もう何年がたつのだろう。。。
今では3人の子供の父親となり、救急車の運転手として働く彼は イラン革命以後 一度もイランの地を踏んでいない。
イタリアの南の島には 毎日大量の難民が船でたどり着く。
チュニジア、エジプト、リビアから今後到着する難民の推定人数は なんと2,30万。
収容所の数は足りず 他の地へ送られていく多くの人へのインタビューをみながらマホメッドの面影が ダブって見える。
生き延びるだけで必死だった。
ベルギーにたどり着く前も、イタリア、フランスと仕事を求めて転々とした。
住む国の言葉と ルールを必死で学んだが、同時にイランに残してきた家族が心配で仕方がなかった日々。
日本のような平和な国にいると、そんなことが自分に起こることは想像さえできない。
そして同時に、そこまで必死で生きることも もしかしたらないのかもしれない。
数年前、マホメッドと再会したとき、彼が話してくれた夢を今でも忘れない。
僕は妻に救われた。
彼女に出会わなかったら、今の自分はいなかった。。。
いつか、いつの日か
今のイランの体制が変わって
僕がイランに戻れる日が来るとしたら、
今度は僕が彼女を幸せにしてあげたい。
そして イランの素晴らしさを
僕の子どもたちに
生きていくための誇りのために
見せてあげたいんだ。。。
本気で生きる姿勢と
政府や体制などを抜きにした自分のルーツに対する誇り、
ともすれば忘れてしまう大切なことを 彼は私に教えてくれた。